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1590年 秀吉の小田原城攻めと北条氏の滅亡

1590年 秀吉の小田原城攻めと北条氏の滅亡

更新日: 2017年06月09日

misukiruさん

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名将上杉謙信、武田信玄すらも攻め入ることができなかった難攻不落とされた小田原城が陥落されたのは1590年に、豊臣秀吉によってでした。

◆北条氏による箱根の要塞化

後北条氏は秀吉との天下わけ目の決戦に備え、山中・鷹之巣・湯坂・宮城野・塔之沢の箱根山の諸城を整備し、秀吉軍を迎え討つべく準備を進めていた。が、質量ともに勝る秀吉軍は、たちまち箱根の諸城を攻略、四月五日秀吉は、湯本早雲寺に入り、そこに本陣を置いた。

◆秀吉による小田原城の包囲

この間、玉縄・江戸・川越・岩槻・鉢形・八王子など北条氏の主な諸城はつぎつぎと落ち、小田原城は孤立無援となった。

小田原城は水陸を完全に包囲されてしまいます。予想していたとはいえ、北条側にとってあまりにも早すぎる展開でした。

北条家が同盟していたのは徳川家康ですが、これは既に破綻し、伊達政宗も秀吉に屈してしまいました。

◆落城する八王子城

八王子城は、関東屈指の山城です。氏照が構想していた城郭は壮大で、落城時はまだ未完成の状態であったと考えられています。

月あかりが煌煌と照らす22日夜、ついに前田・上杉以下5万の軍勢が八王子へ入りました。

◆最後まで落ちなかった忍城

1590年(天正18年)に豊臣秀吉の小田原征伐に伴い発生した攻城戦の際、豊臣方の水攻めに耐え抜いた逸話から浮き城または亀城と称された。

◆包囲されたのちに降伏

秀吉は、早川の石垣山に城を築き長期戦に備えましたが、7月5日ついに氏直は降伏し、7月9日に城が明け渡されました。

秀吉の軍勢は食料も豊富どころか、一夜城を築いたり、秀吉自身が側室たちを呼び寄せるなど十二分なゆとりをもっていました。それが天下人、関白秀吉の率いてきた軍勢

万に一つも勝ち目がない以上、籠城を続けても全く意味はなく、ただ犠牲者を増やすだけです。

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