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リンゴー・キッド(西部アウトロー列伝 3)

厳しい生存競争と無限のチャンスに溢れた西部開拓時代、そこには戦後の日本同様に多くの荒くれ者が存在しました。3人の敵を3発の銃弾で仕留めた腕利きのガンマンであるリンゴー・キッドは「OKコラルの決闘」には不参加ながらも、クラントン一派とアープ一家の対立・確執のキーパーソンの一人でした。

更新日: 2018年01月31日

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この記事は私がまとめました

来栖崇良さん

西部きってのガンマンと言われるが、履歴には不明なところが多く、伝説に彩られた謎の多い人物である。

1845年ごろ、テキサスで生まれたらしい(インディアナ州という説もある)。裕福な家の出身らしく、教養があり、格調の高い英語を話したという。

シェークスピアやラテン文学を愛読していたというから、アウトローのイメージにはほど遠い。とは言え、伝説の中のリンゴーは、まぎれもないガンマンである。

兄を殺した3人の無法者を追い求めて西部の町を尋ね歩き、出会った時にはたった3発の銃弾で彼らを仕留めた。
1864年の出来事だったと言われる。

このエピソードは、ジョン・フォードの傑作西部劇「駅馬車」のラストで、リンゴー・キッドに扮したジョン・ウェインがプラマー3兄弟を倒すシーンに使われている。

ガンマンとして一躍名を上げたリンゴーは、西部各地でさまざまなガン・ファイトを演じている。


ただし、いずれも伝説の域を超えず、はっきりした事件では、1879年12月にアリゾナ州サフォードで、ルイス・ハンコックという男を撃って負傷させた、というのがある程度だ。

もっとも、この事件も前後の事情は不明である。

次にリンゴーが西部開拓史に登場するのは、有名な保安官ワイアット・アープ一家との確執である。


リンゴーは、アープと対立していたクラントン一家の助っ人として、アリゾナ州トゥームストーンに乗り込み、牛泥棒や駅馬車強盗を手伝っていた。

1881年12月、ニューメキシコのハウチータで、同じクラントン一派の無法者カーリー・ビルと二人、ハスレット兄弟を撃ち殺した。

これは、クラントン一派のカウボーイ二人が殺されたことに対する復讐だと言われるが、真相は不明。

そもそもハスレット兄弟がアープ派なのかもよくわからない。

ハスレット兄弟がアープ派なのかは不明であるが、こうしたいざこざが、クラントン一派対アープ一家による、史上有名なOKコラルの決闘の序奏の一つであったことは間違いない。

もっとも、1881年10月26日、OKコラルの決闘には、リンゴーは参加していない。
理由はこれまた不明だ。

1882年1月、アープの片腕、賭博師のドク・ホリディとリンゴーの対決は有名である。口論の末、リンゴーがホリディに「ハンカチ決闘」を挑む。

ハンカチ決闘というのは、お互いの左手をハンカチで結び、右手にナイフを持って闘うという荒っぽいものである。

さすがのドク・ホリディもひるんで挑戦に応じなかったという説、その場にいたワイアット・アープが止めに入って事なきを得たという説など、さまざまな説があるが、OKコラルの決闘後もトゥームストーンの町には一触即発の状況があった、ということがよく分かる。

ウェストターキークリーク渓谷で木の幹にもたれたジョニー・リンゴーの死体が発見される。


死体はブーツを履いていなかった。


死因は額を撃ち抜いた弾丸によるもの。



他殺か自殺か、真相はまたも不明である。

ヘンリー・キング監督「拳銃王」
(グレゴリー・ペック出演、1950年)



ジョン・スタージェス監督「OK牧場の決闘」
(ジョン・アイアランド出演、1957年)



ジョージ・P・コスマストス監督「トゥームストーン」
(マイケル・ビーン出演、1993年)

など

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