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(毎日更新)今日のお城・日本のお城を毎日一城ずつ御紹介

お城を毎日掲載。更新できない日はご勘弁を。名古屋城、大阪城、五稜郭、姫路城、熊本城、竹田城、犬山城、丸岡城、岩村城、井伊谷城、岡崎城、二俣城、清洲城、浜松城、駿府城、松本城、彦根城、松前城、松山城、金山城、高知城、鳥取城、古宮城、小牧山城、田中城、他多数。(本日のお城・日替わり・夏休み自由研究)

更新日: 2017年09月24日

hogehogemanさん

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お城・城跡の掲載リスト

江戸城、名古屋城、那古野城、勝幡城、大阪城(大坂城)、
五稜郭、姫路城、熊本城、竹田城、犬山城、
丸岡城、岩村城、井伊谷城、岡崎城、二俣城、
清洲城、浜松城、駿府城、小田原城、弘前城、
松本城、彦根城、松前城、岡城、愛媛松山城、
新田金山城、高知城、鳥取城、弘前城、古宮城、
小牧山城、田中城、高根城、一乗谷朝倉氏遺跡、岐阜城、
鬼ノ城、安土城、高島城、讃岐高松城、大高城、
松代城、上田城、高知城、墨俣城、赤木城、
篠山城、備中松山城、根城、鹿児島城、盛岡城、

仙台城、沼田城、名胡桃城、石垣山城、備中高松城、
松江城、苗木城、和歌山城、宇和島城、岩櫃城、
龍岡城、波賀城、真弓山城(足助城)、丸亀城、
盛岡城、多賀城、近江坂本城、佐和山城、白河小峰城、
戸石城、鳥越城、久保田城、山形城、鞠智城、
二条城、能島城、二本松城、伊丹城(有岡城)、高槻城、
会津若松城(鶴ヶ城)、岸和田城、吉田城、甲府城、鉢形城、
小諸城、洲本城、中城城、長浜城、浪岡城、
高天神城、掛川城、七戸城、知覧城、九戸城、
志布志城、志波城、姫松館、佐土原城、大給城、

岩切城、都於郡城、檜山城、田丸城、佐伯城、
脇本城、臼杵城、畑谷城、八代城、長谷堂城、
猪苗代城、佐敷城、向羽黒山城、日野江城、久川城
原城、小幡城

■このうち↑現存する天守をもつお城(12城)
弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、
松江城、備中松山城、丸亀城、愛媛松山城、宇和島城、高知城

■天守が国宝指定されているお城(5城)
松本城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城

小幡城 2017/9/23(日)追加

築城年代不明。
戦国時代、水戸城の江戸氏の支配下に置かれた。
小幡氏が城主をつとめた。

茨城県東茨城郡茨城町小幡

小幡城は、三方を水田に囲まれ、西に広がる舌の形をした台地に築かれた、中世のお城です。この城を築いた人物「小幡氏」についてははっきりしておりませんが、下流の鳥羽田氏や海老沢氏と同じ一族であったと考えられています。 複雑に入りくんだ郭や変形武者走り、櫓(やぐら)跡、折など、さまざまな工夫がみられます。本丸に残る井戸には、落城の時に金の鳥を抱いたお嬢様が身を投げたという悲しい伝説が残っています。

原城 2017/9/22(土)追加

原城(はらじょう・はるのじょう)は、長崎県南島原市南有馬町乙にあった日本の城である。

国の史跡。別名、春城、志自岐原城、日暮城、有馬城。

長崎県南島原市にあった平城。有馬城,日暮城ともいう。明応5 (1496) 年日野江城主有馬貴純によって築城されて以来,代々有馬氏の本拠。有馬義純,有馬晴信のときには外国貿易の拠点として城下にはキリシタンの布教施設があって繁栄したといわれる。元和2 (1616) 年松倉重政が入封し,治世の貫徹のため新たに島原に築城,原城の構えはそこに移され,廃城となった。寛永 14 (1637) 年子の松倉勝家のとき,圧政にあえぐ農民らが蜂起し,益田四郎時貞以下,一揆勢は原城を修理し,これに拠ったが,翌年落城し破壊された。

久川城 2017/9/22(金)追加

久川城は、福島県南会津郡南会津町にあった戦国時代から江戸時代初期の日本の城。

遺構の保存状態が良好で、築城の歴史的背景が明確であることから、福島県史跡に指定されている。

久川城のある会津郡伊南郷(伊南川流域一帯)は文治5年(1189年)の奥州合戦の戦功によって下野国住人の河原田盛光に与えられ、以来河原田氏が治めていた。天文12年(1543年)頃に蘆名盛氏に攻められ、このころから河原田氏は蘆名氏に臣従したものと思われる。天正19年(1589年)、摺上原の戦いで蘆名氏が滅亡し、伊達政宗が黒川城へ入ったが、当時の河原田氏当主・河原田盛次は政宗への臣従を拒否した。政宗は家臣の柴田但馬や降伏した鴫山城主・長沼盛秀を伊南郷に攻め入らせる。盛次は戦闘に備えて新たに久川城を築き、そこに立て籠もって伊達勢を迎え討った。伊達勢は城を攻撃したが、結局攻め落とすことはできずに撤退した。しかし盛次は翌年の秀吉の小田原征伐に参陣しなかったためにその後の奥州仕置によって領地は没収されてしまった。その後、会津は蒲生氏、上杉氏、そして再び蒲生氏が入部し、この再蒲生時代に久川城は現在残されている縄張りの城に改築された。その後、慶長16年(1611年)に廃城となった。

日野江城 2017/9/21(木)追加

日野江城は、肥前国高来郡有間庄にあった城。日之江城、日ノ江城、火ノ江城、日ノ枝城とも記される。国の史跡。

鎌倉時代前期の建保年間(1213年 – 1219年)に高来郡を領する藤原経澄が築城した。

長崎県南島原市北有馬町にあった城。市のほぼ中央、有馬川河口付近の小高い丘に位置し、南には有馬川が流れ、東には大手川が流れている。縄張りは北西に三の丸、東に二の丸を配し中央の丘頂部に本丸が置かれた連郭式平山城(ひらやまじろ)で、鎌倉時代前期の建保年間(1213~19年)に高来郡を領する藤原経澄(つねずみ)が築城した。経澄は藤原純友(すみとも)の子孫(もしくは平氏)で築城時に姓を有間と称し、後に有馬と改称。有馬氏は約400年間にわたって居城としたが、1614年(慶長19)に日向国延岡城に移封となった。その後入城した松倉重政は、新たに島原城を建設したため日野江城を廃城とし歴史の幕を閉じた。島原鉄道北有馬駅から徒歩約20分。またはタクシーで10分。◇日之江城、日ノ江城、火ノ江城、日ノ枝城とも記される。

向羽黒山城 2017/9/20(水)追加

向羽黒山城(むかいはぐろやましろ)は、福島県大沼郡会津美里町にあった日本の城である。

城跡は、国の史跡に指定されている。

1568年(永禄11年)に蘆名盛氏によって築かれた。
蘆名氏が伊達政宗に1589年(天正17年)の摺上原の戦いで敗れ滅亡した後、会津領主となった政宗や蒲生氏郷、上杉景勝も最後の砦としていた。上杉氏は慶長3年から4年にかけて籠城戦用に、韓国の熊川倭城を参考に改修。
1601年(慶長6年)、関ヶ原の戦いでの上杉軍の敗戦に伴い、慶長6年に廃城となった[1]。
2001年(平成13年)、国の史跡に指定された。
2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(111番)に選定された。

佐敷城 2017/9/19(火)追加

佐敷城(さしきじょう)は、肥後国の南部、現在の熊本県葦北郡芦北町にあった日本の城。加藤清正によって築城された近世の佐敷城は佐敷花岡城とも呼ばれる。佐敷城の城下は薩摩街道と人吉街道(相良往還)が通る交通の要地であり、戦国時代中期までは相良氏、戦国時代末期には島津氏の勢力拡大をめぐって佐敷城の攻防が繰り返された。

城跡は国の史跡に指定され、指定名称は佐敷城跡(さしきじょうあと)という。

熊本県葦北郡芦北町佐敷にある城跡。薩摩街道と人吉街道(相良往還)が分岐し、天然の良港をもった交通の要衝の地、佐敷にあった城跡。佐敷城は、豊臣秀吉の九州平定にともない1588年(天正16)に芦北地方を含む肥後半国19万石の領主となった加藤清正が、薩摩・肥後国境防備のための「境目の城」として築城したものといわれている。1592年(天正20)、島津家の家臣梅北国兼に一時占拠された梅北一揆の地であり、関ヶ原の戦いでも西軍島津氏の攻撃を受けた。関ヶ原の戦い後、清正は肥後一国51万石の領主となり、佐敷城は肥後国内の有力支城として整備されたが、1615年(慶長20)の一国一城令により廃城。本丸を中心に、その南に階段状に二の丸および三の丸郭、尾根沿いに出丸郭を設け、城下町と薩摩街道が走る城山東側を大手とし、桝形虎口を備えた城門が3つ連続する。本丸・二の丸・三の丸は総石垣造りとして注目され、破城の状況もよく確認できる。

猪苗代城 2017/9/18(月)追加

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