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がん闘病中の「大林宣彦」監督が日本映画に“遺言”

「尾道三部作」で知られ、“映像の魔術師”とも称される映画監督「大林宣彦」。自主制作映画、商業CMの先駆者であり、薬師丸ひろ子や原田知世をブレイクさせた元祖アイドル映画監督でもある。そんな大林監督は昨年がんが判明し、余命半年と宣告されていたが、先日、観客の前で“遺言”ともいうべき言葉を残した。

更新日: 2017年09月07日

aku1215さん

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◆「尾道三部作」で知られる大林監督

<映像の魔術師>とも称される、日本を代表する映画監督。

一九三八年、広島県尾道市生まれ。映画作家。故郷で撮影した「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」は"尾道三部作"として知られている。

◆日本の自主制作映画・商業CMの先駆者

幼少の頃から映画を撮り始め、大学時代に自主制作映画のパイオニア的存在となる。

25歳の時の16ミリの処女作『喰べた人』がベルギー国際実験映画祭で“審査員特別賞”を受賞。以後20代後半〜30代はテレビCMの製作で活躍。

テレビコマーシャルの草創期に多くのCMを手がけ、その数は2000本を超える。

チャールズ・ブロンソン出演の「マンダム」など一世を風靡したCM多数

◆それまでの「映画システム」外から商業映画に進出し成功

『HOUSE』(1977)

監督:大林宣彦
脚本:桂千穂
原案:大林千茱萸
出演:池上季実子、大場久美子、神保美喜

1977年『HOUSE』で商業映画界に進出。80年代『転校生』に始まる尾道三部作『時をかける少女』『さびしんぼう』で人気を博する。

「青春デンデケデケデケ」(92)が文化庁優秀映画作品賞に選ばれ、「SADA」(98)がベルリン国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞するなど国内外で高い評価を得ている。

助監督経験なし、自主映画出身、CMディレクター出身という、その当時の映画界では、ありえなかったスタイルで、新たな流れを生み出し、その後の大森一樹、森田芳光、CM出身者として市川準などが生まれるきっかけとなったといっても過言ではない。

当時の日本映画界は助監督などで下積みをしてから監督に昇格するのが一般的だった

◆アイドル映画の先駆者でもあり、薬師丸ひろ子らをブレイクさせた

『時をかける少女』(1983)

監督:大林宣彦
脚本:剣持亘
原作:筒井康隆
出演:原田知世、高柳良一、尾美としのり

最近、映画『幕が上がる』や『くちびるに歌を』など、アイドルや女優が光る映画が公開されていますが、このような映画の第一人者と言われているのが大林宣彦監督です。

大ヒット作『時をかける少女』(1983)、『ねらわれた学園』(1981)で原田知世、薬師丸ひろ子をアイドルとしてブレイクさせ、後年の日本映画に多大な影響を与えた。

「当時、薬師丸ひろ子ちゃんは角川映画のすぐれた少女女優でしたが、今一つブレイクし切れなかったところに春樹さんから『大林さん、ひろ子をアイドルにできませんか?』と言われたんです。そうして撮ることになったわけです。」

春樹=角川春樹…角川映画で日本映画に一時代を築いた

◆そんな大林監督が肺癌を告白 余命半年と宣告されていた

唐津市で映画「花筐(はなかたみ)」を撮影した大林宣彦監督(79)が3日、地元関係者向けの試写会に臨み、昨年8月のクランクイン直前に肺がんで余命半年の宣告を受けていたと明かした。

2017年6月

撮影開始の前日、肺がんがステージ4まで進行していて「余命半年」、撮影を敢行すると、3日後に「余命3カ月」との診断が下された。

関係者によれば、撮影は、抗がん剤治療と並行して行われたが、抗がん剤がめざましい効果を上げ、監督は順調に撮影をこなしたという。

現在も、がんは寛解したわけではなく、治療は続いているというが、恭子氏は「医学の進歩のおかげで、お薬が効き、奇跡が起きました」と大林監督の体調が劇的に回復していることを報告。抗がん剤とともに、別の新たな治療も始めたという。

恭子氏=大林恭子。大林監督の妻でプロデューサー。

◆そして先日、大林監督が映画について“遺言”を残した

肺がんを公表した映画監督の大林宣彦氏(79)が11日、東京・明治神宮会館で行われた「ショートショートフィルムフェスティバル&アジア2017」のアワードセレモニーに審査員として出席した。

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