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航空黒歴史!? ライト兄弟より2年早く飛行機を飛ばした男の物語

常識が覆される!ライト兄弟よりも2年も早く有人動力飛行に成功していたと言われるグスターヴ・ホワイトヘッドと、航空史を取り巻く「スミソニアン協会」に関する怪しい歴史についてまとめました。

更新日: 2017年06月16日

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初めて有人動力飛行を成功させたのは、定説では「ライト兄弟」

ライト兄弟による“人類の初飛行”(1903年12月17日、操縦者は弟のオーヴィル)。

世界で初めて有人動力飛行に成功した人物といえば一般的にライト兄弟とされています

ライト兄弟(ウィルバー・ライトとオーヴィル・ライト)は、有人動力飛行を初めて成功させた人物として知られています。

ライト兄弟がノースカロライナ州キティホーク近郊でライトフライヤー号によって有人動力飛行に成功したのは、1903年12月17日のことです。

ウィルバー・ライトとオーヴィル・ライトの、いわゆるライト兄弟がバイクのエンジンを2つ装着した動力式の飛行機を、ノース・カロライナ州のキティ・ホークで空に浮かべたのが1903年12月17日。この日が飛行機の誕生と見なされています。

ライト兄弟より2年も早く、飛行機を飛ばした人物がいた

ライト兄弟が初飛行に成功したとされるのは1903年。しかし、1901年の新聞記事に「コネティカット州の航空整備工・ホワイトヘッドが有人飛行に成功」のと記事が。

世界初の有人動力飛行を成功させたのは、ライト兄弟ではなくグスターヴ・ホワイトヘッドかもしれない。

Gustave Albin Whitehead
1874年1月1日-1927年10月10日
ドイツ生まれのアメリカの航空技師。

1901年08月14日にコネティカット州フェアフィールドで世界初の有人動力飛行に成功した。

ライト兄弟ではなく、このホワイトヘッド氏こそが初めての有人動力飛行の成功者だという主張が一部ではあるようです。

航空機年鑑『ジェーン世界の航空機年鑑(Jane's All the World's Aircraft)』の出版100周年記念版では、ライト兄弟(ウィルバー・ライトとオービル・ライト)が、世界初の有人動力飛行の成功者という栄光の座から引きずり下ろされた。
新たにその地位に輝いたのはドイツ生まれのアメリカ人・発明家、グスターヴ・ホワイトヘッド。

すでに幾つかの公式記録では、初めての有人動力飛行はライト兄弟ではなくグスターヴ・ホワイトヘッドに書き換えられているようです。

ジェーン年鑑の編集部は、オーストラリアで航空史を研究するジョン・ブラウン氏が最近発表した研究成果に基づき、今回の改訂に踏み切った。

グスターヴ・ホワイトヘッドによる“人類初飛行”

記録が不十分という批判もあるが、ライト兄弟のより前の1901年8月14日にコネティカット州フェアフィールドで世界初の有人動力飛行に成功したとされる。

ブリッジポート・ヘラルド、ニューヨーク・ヘラルド、ボストン・トランスクリプト誌の記事によると、1901年8月14日コネティカット州フェアフィールドで、ホワイトヘッドはエンジン付きの機体「ナンバー21」によって800mの距離を高度15mで飛行したという。

ホワイトヘッドと1901年製単葉機。
ホワイトヘッドは幼い娘を膝の上に乗せて写っている。

ホワイトヘッドの「ナンバー21」は、翼幅36ft(11m)、斬新な外観をした単葉機であった。その翼は竹を骨組みとし、鋼線で支えられ、絹が貼られていた。

彼の航空学のバックグラウンドや、開発・販売したモーターに関する記録、飛行を実際に見たという目撃者の宣誓供述書、新聞記事から、「紛れもない事実だ」

残念ながらホワイトヘッドによる1901年の有人動力初飛行の写真は残されていませんが、それを事実だと確信する研究者も多いのです。

グスターヴ・ホワイトヘッドの生い立ち

グスターヴ・ホワイトヘッドは、1874年1月1日、ドイツ・バイエルン州のロイターズハウゼンに生まれました。

少年時代から凧を使い、飛行の理論や実験を行なうことに興味を持ち、のちに航空整備士の免許を得て、技師への第一歩を踏み出す。

風・天候・そして鳥の飛行方法など飛行に関する様々な研究を重ね、世界各国を旅したのちに1893年に本国へ戻り、オットー・リリエンタールと面会している。

オットー・リリエンタールはドイツの初期航空工学(応用空気力学)発展に貢献した航空パイオニアのひとり。
およそ20年におよぶ鳥の羽根による飛行を研究した上で、実際に作ったハンググライダーを小高い丘から飛行する無数の試験を行い、その詳細な記録を採った事で知られています。

その翌年には、さらなる研究に打ち込むべく、アメリカへ渡ることになった。なおこの時、自身の本名であるヴァイスコプフ(ドイツ語で「白い頭」を意味する)という姓は、英語では読みにくいことから、英語風にホワイトヘッドという名に改称することになった。

不器用すぎた航空技師

1905年もしくは1906年に撮影された、ホワイトヘッドの飛行機。

ホワイトヘッドは原動機を作って、大変な薄利で販売した。彼は商習慣や商業的成功につながる特許のことを充分には知らなかったのである。しかしながら、他の多数の航空パイオニアたちは彼のエンジン設計に興味を示した。

1901年に初飛行を成功させてから、彼は他の航空技師たちから興味の眼差しを浴びることになります。

かなりの年が経ってからある目撃者がこう主張した。「裏付けとなる文書記録はないのだが、ライト兄弟はホワイトヘッドを訪ねてエンジンの購入について話し合い、そして飛行に関する着想と発見を交換した」と。

ライト兄弟もホワイトヘッドに接触していたとの話も残っています。

結局、ホワイトヘッドは歴史に残らなかった

残念ながら、残っている写真は地上で停止しているものばかり。空を飛んでいるものは一枚も残ってない。

航空機産業の先鞭をつけたライト兄弟とホワイトヘッドの“競い合い”が、最終的にはどちらも“商売上手な人間が勝利する”という結論になっていた

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