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ジャック・スレード (西部アウトロー列伝 7)

〝酒は気違い水〟〝酒は飲んでも飲まれるな〟とよく言うが、ジャック・スレードは完全に酒に飲まれてしまって、一生を棒に振った。もし、酒に飲まれなければ、立派に社会人として一生を全うできたはずなのだ。それが酒のせいで、26人もの人を殺す羽目になり、最後は縛り首になってしまった。

更新日: 2018年01月31日

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来栖崇良さん

ジャック・スレードは、1831年(1824年という説もある)、イリノイ州カーライルで生まれた。
本名はジョゼフ・アルフレッドという。

1847年、軍隊に入隊し米墨戦争に参加した。

伝えられるところでは、10代の頃、最初の殺人を犯したというが、詳細は不明。

あるいは、軍隊時代の殺人かもしれない。

除隊後、ヴァージニア・デルという娘と結婚、駅馬車の御者をした後、運送会社に勤め部長にまで昇進した。

ヴァージニアとの結婚生活は円満で、後年の殺人鬼スレイドも、ヴァージニアの尻に敷かれて頭が上がらなかったらしい。


この部長時代、後にバッファロー・ビルとして有名になる15歳の少年、ウィリアム・コディを雇った、というエピソードも伝えられている。

仕事は順調だった。

しかし、生来の酒癖の悪さが次第に頭をもたげてくる。普段はおとなしい男なのに、酒を飲むと人にからむ、暴言を吐く、喧嘩を売る。

しまいには、相手を殺してしまうことにもなった。まさに〝酒は気違い水〟である。もっとも、会社の利権を巡っての殺人もあったらしい。
とは言え、それで罪が帳消しというわけにもいかないが。

ただ、この頃の殺人は、何度か裁判沙汰になったようだが、有罪判決は受けずに済んだ。

1860年、コロラドのシューレスバーグという宿場に赴任したが、前任者でこの町のボスでもあったジュウーレス・ベニイという男の不正を発見、追求しようとした途端、ショットガンで撃たれて重傷を負う。

奇跡的に命をとりとめたスレードは、傷が治ると再びジュウーレスに挑戦して勝つ。

しかも、抵抗力を失った相手をなぶり殺しにし、耳を切り落として時計の飾りにした。
この時も深酒をして凶暴になっていたらしい。

この事件で、スレードは会社を首になる。

以後、無法の道へ傾斜し、当時悪名高かったヘンリー・プランマー強盗団にも参加したりした。

その間、酒癖の悪さはますますエスカレートし、次々と20人以上の男と決闘して相手を倒したという。

コロラドにいられなくなったスレードは、モンタナ州のヴァージニア・シティに移住、そこで運送業を始めた。

しかし、ここでも酒で暴れ、何度も事件を起こし、周囲の鼻つまみ者になっていく。

そして、1864年、駅馬車強盗が発覚して捕らえられ、裁判にかけられることになった。
そのうえ、判事を拳銃でおどしたため死刑判決を受け、3月14日、絞首刑に処せられた。

享年33歳。

ハロルド・シュスター監督

「コロラドの決闘」

(1953年、マーク・スティーブンス出演)

ハロルド・シュスター監督

「拳銃稼業」

(1955年、ジョン・エリクソン出演)

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