1. まとめトップ

エルフェゴ・バカ(西部保安官列伝 6)

死の数年前、すでに伝説的存在の保安官として有名だったエルフェゴ・バカは、ジャネット・スミスという女性記者のインタビューに答えて「私は誰も殺したいとは思わなかったが、もし誰かが私を殺そうとしたら、私はまず彼を捕らえて仕事をする。」と答えた。

更新日: 2018年01月31日

3 お気に入り 895 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

来栖崇良さん

エルフェゴ・バカは1865年2月10日、ニューメキシコ州ソコロで生まれた。

翌年、バカの父は家族を連れ、カンザス州トピカに移った。


当時トピカはアッチン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道が本拠を置き、サンタフェへの鉄道建設を始めつつあった時期で、町は活況を呈していた。


ところが母や兄、姉が次々と死亡したため(この間の事情はわかっていない)、1880年、バカはソコロに戻った。

ほどなく父も戻ってきて、ベレンの町の執行官になった。

1984年、バカは19歳でニューメキシコ州ソコロ郡の保安官補になった。

保安官になることは、彼の人生の目標だったらしい。


後年、彼は「無法者が自分の足音を聞いたら1ブロックは離れることを望んだ。」と言っている。

当時のニューメキシコ南西部は、カウボーイが土地を徘徊し、町に入ってきてはサロンで酒を飲み、地元のメキシコ系アメリカ人を攻撃したり、退屈したら町中で銃を撃ったりした。

バカはそれらの無法を終わらせたいと思っていた。

1884年12月1日、アッパー・サンフランシスコ・プラザの町で、バカは彼に向けて発砲したカウボーイを逮捕した。

ところがカウボーイの仲間たちが彼の釈放を要求、バカが拒否すると更に大勢のカウボーイたちが集まってきた。

危険を感じたバカがジェロニモ・アルミホの家に避難すると、何と80名ものカウボーイたちがその家を包囲して発砲し始めた。

銃撃戦は36時間続いたという。

日干しレンガ造りの家に向けて、カウボーイたちは4000発以上を発射した。
しかし、奇跡的なことに、一発の弾丸もバカに当たらなかった。
家の床の高さが地面よりわずかに低かったせいらしい。

その間、バカは応射して4名を殺し、8名を負傷させた。

そして、カウボーイたちが弾薬を使い果たした時、戦いは終わった。


この事件はフリスコ銃撃戦として知られる。

フリスコ銃撃戦後、バカは正式にソコロ郡の保安官となり、法律違反者の逮捕や告発に携わった。


手配中の男に対してバカは、次のような手紙を送った。「3月15日まで出頭すること。もししなければ逮捕に抵抗するものと見なし、あなたを追跡する時発砲せざるをえない。」手紙を受け取った犯罪者のほとんどは自首したという。

1888年、バカは連邦保安官に就任。

2年間の任期を終えてから法律の勉強を始め、1884年弁護士資格を得てソコロの法律事務所に勤務。
更に1902年からテキサス州エルパソのサンアントニオ通りで弁護士事務所を開業した。

その後、ソコロ郡の書記、市長、教育長、ソコロとシェラ郡の地方検事などを歴任、1912年にはニューメキシコ州議会議員に共和党から立候補するが落選。

それでもバカはヒスパニック系の人々の支持を背景に、地方政界に影響力を持った。

1945年8月27日、バカは80歳で死去した。

1