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(毎日更新)今日の武将・戦国武将を毎日一人ずつ御紹介

できるだけ毎日、戦国武将・武士を一人ずつ概略を追加いたします。できない日はごめんなさいm(_ _)m なお、時代的にはこだわらず、平安時代~戦国時代~安土桃山時代~江戸時代からご紹介。徐々に戦国武将一覧ができあがりますので応援して下さい♪(本日の武将・日替わり武将・夏休み自由研究)

更新日: 2017年09月21日

hogehogemanさん

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戦国武将を毎日一人ずつ紹介中

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、明智光秀、武田信玄、
上杉謙信、足利尊氏、毛利元就、斎藤道三、浅井長政、
真田信繁、石田三成、伊達政宗、井伊直政、島津義弘、
竹中半兵衛、山本勘助、松永久秀、片倉小十郎、長宗我部元親、
北条氏政、今川義元、朝倉義景、柴田勝家、黒田孝高、

六角承禎、三好長慶、前田利家、加藤清正、本多忠勝、
楠木正成、直江兼続、佐々成政、高山右近、大谷吉継、
大友義鎮、尼子晴久、武田勝頼、山中鹿之助、酒井忠次、
藤堂高虎、細川忠興、佐竹義重、秋山虎繁、小早川秀秋、
山内一豊、福島正則、佐久間信盛、平清盛、源義朝、

飯富虎昌、真田昌幸、荒木村重、宇喜多秀家、中川清秀、
滝川一益、丹羽長秀、大野治長、豊臣秀長、榊原康政、
太源雪斎、池田恒興、諏訪頼重、甘利昌忠、山県昌景、
豊臣秀頼、松平信康、本多正信、安国寺恵瓊、村上義清、
板垣信方、真田信之、小笠原長時、黒田長政、徳川秀忠、

井上之房、龍造寺隆信、森可成、大久保忠教、穴山梅雪、
北畠具教、島左近、九鬼嘉隆、源義仲、足利義政、
服部半蔵、後藤又兵衛、織田信行、前野長康、母里太兵衛、
足利義満、土井利勝、佐々木道誉、源範頼、太田道灌、
北条氏直、細川藤孝、柳生宗厳、足利義昭、高師直、

小西行長、織田有楽斎、吉川広家、筒井順慶、仙石秀久、
足利義詮、源行家、最上義光、池田輝政、古田織部、
宇喜多直家、斎藤利三、北条時政、平忠盛、織田信忠、
北条氏直、春日虎綱、蒲生氏郷

蒲生氏郷 2017/9/21(木)追加

蒲生 氏郷(がもう うじさと)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。初め近江日野城主、次に伊勢松阪城主、最後に陸奥黒川城主。

[生]弘治2 (1556). 近江
[没]文禄4 (1595).2.7. 京都
安土桃山時代の武将。幼名鶴千代,初名賦秀,通称忠三郎,受洗名レオ。江州日野音羽城主で,もと佐々木氏に属し,のち織田信長に仕えた蒲生賢秀の子。若年で信長の人質となり,次いで豊臣秀吉に仕え,しばしば戦功をたて,天正12(1584)年,伊勢松ヶ島(→松阪市)12万石の城主となった。同 18年の小田原征伐の功として会津若松へ移封,42万石を領した。文禄2(1593)年,91万9300石に加増。同 4年,文禄の役に際し従軍中罹患して病没。茶を千利休に習い,文武両道に通じた名将と伝えられている。

春日虎綱(香坂昌信) 2017/9/20(水)追加

春日 虎綱 / 香坂 昌信(かすが とらつな / こうさか まさのぶ)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏家臣で譜代家老衆。幼名は春日源五郎(かすがげんごろう)。武田晴信 (信玄)・勝頼に仕え、武田四天王の一人として数えられる。

1527-1578 戦国-織豊時代の武将。
大永(たいえい)7年生まれ。甲斐(かい)(山梨県)の武田信玄に近習としてつかえ,弘治(こうじ)2年信濃(しなの)(長野県)海津(かいづ)城代となる。川中島一帯を守備,上杉謙信との合戦で功をたてた。信濃の名族高坂(香坂)氏をつぎ,のち春日姓にもどった。天正(てんしょう)6年5月7日死去。52歳。別名に昌信など。通称は源五郎,弾正忠。

一般的に「高坂昌信」の名前で知られるが、姓については「高坂」または「香坂」姓を用いたのは最も長くて弘治2年(1556年)から永禄9年(1566年)9月までの11年間である。この「高坂」または「香坂」姓は信濃国更級郡牧ノ島の香坂氏の家督を継承していることに由来する。香坂氏は武田領と反武田の北信濃国人・上杉謙信との境目に位置しつつ唯一武田側に属しており、虎綱が養子に入った背景にも香坂氏の川中島地域における政治・軍事的立場が考慮されたと考えられている。

北条氏直 2017/9/19(火)追加

北条 氏直(ほうじょう うじなお)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。相模国の戦国大名で小田原城主。後北条氏の第5代当主である。父は北条氏政、母は武田信玄の娘・黄梅院。父と共に後北条氏の最大版図を築き上げたが、外交の失敗で豊臣秀吉による小田原征伐を招き、後北条氏の関東支配は終焉を迎えた。

没年:天正19.11.4(1591.12.19)
生年:永禄5(1562)
安土桃山時代の武将。相模小田原城主。氏政と武田晴信(信玄)の娘の子。幼名は国王丸,通称新九郎。左 京大夫。斎号は見性斎。永禄12(1569)年5月,父氏政に身を寄せる今川氏真の養子となり,駿河国を譲られ,のち武田勝頼と駿河黄瀬川で対陣中の天正8(1580)年8月19日,氏政の家督を継いで5代目当主となる。同10年6月の本能寺の変の直後,織田信長の部将で関東管領であった滝川一益を上野厩橋城に攻め,関東から駆逐。さらに信濃小県・佐久地方を平定して甲斐に進出。武田氏旧領の支配を巡って徳川家康と争い,若神子で対陣した。同年10月,上野の領有と家康の娘督姫との婚姻を条件に講和を結び,翌11年8月督姫と結婚。同17年に名胡桃城奪取事件を起こし,翌年の豊臣秀吉による小田原攻めを招く。7月5日に降伏し高野山に追放されたが,翌19年2月に赦免され,1万石を与えられて大坂に移った。同地で死去。これにより嫡流は断絶。頼りにした岳父家康からも見捨てられている。

織田信忠 2017/9/18(月)追加

織田 信忠(おだ のぶただ)は、戦国時代~安土桃山時代の武将・大名。織田信長から生前に家督を譲られ織田家当主であったが、本能寺の変で自刃した。岐阜城主。

没年:天正10.6.2(1582.6.21)
生年:弘治3(1557)
安土桃山時代の武将。織田信長の長男。母は生駒氏。幼名奇妙丸,通称を菅九郎といった。元亀3(1572)年1月,岐阜城において元服し,7月,父に従って近江小谷城を攻めたのが初陣。天正3(1575)年,長篠の戦ののち,美濃岩村城を攻め,守将秋山信友を虜にした功により秋田城介に任じられた。翌4年,信長が安土城を築いてそこに移ると岐阜城主となり,美濃・尾張2カ国の支配をまかされている。同10年の武田勝頼討伐のときには先鋒の大将として甲斐に攻め入り,戦功をあげ,特に武田残党を匿った恵林寺を攻め,長老快川紹喜ら寺僧百五十余人を焼き殺したことは有名である。その後,豊臣秀吉を応援するため上洛し,妙覚寺に泊まったが,6月2日,本能寺が明智光秀軍に囲まれたことを知って救援に馳せつけようとしたとき,本能寺が焼け落ちたとの報を得て二条御所に入り,誠仁親王を逃がしたあと,同所で自刃した。

平忠盛 2017/9/17(日)追加

平 忠盛(たいら の ただもり)は、平安時代末期の武将。平清盛の父。烏帽子親は義兄の源義忠

[生]永長1(1096)
[没]仁平3(1153).1.15.
平安時代末期の武将。正盛の子,清盛の父。永久1 (1113) 年強盗を捕えた功で一躍従五位下に叙せられた。同年の永久の強訴にも父とともに活躍。大治4 (29) 年備前守であった忠盛は,山陽,南海道の海賊追捕を行なった。彼を任用した白河法皇が同年に没し,鳥羽上皇が院政を開始すると正四位下に叙せられ,武名と財力 (国守歴任,および宋との貿易による富) とを背景に,院と密接な関係を結んで昇殿を望んだ。長承1 (32) 年得長寿院造営の賞として待望の内裏昇殿が許され,平氏政権の基盤を築いた。

北条時政 2017/9/16(土)追加

北条 時政(ほうじょう ときまさ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。伊豆国の在地豪族の北条時方(もしくは時兼)の子。源頼朝の正室・北条政子の父。鎌倉幕府の初代執権。
家系は桓武平氏平直方流を称する北条氏であるが、直方流は仮冒で伊豆国の土豪出身という説もある。

1138‐1215(保延4‐建保3)
鎌倉幕府の初代執権。時方の子。母は伊豆掾伴為房の娘。伊豆国北条(現,静岡県韮山町)を本拠とする在庁官人で,北条四郎と称した。源頼朝が伊豆に流されていたとき,娘の北条政子が頼朝の妻となるのを許した。1180年(治承4)頼朝が平氏打倒の兵を挙げるとこれを助け,まず伊豆の目代山木兼隆(やまきかねたか)を討った。しかし相模の石橋山の戦には敗れて安房に逃れた。ついで頼朝の命を受けて甲斐に赴き,同国の武田信義らを味方につけ,甲斐,信濃の源氏を伴って頼朝の本隊に合流し,駿河の富士川の戦で平維盛の東征軍を敗走させた。

斎藤利三 2017/9/15(金)追加

斎藤 利三(さいとう としみつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。
明智光秀の家臣。
春日局の父。

戦国・安土桃山時代の武将。
明智光秀の家臣。
内蔵助。
生年は天文3(1534)年とも同7年ともいう。
利賢の子。
母は明智光秀の妹とも斎藤親順の娘ともいい,妻についても斎藤道三の娘,稲葉良通(一鉄)の娘あるいは姪など,諸説がある。
初め一鉄に仕えたが,やがて光秀に迎えられ,その家老として丹波に住す。天正10(1582)年,本能寺の変に従軍。
続く山崎合戦で秀吉に敗れ近江堅田に逃れるが,捕らえられ六条河原で斬首される。
その首は光秀の首と共に本能寺にさらされ,屍もともに粟田口で磔に処された。
なお,徳川3代将軍家光の乳母春日局は利三の娘である。

宇喜多直家 2017/9/14(木)追加

宇喜多 直家(うきた なおいえ)は、戦国時代の武将。備前国の戦国大名。通称は三郎右衛門尉、のち和泉守。官位は従五位下。宇喜多興家の子。子に秀家など。室は中山信正の娘、後に鷹取氏あるいは三浦氏の娘とされる円融院。

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