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ジョン・ウエズリー・ハーディン(西部アウトロー列伝 4)

厳しい生存競争と無限のチャンスに溢れた西部開拓時代、そこには戦後の日本同様に多くの荒くれ者が存在しました。ジョン・ウエズリー・ハーディンはそんな中でも、殺した人間の多さ、その理由の軽さから、無法者のチャンピオンと呼ばれています。

更新日: 2018年01月31日

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来栖崇良さん

西部のガンマンには常識外れの人物が多いが、これほどめちゃくちゃな人生を歩んだ男も珍しい。

一時的とは言え、教師を務めたこともある人間なのに、生涯に40人以上をあの世に送ったというのだから驚きである。

それも、伝えられるところによれば、ほとんどの殺しは、さしたる理由もなく行われている。

無法者のチャンピオンとして一番ひどい例では、テキサス州アビリーンの町のホテルに泊まった時、隣室の男のいびきがうるさいというので、いきなり壁越しに2発の弾丸を撃ち込んだ。


そのうちの1発が当たって、男を殺してしまった。

ジョン・ウェズリー・ハーディンは1853年5月26日、メソジスト派宣教師の次男としてテキサス州南東部に生まれた。


幼児期から気性が激しく、14歳の時、ナイフで喧嘩して相手を刺した。

15歳の時には、元奴隷のメイジという男とレスリングの試合のことでもめ、馬の手綱を取って落馬させようとしたためピストルで撃った。
3日後、メイジは死亡する。

南北戦争後のテキサスは北軍の管理下にあり、黒人殺しは死刑になるというので、宣教師の父親はジョンを逃がした。


ジョンは探しに来た北軍兵士の一隊を川辺で待ち伏せし、ショットガンと拳銃で3人を殺したという。

北軍の追求が弱まると、学校の教師になったが、もちろんこれは続かなかった。
次いでカウボーイになり、仕事の腕とカードの腕を磨いた。カードの腕前はかなりのものだったらしい。

1869年12月、テキサス州トワシという町で、ジェームズ・ブラッドリーという男とカードゲームを行い大勝する。
ブラッドリーがいちゃもんをつけてきたので争いになり、「銃の早抜き」で決着をつけることになった。結果は、ウェズリーの二挺拳銃が火を噴き、弾丸はブラッドリーの頭と胸に撃ち込まれた。
当然、ブラッドリーは即死だった。

1871年1月、殺人事件で捕まり(無実の罪だったとか!)ウエイコの裁判所に護送される途中、役人を殺して逃亡。

カンザス州アビリーンへ向かうキャトル・ドライブに加わるが、途中、メキシコ人のドライブに遭遇、ちょっとしたトラブルから銃撃戦になり、メキシコ人6人が死亡、そのうち5人はジョンに撃たれたとか。

同じ年の10月、ゴンザラス郡へ向かう途中、黒人警官隊の3人に捕まるが、逆に3人を射殺する。

1874年5月には、ブラウン郡の保安官に後ろから撃たれそうになりながら、振り向きざまに相手の眉間を撃ち抜く。


そして、1878年、テキサスの保安官殺人で有罪判決を受け、15年間、刑務所で刑に服す。

それでも、刑務所で法律を勉強したというからただ者ではない。

1892年、出所するとテキサス州エルパソで弁護士として働いた。


しかし、1895年8月19日、バーでダイスを投げているところを、ジョン・セルマンという男に背後から頭を撃ち抜かれ、死亡した。


女を巡るトラブルの結果だったという。

ラオール・ウォルシュ監督「決闘!1対3」
(ロック・ハドソン出演、1952年)



バート・ケネディ監督「悪党」
(ジャック・イーラム出演、1970年)

など

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