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ドク・ホリディ(西部アウトロー列伝 5)

医学博士の称号を持つ異色のガンマンにしてギャンブラー、若くして肺結核になり、〝余命数ヶ月〟と宣言されながら、ドク・ホリディは10数年も生き延びた。それも、酒と博打とガンファイトに明け暮れた人生の末にだ。

更新日: 2018年01月31日

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来栖崇良さん

1851年8月14日、ジョージア州グリフィンに生まれる。

ペンシルベニア歯科大学で歯科医の資格を取得、アトランタで医院を開業した。


しかし、まもなく肺結核となり、病気を悪化させないため、より乾燥した西部への移住を決意、テキサス州ダラスへ行くが、そこで手っ取り早い収入源のギャンブルに目覚める。

1874年、不法賭博で起訴され、翌年には酒場でバーテンダーと派手に打ち合い逮捕される。

これは無罪となったが、不法賭博では有罪となったためテキサスから逃げ出した。

ホリディは南部諸州を流れ歩き、多くの殺人を犯すことになった。

かっとなりやすい性格と、一度は死を宣告された経歴が原因と言われる。

1877年、フォート・グリフィンで保安官ワイアット・アープに出会う。

無法者のギャンブラーと保安官という組み合わせなのに、二人は妙に気が合った。

1878年、ダッジシティでアープが、荒くれ者のカウボーイたちに取り囲まれてあわやという時、ホリディが機転を利かしてアープを助けるということもあった。以来、二人の友情はホリディが死ぬまで続いた。

また、このころ生涯の愛人となるメリー・キャサリン・ホロニーと出会う。



メリー・キャサリン・ホロニーは、〝でかっ鼻のケイト〟と呼ばれるように、残っている写真を見ても、お世辞にも美人とは言えない。


しかし、ホリディが死ぬまで愛人関係が続いたことを考えると、どこかいいところがあったのだろう。



ただ、親友や愛人と出会ったにもかかわらず、ホリディの無頼な生活は変わらず続く。

1979年には、ニューメキシコ州ラスベガスの酒場で、退役軍人のマイク・ゴードンを射殺する。

目撃者によれば、初めにゴードンが拳銃を抜いたという。

結果、裁判では無罪となり、ホリディの名は〝早撃ち〟として知られるようになる。

1981年、ホリディは、アープが保安官をしているアリゾナ州トゥムストーンに出向く。


アープ一家と地元の有力者クラントン一派との対立が激しくなったため、アープが助っ人としてホリディを呼んだと言われる。

10月26日、ホリディを含むアープ一家4人と、クラントン一味の6人が、トゥームストンの町外れの馬囲い場(コラル)で、激しい銃撃戦を繰り広げた。世に有名なОKコラルの決闘である。

結果はアープ一家が圧勝、ホリディも軽傷を負ったが無事だった。

決闘から6年後の1887年11月8日、ドク・ホリディは、コロラド州グレンウッドスプリングスで肺結核により死亡する。享年36歳だった。

ジョン・フォー監督「荒野の決闘」
(1946年、ヴィクター・マチュア出演)

ジョン・スタージェス監督「ОK牧場の決闘」
(1957年、カーク・ダグラス出演)

スタージェス監督の「墓石と決闘」
(1967年、ジェイソン・ロバーズ出演)

フランク・ベイリー監督「ドク・ホリディ」
(1971年、ステイシー・キーチ出演)

ジョージ・P・コスマ監督「トゥームストーン」
(1993年、ヴァル・キルマー出演)

ローレンス・カスダン監督「ワイアット・アープ」
(1994年、デニス・クエイド出演)

など

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