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本当は怖い?イタリアの美しい歌に隠された意味

外国語の歌詞で書かれたクラシック音楽の声楽曲には、なにげに聴いているだけでは想像もつかないメッセージ性をもった曲もあります。イタリアの作曲家フランチェスコ・パオロ・トスティが作曲した「最後の歌」の秘密に迫ります。

更新日: 2019年02月27日

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nyamtanさん

●最後の歌とは

「最後の歌」(さいごのうた、伊:L'ultima canzone )は、フランチェスコ・パオロ・トスティ作曲の歌曲である。作詞はフランチェスコ・チンミーノによるものである。

日本にも演奏会やオペラの出演で訪れているイタリアのオペラ歌手Carmela Remigio(カルメラ・レミージョ)さんが歌うトスティのL'ultima canzone(最後の歌)。

重めで切ない出だしの曲ですが、曲が進むと美しい響きのp(小さい声で歌う部分)に緩急が激しいテンポと盛り上がりを見せ、表情豊かです。

声楽のレッスンを受けたことのある方にとっては有名な曲の一つですが、一般的な日本語訳だけでは表現が難しい曲とも言えます。

実はこの曲、深読みすると怖いんです…

まずはフランチェスコ・チンミーノが作詞した歌詞と、日本語訳を見てみましょう。

●イタリア語の原詞

M'han detto che domani
Nina vi fate sposa,
Ed io vi canto ancor la serenata.
Là nei deserti piani
Là,ne la valle ombrosa,
Oh quante volte a voi l'ho ricantata!

Foglia di rosa
O fiore d'amaranto
Se ti fai sposa
Io ti sto sempre accanto.

Domani avrete intorno
Feste sorrisi e fiori
Nè penserete ai nostri vecchi amori.
Ma sempre notte e giorno
Piena di passione
Verrà gemendo a voi la mia canzone.

Foglia di menta
O fiore di granato,
Nina,rammenta
I baci che t'ho dato!

Ah!

●日本語訳

みんな言ってる 明日
ニーナ、きみは結婚するんだって
ぼくはきみにそれでもまだセレナーデを歌うんだ!
誰もいない野原や
草の茂った谷間で
おお、何度きみにぼくは歌ったことか!

「バラの花びらよ
アマラントの花よ
きみが結婚してくれるなら
ぼくはいつもきみのそばにいるよ」

明日にはきみは囲まれるだろう
祝宴に 笑顔に そして花たちに
もうきみはぼくたちの昔の恋のことなんか思い出さないだろう
だけど 夜でも昼でも
情熱にあふれて
きみにぼくの歌が嘆きを届けるのだ

「ハッカの葉っぱ
おおザクロの花よ
ニーナ、思い出しておくれ
きみにあげたくちづけを!」

ああ

●解説

日本語訳を読んでいただくと、この曲が「昔の恋人が明日結婚することを嘆いている」男性の気持ちを歌ったものだとお分かりいただけると思います。

さらに曲を理解するために、花言葉を調べてみましょう。

薔薇は色や本数によっても様々な花言葉がありますが、基本的には「愛」や「美」を表すことが多く、この曲の中では美しい恋人に対して使われています。

アマラントは伝説上の花と言われ、実在する花ではありませんが、ユリ科のケイトウの一種とも言われています。(写真はケイトウ)

鶏のトサカに似た姿が特徴的なケイトウやアマラントは「個性」や「お洒落な人」を表すときに使われる場合があります。

曲の一番に使われている花はどちらも、恋人に対しての愛情や褒め言葉として使われるものでした。問題は二番の歌詞に使われている「ハッカ」と「ザクロ」です。

ハッカには、「思いやり」や「かけがえのない時間」といった意味もありますが、恋愛面では「もう一度愛してください」や「貞淑」といった言葉もあります。

ザクロは「円熟した美しさ」や「優美」という美しい意味をもった花言葉もありますが、「愚かな人」という意味もあります。また、「互いに想う」という意味も…

二番の歌詞は一見、植物の名前を出して綺麗に飾った歌詞ですが、わざと二番の歌詞に裏の意味がある花を固めてもってくるところに元恋人のニーナに対して未練タラタラな感じがあります。


さらにこの歌では「セレナーデをまだ歌うよ」と言っているわけですが、実はそれもちょっと怖い。

日本語では「小夜曲」と言われるセレナーデは、小窓の外で恋人や片思いの人にむけて歌う愛の歌です。

イタリアの建築では2階に小窓があり、男性が気になる女性の家の前でセレナーデを歌うと、それに気づいた女性が顔を見せるという文化がありました。

オペラ「ドン・ジョバンニ」や「セビリアの理髪師」を見るとその様子が想像つきます。

本来ならば初々しい恋の始まりや、電話もメールもない時代の夜に恋人に会いたくなってしまった男性が会いに行くほほえましいものですが、相手が既に別れて明日結婚するとなると話がちがってきますね。

●音楽と歌詞の連動。そして深読みしすぎると?

この曲を音楽的に見ると大きく4つのシーンに分けられます。

1.最初のズーンと重くて激しめなピアノと歌の部分
2.ゆったり静かに入ったかと思ったら再びテンポアップして間奏につづく部分
3.1の繰り返し部分
4.2の繰り返しと、高らかに歌い上げるラスト部分

日本語訳を当てはめると1の部分は「何度きみにぼくは歌ったことか!」までで、元恋人が結婚すると知った男の気持ちを表し、カッコ内の歌詞から2の部分になり音楽ががらっと変わるので、カッコ内の歌詞は幸せだった過去、そのときの言葉、その風景を表しているとも言えます。
彼は何度も彼女に「結婚してくれたらいつでも側にいる」というプロポーズに近い言葉を伝えていたことがわかります。君は結婚するが僕はそれでもまだ、その言葉を家の外から歌うよ。
・・・ちょっと、怖いですね。

3の部分は「きみにぼくの歌が嘆きを届けるのだ」までで、伴奏やメロディーは1の繰り返しですが、歌詞を読むと次にくる4が過去ではないことがわかります。
4の部分は再び日本語訳にカッコがついていますが、これは過去の回想ではなく現在の気持ちであると読みとれます。君は忘れるだろうけど、僕は昼だって夜だって君に悲痛な叫びを届けるよ。「ハッカやザクロのようなニーナ、あのキスを思い出してよってね。」

・・・ハッカやザクロに隠されたメッセージはいったい何なんでしょう。裏切り者、あばずれ、愚か者?それとも貞淑を奪ってやる、本当はお互いに好きだと思い込んでいる?

彼は毎日彼女の元に通って罵るような歌を歌うのでしょうか。
解釈によっては最高に恐ろしいストーカー男の歌になってしまいますね。怖!

●解釈の表現は歌う人次第

先ほどの解釈は最悪のストーカーを生み出してしまいましたが、同じ歌詞でも花言葉の美しい部分を重視して解釈すれば意味は変わります。

タイトルが「最後の歌」で曲の最後もやわらかく、きえるように歌が終わるので、失恋の辛さで自殺してしまったと考える人もいるかもしれません。


クラシック音楽の演奏家は曲を楽譜や歌詞、作曲家の性格や傾向から自分で想像を膨らませ、時には文献から答えを探して演奏表現をします。

また同じ歌手が歌っても、数年後に歌うと全く違う歌い方になっている場合もあります。



「最後の歌」に関して一般的な日本人が調べようと思っても、詳しい文献を大量に入手するのは難しい現状があります。

●聞き比べ

最初に紹介したソプラノ歌手カルメラ・レミージョさんの最後の歌はわりとストレートに哀しみを表現しているように感じる演奏でしたが、次に紹介する伝説の三大テノールの1人であるルチアーノ・パヴァロッティさんは何度もこの曲を歌い、若いときと後年の演奏には大きな違いがあります。

こちらは49歳のときに開かれた演奏会の映像。

勢いと迫力がすごいですね。

こちらは69歳の日本公演で歌ったときの映像です。
亡くなる3年前であり、パバロッティさんの集大成とも言える貴重な歌声。
若い時の勢いとは違う、語りかけるような表現は世界中のクラシックファンを魅了しました。

また、この動画には日本語訳がついていますがウィキペディアで紹介されていた訳とは少し違う部分もあります。外国語の曲は日本語に訳されるときにも翻訳家によって解釈が違うので面白いですね。

●まとめ

曲の意味がわかった後に聞き比べをしてみて、最初にこの曲を聴いたときと印象はかわりましたか?

クラシック音楽は演奏をする人次第で表現が変わると書きましたが、その演奏を聴いてどう解釈するのかは聞き手次第です。同じ演奏でも聞き手の知識や考え方によっては全く感想が変わるため、勉強すればするほど楽しめる。それがクラシック音楽の魅力でもあります。

トスティの歌曲「最後の歌」を例にして隠れた意味をまとめましたが、歌詞がなくても音自体に秘密が隠された曲、進行が意味深な曲など、面白い曲がまだまだ沢山あります。この曲をきっかけに、普段クラシック音楽に馴染みがない方でも、音楽を聴くとき、演奏するとき、作るときのヒントとしていただければ幸いです。

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