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サム・バス (西部アウトロー列伝 9)

南北戦争の混乱期に現れたアウトローのほとんどが、集団で荒らし回ったが、サム・バスの場合は二、三人、時としては単独で列車強盗をやってのけた、大胆不敵な男である。

更新日: 2018年01月31日

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来栖崇良さん

1851年7月21日、インディアナ州ミッチェルの農家に生まれた。

13歳の時、孤児となり、兄弟と共に暴力的なおじの元で5年間を過ごした。


19歳の時、一人で家を出て各地を放浪、1876年にはテキサスからネブラスカまでのキャトルドライブに加わったりしたが、たいした収入は得られなかった。

友人のジョエル・コリンズと輸送業を始めたがうまくいかず、数名の仲間と共に駅馬車強盗に手を出すようになる。

1877年9月18日、ネブラスカでユニオン・パシフィック鉄道を襲って6万ドルを強奪したのを皮切りに、8週間に4列車を襲って列車強盗のレコード・ホルダーとなった。

その後も次々と列車強盗や駅馬車強盗を繰り返し、悪名は世間に鳴り響いた。

テキサス・レンジャーが全力を挙げて彼を追ったが、なかなか捕まえることができなかった。

一つには、サムは非常な知能犯で、彼を追うレンジャーの後を付いていく、というような行動を取って、常にレンジャーの裏をかいていたためもあった。
また、足が付かないように、少額の貨幣を狙ったことも原因だった。
風のように列車を襲い、すばやく金を奪って、あっという間に逃走する。

仲間の人数が少ないこともあって、大がかりな強盗はしにくかったのかもしれないが、ともかく捕まらずに犯行を繰り返した。

当時のアウトローたちが手段を選ばず、時には無関係な人まで含めて大勢の人をあやめていたのに比べ、サムは絶対に人を殺さなかった。

そのため民衆からは、一種、〝英雄〟のように讃えられた面もあった。

しかし、そんなバスにも、とうとう最期がやってくる。

1878年7月19日、サムはフォートワースからクレバーンへ向かう列車を襲い、引き上げる途中、ラウンドロックの町の近くでジョン・ジョーンズ少佐の率いるテキサス・レンジャーの一隊に待ち伏せされた。

バスが待ち伏せされたのは、もとの仲間だったジム・マーフィーという男の密告によるという。

たちまち激しい銃撃戦となった。


この時の光景は、後に開拓史上最も有名な詐欺師となったソーピー・スミスが目撃している。
それによるとサムは、レンジャーのジョージ・ハロルドとリチャード・ウェア軍曹と撃ち合い、ウェアの銃弾に倒れたという。

それでもサムは、いったんはその場を逃れる。

しかし、翌日、町外れの牧草地で瀕死の状態で横たわっているところを発見される。



息を引き取ったのは、7月21日だった。


奇しくもこの日は、サムの27回目の誕生日だった。

サムが殺されたラウンドロックはテキサス州中部の人口9万ほどの町だが、地元ではサム・バスは有名人。

テキサス・レンジャーとの撃ち合いは、〝サムの銃撃戦〟と呼ばれ、毎年7月4日の独立記念日には、オールドセトラーズ公園の〝開拓の日々祭〟で再現されている。

また、サムの墓はサム・バス道路沿いのラウンドロック墓地にある。

ジョージ・マーシャル監督

「カラミティー・ジェーンとサム・バス」


(1949年、出演ハワード・ダフ)

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