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ワイアット・アープ(西部保安官列伝 2)

西部開拓史上、最も有名な保安官で、西部史上最も名高い銃撃事件「OKコラルの決闘」をはじめ数々の戦いをくぐり抜け、晩年は実業家として成功、ロスアンゼルスに定住して西部開拓時代の伝説的な生き証人となり、親交を持った映画監督のジョン・フォードの西部劇製作に影響を与えた。

更新日: 2018年01月31日

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来栖崇良さん

保安官、犯罪者、ギャンブラー、売春宿の経営者、金鉱探し、実業家と、一筋縄では行かない様々な顔を持っていたワイアット・アープは、1848年3月19日、イリノイ州に生まれる。


16歳の時、一家はカリフォルニア州に移住した。

18歳の頃には、バッファロー狩りや駅馬車の護衛で生計を立て、19歳の時カンザス州エルズワースで初めて保安官をやった。

ガンマンとして腕を上げ、乱暴者を取り押さえて名をあげた。


1870年にウリラ・サザーランドと結婚したが死別。


1875年にはカンザス州ウィチタの保安官事務所で働き、1878年にはドッジシティの保安官事務所に勤務して、町の平和に尽くした。

ほとんど拳銃を抜かずに、相手を威圧し去ったという。

保安官として活躍するワイアットは、有名なガンマンでギャンブラーだったドク・ホリディと知り合い、友情を抱き合うようになる。


1879年9月、やり方の荒っぽさからドッジシティの保安官を解雇され、アリゾナのトゥームストーンに移住した。

ここでワイアットは農業の傍ら賭博場の胴元、売春宿の経営者になった。

トゥームストーンに移住した3ヶ月後、兄のヴァージルがトゥームストーンの保安官に就任したため、ワイアットも弟のモーガンと共に保安官補佐となって兄を助けた。

アープ一家の力が増すに従って、それまで町を牛耳っていた、カウボーイズと呼ばれるクラントン一派との対立が、次第に険しくなった。

1881年10月26日、ドク・ホリディを加えたアープ一家四人と、クラントン一派のカウボーイたち6人が、OKコラルで撃ち合いとなった。


アープ側は3人が負傷したがワイアットは無傷、クラントン側は3名が射殺された。



この事件後も両派の争いは続き、アープ側は殺人罪で起訴されたが無罪、怒ったクラントン側はヴァージルとモーガンを闇討ちにし、ヴァージルは重傷、モーガンは命を奪われた。

ワイアットは兄弟の仇討でカーリー・ビルなど3人を殺害、ドク・ホリディと共にコロラドに逃走した。



ワイアットはその後、実業家に転向し、いろいろな事業に手を染め、アラスカの鉱山経営をやって、1929年1月13日、ロサンゼルスで平和の中に死んだ。

享年81歳だった。

ジョン・フォード監督「荒野の決闘」
(1946年、出演ヘンリー・フォンダ)




ジョン・フォード監督「シャイアン」
(1946年、出演ジェームス・スチュアート)




ジョージ・P・コスマ監督「トゥームストーン」
(1993年、出演カート・ラッセル)

ジョン・スタージェス監督「OK牧場の決闘」
(1957年、出演バート・ランカスター)




ジョン・スタージェス監督「墓石と決闘」
(1967年、出演ジェームズ・ガーナー)




ローレンス・カスダン監督「ワイアット・アープ」
(1994年、出演ケヴィン・コスナー)


など

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