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ウイリアム・クアントレル (西部アウトロー列伝 8)

ウイリアム・クアントレルは確かに掠奪、暴行、虐殺を重ねたが、それらは軍人としての活動の一環であり、アウトローという解釈は妥当ではないかもしれない。しかし、西部開拓時代においてハッキリとアウトローと区分されている者とそうでない者が、その生涯を比較してみると実に大差のないものである一例であると思います。

更新日: 2018年01月31日

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来栖崇良さん

1837年7月31日、オハイオ州ドーバーで生まれた。
父親は馬泥棒だったという。
ウイリアムは少年時代から利口で悪賢かった。
18歳の時カンザスへ行き学校の教師となった。しかし、長続きはせず、博打に身をやつして次第に生活は荒れてゆく。

荒れた生活のなか、殺人及び馬泥棒の疑いを受け、ウイリアムはミズーリ州に逃亡。


南北戦争が始まると、南軍に身を投じ、大尉としてクアントレル・ライダースと呼ばれるゲリラ部隊を率い、カンザスやミズーリで北軍と戦った。


この頃のカンザスとミズーリは〝ボーダー・ステイト〟と言われ、南部派と北部派の民衆が入り乱れて、互いに暴行、掠奪をやっていた。

ウイリアムはこの機に乗じて、軍の統制から離れ、勝手に掠奪を始めた。

その凶悪無比なことは、今までに例を見なかったという。その典型的な例が、1862年8月21日の〝ローレンスの襲撃〟である。

カンザス州ローレンスは、州内の奴隷制度反対派の強固な地盤で、北軍がミズーリ州に侵入する際の出発点になっていた。

町は民兵と自警団によって守られていたが、クアントレル・ゲリラが襲撃した時は、周辺の戦闘に出動して最も手薄になっていた。

ウイリアムは450人の部下を率い町へ突入、女、子どもを問わず町民150人を虐殺、町に火をかけ全部焼き払ってしまった。(一説によれば、「女、子どもは避け男子だけを殺した」とも。)

ローレンス襲撃の前、北軍はクアントリル・ゲリラの家族や親戚の女性たちを捕らえ、カンザス・シティ婦人刑務所に収容していた。

その建物が老朽化していて崩れ落ち、15歳の少女ジョセフィーヌが下敷きになって死んだ。


実はこの娘は、ウイリアムの部下の中でも暴れ者で通っていたブロディ・ビル・アンダーソンの妹だった。

アンダーソンは復讐の念に燃えて40人の部下を率い、真っ先にローレンスの町に飛び込み、片っ端から町民を射殺したという。

ウイリアム自身は、北軍のミズーリ州オオセラ攻撃に対する復讐戦と考えていたらしいが、いずれにしろ4時間にもわたってクアントリル・ゲリラは荒れ狂った。

そして、ローレンスの町は破壊し尽くされた。

1865年の5月、ケンタッキー州に北上したクアントリル・ゲリラは北軍に包囲される。

ウイリアム自身も重傷を負い、10日の夜、北軍の病院で絶命した。


享年28歳だった。

クアントリル・ゲリラには、ブロディ・ビル・アンダーソンの他にも凶悪なメンバーが揃っていた。

ジェシー・ジェームズ、コール・ヤンガーなど、後年強盗団を組織した連中は、いずれもクアントリル・ゲリラに属し、この親分のやり方を見習ったと言える。

ウイリアム・クアントレルは、軍人とアウトローの境界線が曖昧な西部開拓時代を実によく表している。

ラオール・ウォルシュ監督「暗黒の命令」
(1939年、出演ウォルター・ピジョン)





レン・エンライト監督の「命知らずの男」
(1950年、出演ブライアン・ドンレヴィイ)



など

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