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香港の帰属をめぐる背景

英国はアヘン戦争やアロー戦争を経て”清朝”の領土であった香港島・九龍半島を割譲した。その後、新界も1898年から99年間租借していた。
1980年代になるとその帰属をめぐって英中間で話し合いが何度も行われる。本来であれば租借していた新界のみの返還であったが、中国側が香港や九龍半島返還を譲らず実力行使をちらつかせたため、英国が譲歩する形となった。

よって正式には「香港主権移交(Transfer of the sovereignty of Hong Kong)」と訳されたりイギリス側からは「Handover(引き渡し)」と表記される。

中国での租借地は一般に租借期限が99年に設定されることが多かった(英領新界、仏領広州湾、ドイツ領膠州湾、日本領関東州など)。これは99年の99という数字が中国語の久久(=永久)と同音であることから、これらの租借は永久租借すなわち事実上の割譲を意味していた

イギリス統治下の香港のテレビ局のクロージングにはもちろんイギリス国歌が流れていた

いま振り返れば、サッチャー氏は実際の交渉相手だった最高実力者、トウ小平氏の戦術に極めて巧妙に操られたのではないか、との疑念が残る。
 そもそも英国が返還する必要のない「香港島」「九竜半島」まで主権を一括して渡してしまった点だ。

”小国のシンガポールを考えれば、九竜半島と香港島を領土に独立させる選択肢もあった”

「1989年6月4日に北京で天安門事件が起きた当時、その5年前の中英共同宣言の調印は明らかに失策だったと誰もが感じたし、調印する前段の中英交渉に香港人が誰一人加われなかったことも禍根を残した」

香港の民主派議員、李卓人氏

中英連合声明とは?

中華人民共和国とグレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス)が香港問題に関して共同で発表した声明

香港に対する基本方針・政策の指針
中英共同宣言・共同声明とも言う。

声明はまた、中国の香港政策の方針を記述した。声明によると、中国は一国二制度をもとに、中国の社会主義を香港で実施せず、香港の資本主義の制度は50年間維持されるとした。これらの方針は後の香港特別行政区基本法に引き継がれた。

香港特別行政区基本法(香港基本法)はミニ憲法とも称される。

香港をめぐる中英共同宣言では、97年7月1日付で主権を返還する一方、外交と防衛を除き、言論の自由を含む民主社会や資本主義経済システムなどを2047年6月30日まで50年間にわたって維持し、香港における高度な自治を保障することが重要な柱だった。

中国外交部のスポークスマンが声明を公式に否定

ボリス・ジョンソン英国外務大臣やアメリカ国務院のスポークスマンの法治、司法の独立、言論の自由に対する懸念の発言に対し中国外交部は以下のように発言...

中英連合声明は歴史の遺物であり、現実的にはすでに意味をなさず、中国政府の香港に対する管理にも拘束力を持たないとした。

この発言は中国政府が香港の普通選挙の阻止の正当化(民主派・独立派完全排除)や、香港基本法の身勝手な運用をするための布石ではないかと考えられる

また香港の主権が中国に移って以後、英国によって半年ごとに発表される「香港問題半年報告」についても中国側は度々”内政干渉”として反発している。

すでに2014年の雨傘運動の最中に

香港の「高度の自治」を明記した1984年の「中英共同宣言」について、駐英中国大使館が、「今は無効だ」との見解を英国側に伝えていた

中国の倪堅駐英公使が11月28日、同委員長に超党派の英議員代表団の香港訪問受け入れを拒否すると通告した中で、この見解を伝えた

委員長は「合意文書に記された方針について中国政府は50年間保持すると約束した。中国側は無責任だ」と非難。「合意を結んだ相手の履行状況を評価する権限がないと示すのは非常識だ」と切り捨てた。

英下院外交委員会のオタウェイ委員長(保守党)

1997年の香港返還の式典には出席したが、「イギリスが恥じるべき1日」であるとした。彼はイギリスが「香港を中国に返還する義務などなく、外務省の官僚はいつも通りに大事な貿易関係を有する外国政府にへつらったことで民主をより重要でない位置に置いた」と批判した。

イギリス労働党の影の外務大臣を務めたジェラルド・カウフマン氏
2014年12月の連合声明調査妨害による庶民院での緊急弁論にて

連合声明(Joint Declaration)=共同声明とは?

複数の国家間での合意での意思表示もあり、その場合は広義の条約とみなされる。

リフキンド元外相は、国際合意の履行状況を監視し、意見を表明するのは「英政府や下院委員会の義務だ」と断言した。

国際合意(約束)を守らない国は文明国とは見なされない。

cf.日韓合意(2015年12月28日)
→最終かつ不可逆的に解決するための合意だったが、韓国側がたった二年で事実上破棄した

不穏な独裁国家の舌...

共同声明を”歴史の遺物過ぎない”との表明は国際合意やルールを守らない国家である何よりの証拠である。

この道理が成り立つのであれば中国は”日中共同声明”も歴史の遺物と見なしているのだろうか。

中国とチベットの間の政治的取り決めからみる歴史の教訓

チベット、ウイグル、内モンゴルのたどった道、南シナ海・東シナ海、台湾、そして香港で起きている事をイメージすると何かが見えてくる。

1951年、中国とチベットの間で交わされた十七か条協定の結末は香港が今まさにたどっている道ではないだろうか。

もちろん当時国際社会の目が行き届かなかったチベットのように手荒な真似は出来ないだろうが・・・。

<中国の位置づけ>
チベットの併合「祖国大家庭への復帰」

=>香港返還「祖国復帰」「中華民族の偉大な復興」

<中国がした約束>
民族自治の保証、現行政治制度の維持、「中央政府」が改革を強要しない、チベット語の尊重と独自教育の発展、各種改革への中央政府の不干渉、人民解放軍による蛮行の制御

=>「港人港治」の高度な自治、香港の現行制度の50年間保証、現行の法律の維持、住民とその他の人の権利と自由の保障、「中央政府」「駐留軍」の香港の事務への不干渉、言語政策(広東語、繁体字)

<中国が実際にしたこと>
チベットの実質的支配を強化し、同協定の条文を骨抜きに。

=>香港への圧力強化、中英連合声明の否定、香港基本法の骨抜き着手(?)

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