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音楽教室における著作物使用にかかわる請求権不存在確認訴訟

1.「公衆」に対する演奏ではないこと
音楽教室における演奏は、教師と生徒が教育目的で結合された特定かつ少数の者の間の演奏であり、「公衆」に対する演奏ではない。1対1の個人レッスンや講師1名と3~5名程度の生徒で行われるレッスンにおける演奏が「公衆」に対する演奏であるとは考えられない。

社交ダンスとの裁判での判例において、「社交ダンス教室の顧客は、著作権法上「特定かつ少数の者」ということはできず」とされておりこの主張は無理筋。
http://www.jasrac.or.jp/release/04/03_1.html

現行法制定時の資料にも、学校教育であるか社会教育であるかを問わず、教室という閉鎖的な場における著作物の使用は「公でない使用」であることが明記されており、以後、45年以上の間、社会教育における教室での授業については、演奏権が及ばないと理解されてきた。

学校教育とは「教育機関を定めている地方教育行政の組織及び運営に関する法律」において教育機関と定められたものを指し、また、社会教育とは「社会教育法」において定められた施設の利用を指し、「学校教育であるか社会教育であるかを問わず」はミスリードを狙ったもの。学校教育、及び社会教育に塾は含まれておらず、当然であるが音楽教室も含まれていない。よって、営利を目的とした活動とみなされる。

2.「聞かせることを目的とした」演奏ではないこと
音楽著作物の価値は人に感動を与えるところにあるが、音楽教室での教師の演奏、生徒の演奏いずれも音楽を通じて聞き手に官能的な感動を与えることを目的とする演奏ではなく、「聞かせることを目的」とはしていない。

今回の場合、何を目的としているかは「営利を目的としているか」「営利を目的としていないか」であって、演奏の目的は争点とならない。

3.著作権法の立法目的(法第1条)にもそぐわないこと
教育のための著作物の利用は、第1条の「文化的所産の公正な利用」に含まれるところであり、また民間の音楽教室という社会教育なくして音楽文化の発展はあり得ず、社会教育における音楽教育は、まさに同条の「文化の発展に寄与する」という著作権法の目的を実現するものであり、このような著作権法の目的に背を向けるような第22条の解釈は許されない。

社会教育とは先述の通り、音楽教室での学習は、社会教育ではない。教育のための著作物の利用も同様で、法律上、音楽教室は教区機関に含まれていないため、教育のための利用とはみなされない。

日本音楽著作権協会(JASRAC)への質問状

学校教育法に定める『学校』や『専門学校』での教育は、これ(注:著作権法38条1項)に該当します」と説明しました。
これは、その前は、音楽大学や専門学校も徴収の対象となるとしていたのを、法律上徴収の対象とはならない、という件会は180度の変遷です。

学校教育法に定める学校とはすでに先述した通り。また、たとえこれらの学校などに置いても入場料などが発生した場合は徴収の対象となりうる。授業での使用と、文化祭などでの入場料を取る催しものでの使用の異なる二種類を混同しており非常に稚拙。

ヤマハの楽曲について

JASRACのデータベースを調べれば、ヤマハ音楽振興会やヤマハミュージックエンタテインメントホールディングスの楽曲は全信託されている事が解る。

信託とはすなわち、JASRACは契約中、一時的に権利者となる事を指しており、運用に不満が有るのであればこれを解除するのが先である。

また、裁判に負けたとしても著作権料2.5%のうち75%は戻ってくるため、実はヤマハの損害は少ない。

負ければ当然のように2.5%を上回る値上げを行うであろうし、それを鑑みると、今回の裁判の目的は「JASRACという悪名を悪用した便乗値上げが目的のパフォーマンス」という裏側が見えて来る。

判例を調べず、法的な解釈などにおいても非常に稚拙で、ヤマハの抱える法務部がここまで無能と言うのもおかしい。素人でも少し調べればわかるレベルの話であり、職業で法律を扱う者であれば勝ち目は薄いと判断するであろう。

すなわち、あまり勝つ気が無い裁判でもある。この勝つ気がなく、また印象操作や具体例に欠ける応援メッセージばかりを掲載しているのもデマゴーグを広めるための常套手段であるところから見て、実は裁判そのものが目的であり、値上げのための戦略であると考えられる。

彼らが値段交渉をしているのはJASRACではなく、生徒及び親御さんらであり、裁判を起こして負ける事で値上げをしてもやむを得ないと言う空気を作るための物である。

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