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(随時更新)今日の武将・戦国武将を毎日一人ずつ御紹介

できるだけ毎日、戦国武将・武士を一人ずつ概略を追加いたします。できない日はごめんなさいm(_ _)m なお、時代的にはこだわらず、平安時代~戦国時代~安土桃山時代~江戸時代からご紹介。徐々に戦国武将一覧ができあがりますので応援して下さい♪(本日の武将・日替わり武将・夏休み自由研究)

更新日: 2018年05月04日

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できるだけ毎日更新したいと思いますが事情により更新できない日もございます。また、数日分をまとめて更新する場合もございます。m(_ _)m

hogehogemanさん

戦国武将を毎日一人ずつ紹介中

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、明智光秀、武田信玄、
上杉謙信、足利尊氏、毛利元就、斎藤道三、浅井長政、
真田信繁、石田三成、伊達政宗、井伊直政、島津義弘、
竹中半兵衛、山本勘助、松永久秀、片倉小十郎、長宗我部元親、
北条氏政、今川義元、朝倉義景、柴田勝家、黒田孝高、
六角承禎、三好長慶、前田利家、加藤清正、本多忠勝、
楠木正成、直江兼続、佐々成政、高山右近、大谷吉継、
大友義鎮、尼子晴久、武田勝頼、山中鹿之助、酒井忠次、
藤堂高虎、細川忠興、佐竹義重、秋山虎繁、小早川秀秋、
山内一豊、福島正則、佐久間信盛、平清盛、源義朝、
飯富虎昌、真田昌幸、荒木村重、宇喜多秀家、中川清秀、
滝川一益、丹羽長秀、大野治長、豊臣秀長、榊原康政、
太源雪斎、池田恒興、諏訪頼重、甘利昌忠、山県昌景、
豊臣秀頼、松平信康、本多正信、安国寺恵瓊、村上義清、
板垣信方、真田信之、小笠原長時、黒田長政、徳川秀忠、
井上之房、龍造寺隆信、森可成、大久保忠教、穴山梅雪、
北畠具教、島左近、九鬼嘉隆、源義仲、足利義政、
服部半蔵、後藤又兵衛、織田信行、前野長康、母里太兵衛、
足利義満、土井利勝、佐々木道誉、源範頼、太田道灌、
北条氏直、細川藤孝、柳生宗厳、足利義昭、高師直、

小西行長、織田有楽斎、吉川広家、筒井順慶、仙石秀久、
足利義詮、源行家、最上義光、池田輝政、古田織部、
宇喜多直家、斎藤利三、北条時政、平忠盛、織田信忠、
北条氏直、春日虎綱、蒲生氏郷、毛利良勝、上杉景勝、
北条高広、毛利勝永、織田信雄、吉川元春、本多作左衛門、
森蘭丸、別所長治、土岐頼遠、浅野長政、服部一忠、
森可隆、北条高広、鳥居強右衛門、小山田信茂、織田信孝、
渡辺半蔵、森坊丸、馬場信春、明石全登、上杉景虎、
長宗我部盛親、北条早雲、京極高次、内藤昌豊、塙団右衛門、
加藤嘉明、北条氏綱、来島通総、木村重成、織田信包、
森忠政、宗義智、陶晴賢、浅野幸長、今川氏真、
片桐且元、村井貞勝、林通勝、北条氏康、森力丸、
石川数正、津軽為信、平手政秀、南部信直、宗義智、
可児才蔵、九戸政実、菅屋長頼、板倉勝重、河尻秀隆、
斯波義銀、北条綱成、塙直政、金森長近、源経基、
平高望、溝口秀勝、兼松正吉、森長可、蜂須賀家政、
平正盛、源為義、毛利輝元、有馬晴信、秋田実季、
堀尾吉晴、中村一氏、足利貞氏、小早川隆景、長束正家、
松平広忠、武田信虎、足利直義、竹中重門、斎藤龍興、
成瀬正成、北条高時、斎藤義龍、結城秀康、武田信繁、

織田信広、徳川義直、源義経、増田長盛、蜂須賀小六、
源義光、大内義隆、戸田康光、内藤家長、落合左兵次、
大久保忠世、松平忠輝、加藤貞泰、前田利長、真田幸隆、
雑賀孫一、成田長親、小田氏治、高橋元種、古田重治、
寺沢広高、堀秀治、鍋島直茂、安東愛季、田中吉政、
源頼義、有馬豊氏、山名宗全、松平忠吉、佐久間盛重、
堀尾忠晴、斎村政広、相馬隆胤、戸沢政盛、浅井久政、
小笠原吉次、武田信吉、今川氏親、豊嶋泰経、京極高知、
筒井定次、清水宗治、相馬義胤、神保長職、島津貴久、
立花宗茂、小山田虎満、毛受勝照、横井時泰、黒田熊之助、
伊達輝宗、佐久間盛政、土岐頼芸、小笠原貞慶、一条信龍、
小畠虎盛、小幡昌盛、三枝昌貞

三枝昌貞 2018/4/24(火)追加

三枝 昌貞(さいぐさ まささだ)は、戦国時代の武将。甲斐国武田氏の家臣で足軽大将。武田二十四将の一人に数えられる。

諱は「守友(もりとも)」とされてきたが、近年は確実な文書上の表記から「昌貞」であることが指摘される。

三枝守友(さいぐさ もりとも) ????~1575
○宗四郎?宗次郎? 勘解由 左衛門尉 善右衛門 山県氏
◇父:三枝土佐守虎吉 養父:山県昌景 子:三枝守吉 弟:三枝源左衛門守義、平右衛門昌吉
 三枝氏は古代の姓"三枝の連"よりその存在が確認されている名族。甲斐・武田氏臣。武功を重ね、その勇猛さに感じ入った山県昌景は、愛蔵の吉光の名刀を与え猶子にしたといわれる。長篠合戦では前当主信玄の弟兵庫介信実副将として参陣したが、三河・松平氏臣酒井忠次の夜襲を受けて共に戦死した。38歳。

小幡昌盛 2018/4/16(月)追加

小幡 昌盛(おばた まさもり)は、戦国時代の武将。甲斐国武田氏家臣で足軽大将。武田信玄、武田勝頼の2代に仕える。父は小畠虎盛(小幡虎盛)で次男。叔父に小幡光盛がいる。仮名は孫十郎だが、『甲陽軍鑑』や『軍鑑』に基づいた『甲斐国志』では孫次郎としている。武田二十四将の一人に数えられる。

1534-1582 戦国-織豊時代の武将。
天文(てんぶん)3年生まれ。小幡虎盛の子。小幡景憲(かげのり)の父。武田信玄・勝頼2代につかえ,旗本足軽大将衆となる。川中島,三方原,長篠の戦いなどに出陣。武田氏滅亡5日前の天正(てんしょう)10年3月6日病死した。49歳。幼名は孫次郎。通称は又兵衛。

小畠虎盛 2018/4/12(木)追加

小畠 虎盛(おばた とらもり)は、戦国時代の武将。武田信虎、武田信玄の2代に仕える。父は小畠日浄(盛次)。

元々は遠江国の出身で、父親が武田信虎に仕官したのに伴い1500年(明応9年)に甲斐国に入る。1504年(永正元年)に父が今井信是の叛乱鎮圧に出陣して討死すると14歳で家督を継いだ。信虎麾下の足軽大将として甲斐国統一戦や今川氏、後北条氏との戦いで活躍。大永元年に今川氏配下の福島正成が甲斐に攻め込んできた際には、原虎胤と共に先鋒として迎撃の最前線を担ったとされる。それら今川、北条氏との戦功から信虎の偏諱を受けて「虎」の一字を貰い、虎盛と名乗って、その武勇から「鬼虎」と称された。

1541年(天文10年)信虎追放後は信玄に従って活躍、1551年(天文20年)に信玄が入道すると原虎胤や真田幸隆らとともに剃髪して日意と号す。永禄年間には高坂昌信の副将として海津城に入り対上杉氏の抑えとして活躍、1561年(永禄4年)6月に病死。享年71。遺言の「よくみのほどをしれ」は有名。生涯で36回の合戦に参加して貰った感状も36枚、41ヶ所の傷を受けた歴戦の勇将である。

一条信龍 2018/4/6(金)追加

一条 信龍(いちじょう のぶたつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。甲斐国武田氏当主・武田信虎の八男(九男とする説もある)。武田信玄の異母弟。武田二十四将の1人。甲斐市川郷上野城(山梨県市川三郷町上野)主。

信虎の末子とされる。系図類では河窪信実の弟とされているが、天正10年(1582年)に信龍の子・信就が右衛門大夫の官途を称し、信実の子・河窪信俊が新十郎の仮名しか称していないため、信龍の方が実は年長ではないかとも推定されている。

戦闘時には、主に後衛を担当していたためか武名は伝わっていないが、『甲陽軍鑑』では、山県昌景、馬場信春など重鎮7人の武将のうちに数えられている。信玄の駿河国侵攻後、駿河田中城代を務めた。天正3年(1575年)の長篠の戦いにも参戦し、『甲陽軍鑑』によると佐久間勢に攻撃を加えて二重の柵を破るまでの活躍を見せ、敗走する友軍の中で馬場信春勢と戦場に留まり、勝頼の戦線離脱を見極めた後で退却している。後に田中城代を子信就に譲り、武田信堯(信友の子)と共に駿府城代に転じたという。

天正10年(1582年)の織田信長による甲州征伐では、2月に徳川軍の駿河侵攻を受け、3月2日に駿河を撤退して上野城に戻る。『甲陽軍鑑』によれば勝頼は3月3日に新府城(韮崎市)を焼き払うと郡内へ向かい、途中甲府の信龍屋敷で休息を取ったという。信龍は同方面より侵攻した徳川家康の三河勢に上野城を包囲され、3月10日、三河勢1万に対し手勢3百で突撃して信就と共に討死にした。

小笠原貞慶 2018/4/4(水)追加

小笠原 貞慶(おがさわら さだよし/さだのり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。信濃守護・小笠原長時の三男。小笠原流弓馬術礼法宗家。

没年:文禄4.5.10(1595.6.17)
生年:天文15.8.12(1546.9.6)
安土桃山時代の武将。長時の3男。幼名小僧丸,通称喜三郎。右近大夫。父が武田信玄によって信濃(長野県)を追われると上京して三好長慶を頼り,のち織田信長に従う。天正10(1582)年に信長が死ぬと徳川家康の後ろ盾で深志城に入り,旧領を回復して同地を松本と改称した。同13年に豊臣秀吉に属すが,2年後再び家康の配下に戻る。同17年,子の秀政に家督を譲り,翌年秀政が下総国葛飾郡古河に移封されるとこれに伴い,同地で死去した。小笠原氏の近世大名としての基礎を築いた策略家であった。

土岐頼芸 2018/4/1(日)追加

土岐 頼芸(とき よりあき/ - よりなり/ - よりのり/ - よりよし)は、戦国時代の美濃国の守護大名。土岐政房の次男。

土岐氏当主で兄の頼武及びその子・頼純の嫡流と対立、美濃国とその周辺国を巻き込んだ争乱の末、土岐氏当主、美濃守護となった。しかし、後に重臣の斎藤道三に追放された。

土岐頼芸 とき-よりなり
1501-1582 戦国-織豊時代の武将。
文亀(ぶんき)元年生まれ。土岐政房(まさふさ)の次男。斎藤道三に擁立され,兄土岐頼純(よりずみ)を越前(えちぜん)(福井県)に追放して美濃(みの)(岐阜県)守護となる。天文(てんぶん)21年道三とあらそって敗れ,のち尾張(おわり)(愛知県)の織田信長をたよったとされる。鷹(たか)の絵が得意で,土岐洞文と同一人物との説もある。天正(てんしょう)10年12月4日死去。82歳。

佐久間盛政 2018/3/31(土)追加

佐久間 盛政(さくま もりまさ)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。織田氏の家臣。御器所西城主。佐久間氏の一族。官途および通称は玄蕃允。勇猛さから鬼玄蕃と称された。

佐久間盛次の子。佐久間安政、柴田勝政、佐久間勝之の兄。佐久間信盛は従叔父にあたる。

1554‐83(天文23‐天正11)
織豊期の武将。尾張の出身で父盛次とともに織田信長に仕える。母は柴田勝家の姉。初め修理といい,のちに玄蕃允と称する。加賀一向一揆に対処するため同国の守護に任ぜられ,一揆を鎮圧する。1580年(天正8)伯父佐久間信盛の失脚に連座して蟄居(ちつきよ)したが,許されて柴田勝家に属する。83年の賤ヶ岳の戦では勝家方として活躍したが,敗戦により捕らえられて斬首された。

伊達輝宗 2018/3/29(木)追加

伊達 輝宗(だて てるむね/てりむね)は、戦国時代の武将・戦国大名。伊達氏第16代当主。

1544-1585 戦国-織豊時代の武将。
天文(てんぶん)13年9月生まれ。伊達晴宗の次男。永禄(えいろく)8年家督をついで出羽(でわ)米沢城(山形県)城主となる。天正(てんしょう)12年家督を長男の政宗にゆずって隠退。翌13年二本松義継に捕らえられ,救出にむかった伊達勢の銃撃で,10月8日義継とともに最期をとげた。42歳。幼名は彦太郎,総次郎。

黒田熊之助 2018/3/26(月)追加

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