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哲学名著集|チャレンジしてみる価値ありの哲学名著たち

チャレンジして損はない!そんな本を集めてみました。

更新日: 2017年06月23日

哲学な夜さん

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とにかく読み始める!

どーせ分からなくてストレスを溜め込むのだろう…。そこかしこで理解できない文章に出くわすことを予感して、哲学思想に興味を持ちながらも入門書から一歩踏み出すのを躊躇している方々へ。

その気持ち、よーく分かります。理解できなさ加減がハンパでないときの、あとからジンワリ来る痛みにも似た衝撃は、たとえようがありません。
〈現代思想PTSD〉という言葉を創出した内田樹は、できれば触れられたくないこの〈傷〉を的確に拾いあげています。

本格的読書の手前で足踏みするのは、心的衝撃をあらかじめ予見した無意識が防衛本能をはたらかせているからなのかもしれません。

しかし、専門家でさえ細部にいたるすべてを理解しているわけではなく、たとえばドゥルーズ研究者は「この箇所でドゥルーズがなにを言いたいのかさっぱり分からない…」と悩みながら本を読むのですから、理解できなくてなにが悪いと開き直るのが、じつは〈理解〉への近道なのだと思います。

そんなのは寝っ転がりながら読むものだ、こう言い放ち、背筋を伸ばし正座で拝読するものとそれまで考えられていた『資本論』をポップな書物へ引き下ろした浅田彰の読書観が、今更ながら参考になります。

本格的読書へ飛び込んでみませんか?

『千のプラトー』

ジル・ドゥルーズ + フェリックス・ガタリ|河出文庫

とにかく本の中へ飛び込んでしまうこと。ほんの三行、いや、たった一行の言葉の「これは!」に遭遇できただけでも、その本との付き合いに成功したと評してよいのではないでしょうか。

「これは!」との遭遇を、ドゥルーズ + ガタリなら〈アレンジメント〉とよぶでしょう。
あるいは、遭遇以降の思考に沁み透った「たった一行の言葉」が、思考の成分として〈思考 - と - 共に〉思考することこそを〈アレンジメント〉とよぶでしょう。

そのとき思考は〈生成変化〉を通過しています。思考ばかりか、「たった一行の言葉」のほうも〈生成変化〉を通過しており、いわば相互に相手の生成変化を促す関係に入っています。

「たった一行の言葉」が思考へ移行し、思考へと生成する一方、思考は沁み透られるというかたちで「たった一行の言葉」へ移行し、「たった一行の言葉」へと生成する。
「たった一行の言葉」が、「たった一行の言葉」にとって〈他なるもの〉である思考へと生成変化するのと同時に、思考は、思考にとって〈他なるもの〉である「たった一行の言葉」へと生成変化する。

しかも思考とは、他なるものへの移行、〈他なるもの=他者〉への生成変化でなければそもそも〈思考〉ではありえない。たまたま他者へ移行したのではない。〈移行〉による他者への〈生成変化〉においてしか思考は「思考できない」のだ。

移行する前が〈思考の「本当の」姿〉なのではないし、移行した後が〈思考の「仮象の」姿〉なのでもない。「本物/偽物」という二項対立図式の外部でこそ生成変化は起こるのだし、二項対立図式を脱臼させるのが生成変化なのである。
このようなものとして生成変化は、〈出来事〉とよばれるにふさわしい。

言葉と思考に限った話ではない。人は、動物にも、植物にも、女性や子どもにも生成変化するし、いまこの瞬間も生成変化を繰り返している。世界のすべてが移行しており、というか「世界とは移行のことであり」、それゆえ世界は生成変化を決してやめないだろう。


…かくも面白い哲学が『千のプラトー』には溢れかえっています。本が待っています。もったいないですから今すぐ行動開始です!

フーコーまとめに匹敵するぐらい詳細に立ち入ったドゥルーズ論になりかけていますが、『千のプラトー』紹介はこれでおしまい。

『哲学とは何か』

ジル・ドゥルーズ + フェリックス・ガタリ|河出文庫

本書のタイトルは、『哲学とは何か』である。
哲学とは、《力》を正確につかみ、それを哲学のうちへ引き込むことを任務とする。こうドゥルーズ + ガタリは哲学を定義している。

世界的資本主義もヨーロッパ人も、「人間」もキリスト教も、民主主義も人権も、ことごとく小さな〈脱領土化〉、中途半端な〈脱領土化〉に終始してきた。その結果、不平等、不正、暴力、破廉恥が維持され、それがあたかも正義であるかのように考えられてきた。

大規模な〈脱領土化〉を推し進めること、加速させることが、哲学の役割だと本書『哲学とは何か』が宣言するのはそのためだ。それには哲学自体が伝統哲学から脱領土化する必要があり、そうして哲学は〈脱領土化〉そのものへ〈移行〉し、脱領土化の《力》へ〈生成変化〉を遂げるわけだが、それは〈中途半端に脱領土化=不平等で悲惨な再領土化〉段階で運動を停止してしまっている世界の硬直性を突き破り、世界の脱領土化を大規模に再開するためにそうするのである。

〈領土 - 脱領土化 - 再領土化〉は、世界へ乗り出した近代ヨーロッパ人の行動にこそ十全に現れている。そもそもヨーロッパ人が、おのれの文明文化を、キリスト教を、とりわけ「人間」を布教するべく、それぞれ独自の「歴史文化伝統という〈領土〉」のなかに生きていた人類を〈脱領土化〉し根無し草化して、そうして人類全体をおのれのうえに〈再領土化〉してきたのである。人類のヨーロッパ人化、「人間」化である。非西洋圏の膨大な人びとがこれを通じて多かれ少なかれ〈移行〉先のヨーロッパ人へ〈生成変化〉し、とりわけ〈移行〉先の「人間」へ〈生成変化〉した。

その一方で、ヨーロッパ人の世界進出とぴったり重なるように、世界的資本主義は文字どおり世界を資本主義に巻き込み、世界各国(の膨大な人びと)を、「歴史文化伝統という〈領土〉」から引き剥がし、すべてを資本主義的〈流動〉の渦中へ投げ込んだ。〈脱領土化〉である。だが、そのようにして世界各国(の膨大な人びと)をおのれの一部と化した世界的資本主義は、近代民族国家のうえでおのれ自身を〈再領土化〉し、「国家としての資本主義」という姿へ〈生成変化〉した。

人間化されるわ資本主義化されるわで、非西洋文化圏にとっては踏んだり蹴ったりである…と言いたいところだが、事はそれほど単純ではない。
どういうことか?

わたしたち自身の成長にも「領土を脱領土化する《力》」および「脱領土化を再領土化する《力》」がはたらいているからだ。ヒト科は、地面という〈領土〉から引き離すことで「前足」を〈脱領土化〉し、そうして、それを「手」に仕立てあげ、棒や道具のうえで、手になった前足を〈再領土化〉する。前足の、手への〈生成変化〉である。
見落としがちだが、一本の棒もまた、樹木という〈領土〉から〈脱領土化〉した木の枝、一本の棒へ〈再領土化〉した木の枝だ。

このように生態系の水準ですら、脱領土化 - 再領土化という《力》で満たされている。あたかも「〈流動〉という大地」が、世界をまるごとおのれのうちに引き込もうとするかのようにすべてを脱領土化し〈流動〉的〈根無し草〉にすると「同時に」、それまでとは異なる〈他なるもの〉へすべてを再領土化する〈生成変化〉の連続を、わたしたちは「世界」とよんでいるのだ。

〈脱領土化 - 再領土化〉は、ヨーロッパ人が発明したのでもなければ資本主義が発明したのでもなく、ヨーロッパ人と世界資本主義は、ヒト科の成長においてさえ確認できる〈脱領土化と再領土化〉の運動をわがものとして横領し、それを自らの《力》にしてきたのだ。まさにそのことが、ヨーロッパ人と世界資本主義が「強い」理由なのである。

誤解は解けただろうか。本書『哲学とは何か』は、ヨーロッパ人と世界資本主義が地球を脱領土化に引き込んだことを非難しているのではない。むしろ逆である。中途半端で不徹底極まる脱領土化しかできない〈自己保身〉の臆病を非難しているのだ。

〈脱領土化 - 再領土化〉の反復、それは、《自己という領土》からの〈脱領土化〉の絶えざる繰り返しを通じて《自己でない何ものか》への再領土化=生成変化を次つぎと生産し、世界の多様化を加速させる運動あるいは力である。そのようにして世界はただただ生成変化を増幅し、多様性を膨張させていく。

…いまこうして書いているあいだも思い出しては知的興奮がよみがえる、ダイナミックな常識破りで読者にめまいをもたらす哲学書、それが『哲学とは何か』なのです。
迷っている暇はありません、いますぐ読みはじめてみませんか?

本書は思考について、哲学の思考、芸術の思考、科学の思考にタイプ分けし、それぞれの特性を詳しく説明していますが、芸術の思考でとりあげる小説『白鯨』の〈鯨 - に - 成る〉場面描写のワクワク感は、みなさんが『哲学とは何か』を手にとって是非味わってみてください。

『他者の記号学』

ツヴェタン・トドロフ |法政大学出版局

『ピエール・リヴィエール』

ミシェル・フーコー(編著)|河出文庫

『イェルサレムのアイヒマン』

ハンナ・アーレント|みすず書房

大哲学者マルティン・ハイデガーに師事したことで知られるハンナ・アーレント。

ですが、「哲学者」というよりもどちらかというとアーレントは「政治哲学者」の発想でものを書くうえに、アイヒマンが裁かれる過程のルポタージュの体裁をとるため、本書『イェルサレムのアイヒマン』の文章は難しくありません。ストレスを感じることなく読み進めることができる水準です。

とはいえ、なんら特別な悪人でも、なんら特別な善人でもない、「ごくフツーの人」アイヒマンがナチス体制のもとジェノサイドという法外な暴力を行使しえたことを、読者の感情に訴えることなく淡々と記述する筆致がかえってアイヒマンの不気味さを印象づけます。

哲学特有の文章と格闘するつもりで本書を手にすると期待はずれに終わりますが、文章の難解度が低い分、〈悪〉について読者に思考を強いることに余念のない、まさに「政治哲学」の本です。

思考を強いるカラクリ、それは、ユダヤ人ジェノサイドを担ったアイヒマンが〈フツーの人〉だったという事実を本書が余すところなく伝え、読者とアイヒマンが入れ替わり可能であることを示唆する点にあります。

『ホッブズの政治学』

レオ・シュトラウス|みすず書房

『ディアローグ』

ジル・ドゥルーズ + クレール・パルネ|河出文庫

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