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パット・ギャレット(西部保安官列伝 3)

ビリー・ザ・キッドを殺した男として西部開拓史上に名を留めている。195センチの長身で非常な伊達男だったと言うから、160センチそこそこの小男で身なりもあまりかまわず、おしゃべりなビリーとは対照的である。そんな二人は顔馴染みでありながら敵同士として相対した。

更新日: 2018年01月15日

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来栖崇良さん

パット・ギャレットは1850年6月5日、アラバマ州に生まれた。

19歳の時、家を出てテキサスのダラスでバッファロー・ハンターとして名を挙げた。

1878年、バッファロー狩りのキャンプ地で、仲間のジョー・ブリスコという男を分け前を巡る争いで射殺する。

人を殺したパットはニューメキシコ州に逃げ、サムナー砦の大牧場主ペーター・マックスウェルに雇われて牧童となる。

パットがビリー・ザ・キッドと出会ったのはこの頃だ。

ビリーはマックスウェルの息子ピートと友達で、その妹のパウリータとは恋仲だったから、当然パットとも顔見知りになった。
ビリーの牛泥棒稼業にパットが手を貸したこともあったと言われる。


1880年11月、パットはリンカーン郡のシェリフ選挙に立候補して当選する。

最初の仕事はビリー一味の逮捕だった。

いわゆる〝リンカーン郡戦争〟の直後で、負け組のビリーたちは牛泥棒や殺人を繰り返していた。

シェリフに就任したパットはビリー一味を追跡する。


ラスベガス・ガゼット新聞の記者クーグラ―は、〝希代の殺人鬼〟とビリー叩きの記事を載せた。


1880年12月23日、パットは廃屋に潜んでいたビリー一味を包囲、とうとう逮捕に成功した。

ビリーは有罪となり絞首刑が宣告されるが、1881年4月28日、二人の看守を射殺して脱獄してしまう。


パットは腕利きの部下を連れて追跡する。

そして、7月14日の真夜中、サムナー砦のマクスウェル家に潜んでいたビリーが部屋から出てきたところを、待ち伏せたパットが2発の銃弾を浴びせて射殺した。



一説によれば、ビリーは恋人のパウリータの部屋を訪ねたところを撃たれたという。

パットがパウリータの部屋に押し入り、彼女を縛り上げて猿ぐつわをかませ、ビリーが入ってくるのを待ち伏せていたのだ。

ビリーの最後の言葉はスペイン語で、“Quien es?”(誰だ?)だったとか。

ビリーを殺したパットには、〝丸腰の者を無残に撃ち殺した残忍な卑劣漢〟という悪評が沸き起こった。

次のシェリフ選挙でパットは落選する。
その後も何度か落選し、パットは失意の日を送った。


ところが、1896年、新任の知事が、リンカーン郡に隣接するドウシャ郡のシェリフとしてパットを任命する。

大がかりな牛泥棒団の摘発に、パットの力を見込んだのである。

その後、パットはテキサスレンジャーの隊長や税務監督官の要職に就いた。


しかし、1908年2月19日、荷馬車で近くの森に入った時、何者かに背後から撃たれて死んだ。



享年58歳だった。

アンドリュー・マクラグレン監督「チザム」
(1970年、出演グレン・コーベット)


サム・ペキンパー監督「ビリー・ザ・キッドの生涯」
(1973年、出演ジェームズ・コバーン)


クリストファー・ケイン監督「ヤング・ガン」
(1988年、出演パトリック・ウェイン)

など

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