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バット・マスターソン(西部保安官列伝 4)

西部開拓史上の三大保安官と言えば、ワイルド・ビル・ヒコック、ワイアット・アープに、このバット・マスターソンで異論のないところであろう。山高帽にステッキ、上等なコートを着込み、腰には象牙細工の拳銃、まさに伊達男を絵に描いたようだが、その格好で彼は荒くれ男どもと渡り合い、名保安官の名をほしいままにした。

更新日: 2018年01月31日

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来栖崇良さん

1853年11月26日生まれは

東部で成長し農業に携わっていたが、18歳の時、バッファロー・ハンターになるため、兄のエドと弟のジムを伴って西部へ向かった。

21歳の時、兄のエドとバッファロー狩りに行き、インディアンの襲撃にあったが、囲みを突破して撃退した。
これが〝アドウブ・ウォールの戦い〟で、マスターソンの名前は一時に高まった。

その後、陸軍の斥候として働く。

1877年、テキサス州での喧嘩で骨盤に銃弾を受け、杖をつくようになる。

〝バット〟と呼ばれるのはそのためである。


バットの勇名を聞いたドッジシティの保安官ワイアット・アープがバットを保安官代理として招く。

バットはカンザス州フォード郡の保安官となるので、ドッジシティでのアープとのコンビは、ほんの数ヶ月に過ぎなかったが、その間、悪名高いクレイ・アリソンの挑戦をアープとの連係プレーで取り鎮めたり、保安官仲間のルーク・ショートの窮地をアープと一緒に救ったりと、コンビでの活躍が目立つ。



無法地帯として知られたドッジシティに、二人の活躍で法と秩序がもたらされた、と評価する向きも多い。

また、バット単独での活躍としては

1879年4月、同じく保安官だった兄のエドが、カウボーイ派のジャック・ワグナーに狙撃された際、急を聞いたバットは駆けつけ
カウボーイ派のたむろする酒場に乗り込み、ワグナーを撃ち殺したうえ、ボスのアルフ・ウォーカーにも重傷を負わせた。

カンザス州フォード郡保安官時代は、列車強盗団のメンバー4人を逮捕するなど、活躍を見せている。

これほど名保安官ぶりを発揮したバット・マスターソンだが、実際の保安官生活は3年ほどでしかない。


その後はギャンブラーあるいは実業家として周辺の町を流れ歩く。

1883年にドッジシティに舞い戻り、ドッジシティ戦争と呼ばれる混乱を一滴の血も流さずに鎮めたが、1789年のフォード郡の保安官選挙に敗れ西部に見切りをつけた。

保安官をあきらめたバットは、その後、ニューヨークに移り住み、スポーツ・ライターとして成功。

1891年には女優のエマ・ウォルターズと結婚して、すっかり都会生活になじんでしまった。

晩年、セオドア・ルーズベルト大統領に要請されてニューヨーク州連邦保安官助手に就任した。

また、ボクシングの興業に携わったりもする。



そして、1921年10月25日、心臓発作で亡くなった。


享年67歳。

レイ・エンライト監督「拳銃街道」
(1947年、出演ランドルフ・スコット)


ジャック・ターナー監督「法律なき町」
(1956年、出演キース・ラーセン)


ローレンス・カルダン監督「ワイアット・アープ」
(1994年、出演トム・サイズモア)


マイケル・ファイアー監督「ワイアット・アープリベンジ/荒野の追跡」
(2012年、出演マット・ダラス)

など

また、1958年のテレビ・シリーズ「バット・マスターソン」がジーン・バリー主演で人気を博した。

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