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夢がいっぱいだった!マウンテンバイク草創期~全盛期の人材・バイク・機材まとめ

マウンテンバイクが生まれた年は1976年前後、日本にMTBとBMXの専門店第一号が開店したのが1980年。MTB世界選手権の第一回大会が開かれたのが1990年で、この頃がブーム全盛期と言えるのではないでしょうか。

更新日: 2017年07月17日

Truvativ1さん

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言わずと知れたマウンテンバイク生みの親。ビーチクルーザーをベースにツーリング車の変速機、オートバイのブレーキレバーやグリップなどを取り付け野山を駆け回る専用自転車の原型を作り上げた。
「マウンテンバイク」は登録商標だったが、業界発展のために後に権利をオープン化。そうした面でも「マウンテンバイクの生みの親」と言える存在。

その後も先進的・革新的な機構や規格を次々に生み出すが、会社としてのフィッシャー・マウンテンバイクスは台湾のアンレンを経てトレックに買収された。

https://twitter.com/gary_fisher

記念すべきMTB完成形第一号の「クランカー」(がらくたの意味)
ビーチクルーザーの中でも特に頑丈さで定評のあったシュウィン社の「エクセルシオX」をベースにサンツアーの変速レバーやツーリング車用の前3段チェーンリング、モーターサイクル用のドラムブレーキとブレーキレバーにグリップを組み込んだ。 とにかく制動力を上げるのに腐心していたことが見て取れる。

フィッシャー、リッチーと並び現在のMTBの形を完成させた一人。
在来市販品の改造ではなく、一からフレームを構築するフレームビルダーでもあった彼のMTB「ブリーザー」が評判となったことがきっかけで、他のビルダーも挙ってMTBに参入するようになった。

巨匠でありながら自ブランドのMTBをマスプロで出さなかったブリーズがMTB全盛期の90年代にようやくリリースした「新・ブリーザー」 フレーム素材、パーツともほとんどリッチーであまりオリジナリティが見られないのが残念なところ。

フィッシャーと並ぶMTB草創期の巨人。
次々と新規格や新機構を生み出したフィッシャーに対し、軽量とシンプルさを追求した頑固職人。元々ロードレース選手だっただけあって生み出すバイクはどこかロードバイクを思わせる靱さがあった

https://twitter.com/ritcheylogic

1977年ごろのオフロードバイク。
ステムとハンドルバーを溶接により一体化した「ブルムースハンドル」が特徴。
ブルムースハンドルはリッチーの依頼により埼玉のハンドルメーカー「日東ハンドル」が製造した。

息子クレイグ・ターナーのために作ったBMXが評判となった腕っこきの溶接職人。 大きくなった彼の会社が手掛けるMTBの特徴であるシートステイを前方にオフセットさせた「トリプルトライアングルフレーム」はトレードマークとなった。 リチャード・ロングとのコンビで成長した「GT」は一時はアメリカ4大MTBメーカーとして君臨し株式上場まで果たすも、リチャード・ロングの死をきっかけに倒産。現在はブランドこそ残るものの、ゲイリーはBMXのガレージビルダーに戻っている。

https://www.facebook.com/GaryTurnerBMX/

極太の6061T6ジュラルミンのフレームにベアリング球で磨き上げる表面処理「ボールバーニッシュ」の仕上げを施したGT全盛期のフラッグシップモデル。女子クロスカントリーの女王、ジュリアナ・フルタドが主に使用していた。

MITで金属を学んでいた彼が研究を兼ねて在学中に自転車を作ったのが始まり。
アルミチューブの肉厚を薄く、径を極太にすることで軽量化と剛性を両立。レーサーとして優秀なMTBを生み出した。
極太チューブに傷に強く美しい粉体塗装、圧入ヘッドはクラインのトレードマークとなったが、フロントサスペンションが一般化した後もこれに対応せず、専用工具を必要とする独自規格が敬遠され低迷してしまった。

会社はトレックに買収されたが、ブランドは2012年に契約切れを迎えたため宙に浮いている状態となっている。

現在は悠々自適の生活を送り、天体望遠鏡作りを楽しんでいる模様。

クラインの名を一躍高めた1989年発売のバイク。
フロントフォークもアルミファットチューブ化、ハンドル・ステムを溶接により一体化した「ミッションコントロールバー」により、ついに完成車で10kgを切るまで軽量化した。

1980年代にはNORBAシリーズでナショナルチャンピオンにもなったレーサー。
デザイナーとしてマリン、コナ、ブードゥーなどのブランドのバイクを多数手掛けたほか、シマノのテストライダーとしてR&Dで大きな役割を果たした。
世界初のチタニウム製バイク「マーリン」のデザインや軽量パーツ「ヴェロシティシリーズ」も彼のデザインによるもの。

ジョー・マレーが手掛けていたころのKONAのフラッグシップモデル。
タンゲの軽量チューブにシマノXTR、ヴェロシティの軽量パーツとクロスカントリー仕様。
現在もKONAはエクスプロシフをリリースしているが、この頃ほうがダントツでカッコイイ。

MTB世界選手権ダウンヒル部門の初代優勝者
ミヤタ製のMTBを使用していたため特に日本での人気が高く、彼のファッションや自転車をまねる人が続出した。

ラグドフレームが時代を感じさせる1990年の世界選手権使用マシン。

当時ミヤタの最高級モデルにはRSタイチのサスペンションが付属していたが、グレッグマニアは当然ロックショックスに交換、ホイールもタイオガのテンションディスクにするのがお約束であった。

 レースの高速化に伴いフレームはアルミ接着構造、リアサスペンションフレームになっている。

91年のMTB世界選手権ではダウンヒルで優勝、クロスカントリーで準優勝と両方の種目で強かった万能ライダー。 一時はプロロードレーサーとしてセブンイレブン、モトローラ(その後のUSポスタルチーム)などに所属しツール・ド・フランスにも出場したことがある。

甘いマスクで大人気を博し、「ファーマー・ジョン」「ジョニーT」の愛称で親しまれた。

それまで下りでの安定性を重視し長かったチェーンステイを極短(425mm)に、フロントフォークのオフセットを30mmとしたタンゲ・プレステージ鋼で組み上げたジョン・トマック1987年開発のバイク。
フレームディメンジョンとしては翌年以降MTBのスタンダードとなった記念碑的製品。

それまで油圧とスプリングのみで重量のあったサスペンションフォークにエラストマーダンパー(弾性重合体衝撃緩衝材)を使用した「マニトウ」を発表。
大幅な軽量化とメンテナンス性の向上をもたらし大人気となった。 自ブランドの自転車も販売したが、とにかく非常に工作が精密だったため、アンサー社の傘下に入りスケールメリットを享受しても1台1万ドルというとんでもない値段だった。

ブラッドバリが一台一台手作業で作っていたマニトウをハンドルバーやステムなどを手掛け精密切削に強いアンサー社により製造したもの。当時のサスペンションフレームはスイングアームやパラレルリンクなどゴテゴしたデザインのものが多いが、通常のダイヤモンドフレームとほとんど変わらない奇跡的に美しいデザイン。

80年代からMTBを広めてきたショップ「ワークショップモンキー」オーナー兼フレームビルダー。
今でこそ当たり前になっているが、トップチューブを上方向にベント(曲げ加工)し衝撃吸収性を高めたオリジナルデザインのMTBは直線的なデザインが当たり前だったMTBの中で異彩を放っていた。 
80年代後半から続く「90K」はいまだにモンキーの顔として販売されている。

https://www.facebook.com/imaizumishouten/

ロングセラーの90Kの原型になった「トップチューブをヘッドチューブ側にベント」したデザインのMTB。 アメリカのMTBに多いモノステー、ビーチクルーザーのフォークが時代を感じさせる。

ツール・ド・フランスでも総合14位に入ったことがあるロードレースからの転向組。

1991年にはワールドカップシリーズ戦のキルヒツァルテン大会で優勝したが、これは後に今後誰も達成できない大記録となる。
彼は1989年にロードレースのワールドカップシリーズの対象レースであったクラシカ・サンセバスチャンに優勝しており、ロードレースとMTBの両方のワールドカップで優勝したただ一人の選手となったのだ。

チームGTに所属していたツァドロビレックが使用していたのはアルミフレームのザスカーではなくチタンフレームのシャイザン。
GTのトレードマークであるトリプルトライアングルフレームは重量で不利になる面が大きかったが、軽量なチタンのシャイザンはパーツの選択によっては10kgを切ることも可能だった。

でっかい鼻ピに爆発ヘア、肩にはタトゥーといかにも「ヤバいお姉ちゃん」な雰囲気を漂わせていた女子ダウンヒルのスーパースター。
あまり選手寿命が長くないダウンヒル種目において10年近くトップを走り続けた。

https://www.facebook.com/melissa.giove

常にレースシーンで最先端を走っていたキャノンデールのダウンヒル決戦マシン。極太アルミフレームが身上だったキャノンデールもついにカーボンを取り入れた。

1992年から1994年にかけて3年連続でMTB世界選手権クロスカントリーで優勝したデンマークの怪物選手。 自転車に乗ったまま通過できないコースを一定の割合で組み込まれ、押しや担ぎを要求されるシクロクロス競技の出身だけあって、パワーが要求されるコースではめっぽう強かった。 1993年には当のシクロクロス世界選手権でも優勝。

https://www.facebook.com/people/Henrik-Djernis/100011337974637

スチールフレームで極限まで軽量化を追求したリッチーの最高傑作。

クロスカントリーの決戦マシンとしてワールドカップ(トーマス・フリシュクネヒト)と世界選手権(ヘンリック・ヂャルニス)の両方の優勝バイクとなっている。

世界チャンピオン回数12回というバイクトライアル(旧トリアルシン)界の大スター。
どちらかと言えばモーターバイク・トライアルに移行するまでの子供の競技のイメージが強かったバイクトライアル競技のイメージを完全に払しょくした。

トライアル用自転車のメーカーであるモンティ社の社長の息子という、まさにトライアル界の王子様。 世界選手権大会は日本の板取で行われることもあり、日本とも馴染みが深い。

カナダ出身のMTB選手。
1992年に来日し、SCOTTチームのレーサーとして活躍。MTBとロードの二足の草鞋を履いていた三浦恭志や同じく来日レーサーのヴィンセント・フラナガンと激しく競り合った。 

現在は長野県でMTBガイドや自転車振興のために走り回っている。

国内ダウンヒル競技で無敵を誇った二人組。 高校時代に世界選手権オブザーブドトライアルに優勝した柳原、一時は競輪選手を目指し1000mTTで1分15秒を叩き出しBMXでも最強だった塚本と、他の競技者とレベルが数段違っており、この二人のどちらかが一位と二位を占めるという状態が長く続いた。

柳原はNORBA大会のデュアルスラロームで優勝、塚本もアジア大会で銀メダルを獲得するなど海外でも大暴れした。

カリスマ的な人気があり、塚本はユニクロの広告に登場したこともある。

出典imgrum.me

柳原がNORBAシリーズ戦で優勝した際にも乗っていたのが軽量アルミバイクで知られるクラインの最上級モデル「アドロイト」
極太アルミフレームにカーボン・ボロンで補強を施している。
フェラーリレッドで塗装した車体に赤いダートブロスタイヤを履かせ、赤いヘルメットで疾走する柳原はアメリカで「レッドマン」と呼ばれた。

リアサスペンションフレームが一般化した後も「性能が熟成していないリアサスバイクより軽量なリジッドフレームのほうが有利」と長らくリジッドフレームで戦い続けた。

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