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ワイルド・ビル・ヒコック(西部保安官列伝 1)

西部開拓時代の男達をみると、その行動や人間性から保安官とアウトローにどんな違いがあるのか見えにくい。しかし、保安官が選挙によって選ばれていた背景を考えると、後年の人間の目には同列な殺人に感じるものも、同時代の人々にとってはそこにダンディズムがあったのかもしれない。

更新日: 2018年01月31日

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来栖崇良さん

6フィート3インチの長身、カスタムメイドのブーツ、黒い帽子、肩まで垂らした髪、灰色の鋭い目、威厳を示す口ひげ、肩幅は広く、腰は細い。

胸には銀の保安官バッジ、ガンベルトには愛用のスミス&ウエッソン。


ひとたび荒くれ者に挑まれれば、猫のようにしなやかな身のこなしで拳銃を引っこ抜き、正確に相手の胸を射抜く。


まるで絵に描いたような無敵の保安官ぶりだが、このとおりのガン・ファイトを彼は生涯に何度も演じているのだ。

1837年5月27日、イリノイ州トロイ・グローブの生まれ。
本名はジェームズ・バトラー・ヒコックだが、高い鼻とややめくれあがった上唇から〝ダック・ビル(鴨の嘴)〟縮めて「ビル」と呼ばれた。


18歳の時、運河の建設現場で殺人を犯し逃亡(実際は殺人未遂だったが)。

その頃、カンサス準州で起こった北部派と南部派の抗争に参加、1861年7月、南部派の10人に襲撃されるが、6人を射殺、一人を殴り殺し、残る3人をナイフで刺殺した。

この事件はその後、「ロック・クリークの殺戮」として有名になる。

南北戦争が始まると、ビルは北軍に入り、スカウト(偵察兵)として活躍。

除隊後、ミズーリ州スプリングフィールドでディーブ・タットという男と決闘して殺す。

これが作家ワード・ニコルスに知られて、ロック・クリーク事件をクライマックスとする実録「ワイルド・ビル」として、雑誌「ハーパーズ」に掲載され大評判となる。


翌年、ビルはリイ砦で連邦保安官補佐に任命され、ついで有名なカスター大佐が率いる第七騎兵隊にスカウトとして参加。

カスター大佐はビルのことを、「男の中の男だ」と激賞している。

その後、ビルはカンザス州ヘイズ・シティの保安官となり勇名を馳せた。

更に、各地の保安官を務め、無法者に対しては容赦なく銃弾を浴びせた。

本人によれば、6年間に36人を殺したという。
この数字は大げさかもしれないが、公式記録でも9人は確実に殺している。

ビルのマッチョな仕事で、治安維持の成果は上がり、テキサス州アビリーンの保安官を勤めた時は、通常の3倍の給料だった。

しかし、一方で、ビルのやり方があまりに暴力的だったため、批判の声も多かった。


1872年、ビルはバッファロー・ビルの主催する「西部ショウ」に参加、自分自身の役を演じたりしたが、その後はガイドや賭博で生活した。
しかし、視力の衰えを来たし、次第に精彩を欠くようになる。

1876年8月2日、サウス・ダコタのデッドウッドの酒場でカード・ゲームをしている最中、ジャック・マコールという男に背後から後頭部を撃たれて死亡する。

享年39歳。


因みに、この時ビルが手にしていたカードは黒のAと8のツーペアで、この事件後、デッドマンズ・ハンド(死の手)と言われるようになった。

セシル・B・デミル監督「平原児」
(1936年、出演ゲーリー・クーパー)


ジュリー・ホッパー監督の「ミズーリ大平原」
(1953年、出演フォーレスト・タッカー)


アーサー・ペン監督の「小さな巨人」
(1971年、出演ジェフ・コリー)


J・リー・トンプソン監督「ホワイト・バッファロー」
(1977年、出演チャールズ・ブロンソン)


ウォルター・ヒル監督の「ワイルド・ビル」
(1995年、出演ジェフ・ブリッジス)

など

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