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藤堂高虎(とうどうたかとら)のリクルート大作戦。

見た目は大人、頭脳は子供。その名も迷探偵「牛山田」。築城の名手で名高い藤堂高虎ですが、主君を7度も変えてる変わり種ですのでそのあたりをまとめてみました。

更新日: 2018年11月22日

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ushiyamadaさん

◆藤堂高虎(とうどう たかとら)とは

藤堂高虎は近江の出身で、足軽から身を起こして各地を渡り歩き、8人もの主君に仕えた武将です。

◆歴代の主君 (リクルート遍歴)

①浅井長政(あざい ながまさ)

信長の義弟。信長との同盟を破棄して武田信玄と連携して信長を倒そうとするが、直前になって信玄が病死したため、織田軍の全戦力と戦うことになり、自滅。

時代戦国時代
生誕天文14年(1545年)
死没天正元年9月1日(1573年9月26日)
改名猿夜叉丸(幼名)、賢政、長政
別名新九郎、備前守(通称)
戒名養源院天英宗清
墓所滋賀県長浜市徳勝寺
官位贈従二位中納言
主君六角義賢
氏族近江浅井氏(自称藤原氏)
父母父:浅井久政、母:小野殿
兄弟長政、政元、政之、岡崎安休、浅井治政、阿久姫、大弐局、京極マリア
妻正室:平井定武の娘
継室:お市の方
側室:八重の方
子万福丸[注釈 1]、万寿丸、ほか
茶々[注釈 2]、初、江、くす、刑部卿局
養子:井頼

②阿閉貞征(あつじ さだゆき)

浅井氏、織田氏の家臣。本能寺の変で明智光秀に加担して豊臣秀吉を打ち倒そうとするが、光秀が敗北したため、その結果一族全員粛清。

③ 磯野員昌(いその かずまさ)

高虎が仕えていた浅井長政の家臣。長政が信長に敗北したため、信長にひれ伏してうまいこと取り入れられるが、後に信長の機嫌を損ねて所領を没収され追放。

時代戦国時代 - 安土桃山時代
生誕大永3年(1523年)
死没天正18年9月10日(1590年10月8日)
別名員昌、秀昌
官位丹波守
主君浅井久政→長政→織田信長
氏族礒野氏
父母父:礒野員宗
子行信、政長、女(小堀正次室)
養子:員次[1]、信澄

④ 津田信澄(つだ のぶずみ)

信長の甥っ子。信長にとても気に入られていたが、本能寺の変で明智光秀の内通を疑われて信長の家臣の手にかかり殺害。

時代安土桃山時代
生誕弘治元年(1555年)[1]か永禄元年(1558年)[2]
死没天正10年6月5日(1582年6月24日)
改名御坊[3]、坊丸[5] / 於菊丸[6](幼名)
信重(初名)→津田信澄/織田信澄
別名信重、通称:七兵衛(七兵衛尉)
墓所大善寺(滋賀県高島市勝野)
主君織田信長
氏族津田氏(磯野氏/織田氏)
父母父:織田信勝、母:高島局(和田備前守の娘)
養父:柴田勝家、義父:磯野員昌
兄弟信澄、信糺[8]、信兼[9]
妻正室:明智光秀の娘[10]
子昌澄(信重)[11]、元信[12]

⑤豊臣秀長(とよとみ ひでなが)

秀長の元では幾つもの武勲を上げて一万石の大名になる。良い主君だったが最後は城内で病死。

時代戦国時代 - 安土桃山時代
生誕天文9年3月2日(1540年4月8日)
死没天正19年1月22日(1591年2月15日)
改名小竹(幼名)
木下長秀→羽柴秀長→豊臣秀長
別名長秀、通称:小一郎、美濃守、大和大納言
戒名大光院殿前亜相春岳紹栄大居士
墓所奈良県大和郡山市(大納言塚)
京都市大徳寺大光院
官位従五位下、美濃守、従四位上、
参議兼右近衛権中将、従三位、
権中納言、正三位、従二位、権大納言
主君織田信長→秀信→豊臣秀吉

⑥豊臣秀保(とよとみ ひでやす)

豊臣秀吉の姉・瑞龍院日秀(とも)の子で、後に豊臣秀長の婿養子となる。もっとも若い主君だったが、謎の変死を遂げる。

⑦豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)

秀保が変死を遂げたことに責任を感じた高虎は高野山にのぼり剃髪する。だが秀吉に呼び戻され、伊予宇和島7万石を与えられた。

時代戦国時代(室町時代後期) - 安土桃山時代
生誕天文6年2月6日(1537年3月17日)[注釈 1]
死没慶長3年8月18日(1598年9月18日)
改名木下藤吉郎、秀吉、羽柴秀吉、藤原秀吉、豊臣秀吉
別名別名:元吉[注釈 2]
渾名:木綿藤吉[注釈 3]、豊太閤、猿、禿げ鼠
神号豊国大明神
戒名国泰祐松院殿霊山俊龍大居士

⑧徳川家康(とくがわ いえやす)

最後に仕えた主君。死因は天ぷら。

時代戦国時代 - 江戸時代前期
生誕天文11年12月26日(1543年1月31日)
死没元和2年4月17日(1616年6月1日)75歳没
改名松平竹千代(幼名)→ 元信(初名) → 元康 → 家康 → 徳川家康
別名輩行名:次郎三郎
尊称:大御所 (将軍引退後)、神君(死後)[1]
神号東照大権現
戒名東照大権現安国院殿徳蓮社崇譽(誉)道和大居士

「国に大事があるときは、高虎を一番手とせよ」
 家康が大坂夏の陣で功を挙げた高虎に対して述べた一節です。

主君と定めた人物には常に忠義を捧げ、天下人である秀吉や家康にも信頼され、ついには土豪の身分から伊勢・津32万石の大名にまで出世したのです。

出典mibon.jp

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