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47都道府県の歴史的偉人 全国完全版

47都道府県の歴史的偉人を「劇団Camelot」プレゼンスで一挙選出大公開。マメ知識的に全国の歴史を広く浅くおさえたり、自分だったら「誰々だ」みたいな感じで、楽しんでもらえたらと思います。

更新日: 2017年07月02日

来栖崇良さん

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1606~1669年(もしも生きていたら411歳ほど)

シベチャリ(北海道日高管内新ひだか町静内)のアイヌ首長


松前藩による生活圏への侵害や不当な貿易によるアイヌ民族の不満をまとめあげて蜂起し、2カ月におよぶ徹底抗戦をするものの、松前藩より申し込まれた和睦に応じた際に殺害される。

1550~1608年(もしも生きていたら467歳ほど)

陸奥国弘前藩・初代藩主


もともと南部氏に属していたが、津軽地方の統一を果たし、南部氏から独立した大名としての地盤を固め、その地位を保証した豊臣秀吉の木像を徳川幕府の世に祀り続ける危険を冒す。

?~802年(もしも生きていたら1240歳ほど)

蝦夷(大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、日本列島の東方や北方に住む人々を異端視・異族視した呼称)の軍事指導者


胆沢に侵攻してきた朝廷軍を故郷を守るために見事な戦術で撃退するも、その後、坂上田村麻呂が率いる大軍の徹底的な攻撃に仲間を守るために投降し、京都に連行されて処刑された。

1567~1636年(もしも生きていたら450歳ほど)

仙台藩・初代藩主


伊達氏を瞬く間に東北最大の勢力にするが、天下を統一する豊臣秀吉より大幅に領地を没収され、徳川家康からは領地拡大の約束を破られるものの、戦争ではなく国土開発で仙台を100万石の領地に変えた。

1570~1633年(もしも生きていたら447歳ほど)

出羽久保田藩・初代藩主


常陸国全域に権勢を誇り、常陸佐竹氏の全盛期を築き、豊臣政権下で徳川、前田、島津、毛利、上杉に並ぶ大名となるも「関ヶ原の戦い」に勝利した徳川家康より出羽国秋田郡への減転封を命じられる。

1751~1822年(もしも生きていたら266歳ほど)

出羽国米沢藩9代藩主


日向高鍋藩主の次男坊から領地返上寸前の借金大国・上杉家に養子入りし、旧臣達と衝突しながらも米沢織などの名産品を開発して20万両(現在の価値で換算すると約100億円)におよぶ借金の返済に成功した日本史上屈指の名君。

1611~1673年(もしも生きていたら406歳ほど)

陸奥会津藩・初代藩主


民を第一に考えた日本史上屈指の名君で「明暦の大火」では抜群の政治判断と復興政策みせた。
江戸幕府3代将軍・徳川家光の異母弟でもあり、家光から11歳で4代将軍となった家綱を輔佐を託される。

?~940年(もしも生きていたら1107歳ほど)

第50代天皇・桓武天皇の5世子孫


朝廷の圧政に苦しむ関東から朝廷の役人を次々の追い出し、朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し、関東の独立を目指したが藤原秀郷、平貞盛らにより討伐された。将門をもってファースト・サムライとする見方も存在する。

1302~1356年(もしも生きていたら715歳ほど)

宇都宮氏9代当主


宇都宮氏は鎌倉幕府を支えた武闘派一族で、楠木正成が「坂東一の弓取り」と称して戦うことを避けるほどの武勇を誇り、鎌倉幕府滅亡後は、後醍醐天皇の南朝側中心勢力として足利尊氏と戦った。

1300年頃~1338年(もしも生きていたら717歳ほど)

河内源氏義国流新田氏本宗家8代目棟梁


鎌倉幕府滅亡の最大にして最終的な功労者で、足利尊氏が後醍醐天皇に反旗を翻すと南朝側の大将に任命され、各地を転戦するも箱根や湊川での合戦に敗北し、最期は越前藤島で戦死する。

1141~1207年(もしも生きていたら876歳ほど)

大里郡熊谷郷領主


源頼朝に「日本一の剛の者」と称された豪傑。「平家物語」の名場面「敦盛の最期」でも有名な自分の息子と同年くらいの敵将を涙ながらに討ち取ったことで、後に出家して数々の寺院を建立した。

1118~1201年(もしも生きていたら899歳ほど)

桓武平氏良文流千葉氏の一族


源頼朝が挙兵すると早い段階から恭順を示して、鎌倉幕府の成立と安定に多大な貢献をし、頼朝は常胤を父のように慕って新年は必ず常胤の屋敷で祝った。千葉氏中興の祖とされ全国に一族を繁栄させる。

1543~1616年(もしも生きていたら474歳ほど)

江戸幕府・初代征夷大将軍

少年時代は今川氏の人質、自領は戦国最強ともいわれる武田信玄に脅かされ、豊臣秀吉の政治力に翻弄され、結果的に大勝利の「関ヶ原の戦い」は主力部隊が到着せずに開戦、歴史的結果論とは裏腹に多くの逆境で死線をくぐり抜け、現在の東京の基礎を作り上げた日本史上最高の偉人。

1147~1199年(もしも生きていたら870歳ほど)

鎌倉幕府・初代征夷大将軍

父・源義朝が「平治の乱」で敗れると伊豆国へ流され、40歳近くで満を持してわずかな手勢で平氏打倒の兵を挙げ、関東を制圧すると軍事の天才である弟・源義経の活躍で平氏を滅亡させたが、政治的必要性から義経を追放した。その後、奥州藤原氏を滅ぼして全国を平定する。

1530~1578年(もしも生きていたら487歳ほど)

越後・春日山城主

内乱続きであった越後国を統一し、戦国最強といわれた武田信玄と5回に及んだ「川中島の戦い」で互角の勝負をくり返し、天下を目前にした織田信長は細心の注意衣を払って怖れた軍事の天才。正義を探求し、領地をうばわれた豪族達を助け、自らの領土拡大はほとんど望まなかった。

1536~1516年(もしも生きていたら481歳ほど)

越中・富山城主


織田信長のもとで武功を重ねて出世し、信長の死後は柴田勝家への義理から豊臣秀吉という勝ち馬に乗れず領地を没収された。秀吉傘下でも武功をあげて肥後一国を与えられるも一揆を招いて失脚する。

1539~1537年(もしも生きていたら478歳ほど)

加賀藩前田氏・初代藩主


顔に矢が刺さったまま敵陣に飛び込んで武功をあげる豪傑ぶりは大いに織田信長を喜ばせ、信長の死後、豊臣政権下では最も存在感を示し、秀吉亡き後は野心を抱く徳川家康にとって最大の障壁となった。

533~1573年(もしも生きていたら484歳ほど)

越前朝倉氏11代当主


ルイス・フロイスに越前は日本において最も高貴と評されるほど文芸に力を入れるも、同盟者・浅井長政の窮地「姉川の戦い」に不十分な援軍で対応するなど、戦国時代を切り抜ける決断力に欠けていた。

1521~1573年(もしも生きていたら496歳ほど)

甲斐武田家19代当主

家臣がまとまらず混迷を極める武田家を戦国最強軍団と称されるほどに結束させ、軍事の天才・上杉謙信と5回に及んだ「川中島の戦い」で互角の勝負をくり返し、甲斐本国に加え信濃、駿河、西上野、遠江、三河、美濃の一部と領国を拡大させ、徳川家康にトラウマものの恐怖を与えた。

1154~1184年(もしも生きていたら863歳ほど)

征東大将軍

以仁王が発した平氏討伐の令旨に源氏一族として挙兵すると「倶利伽羅峠の戦い」で平氏の大軍を破って入京し、源氏の代表格となりかけるが、後白河法皇との関係が悪化すると政治的に追い詰められ、源頼朝が送った源範頼・義経の軍勢に「粟津の戦い」で討たれた。

?~1556年(もしも生きていたら530歳ほど)

道三流斎藤氏初代当主


名もない境遇から僧侶や油商人を経てついに戦国大名にまで成り上がった下克上大名の典型とされ、主君であった土岐氏を失墜させて美濃国を手中にしたため「美濃のマムシ」と近隣諸国から怖れられた。

?~1519年(もしも生きていたら570歳ほど)

小田原北条氏始祖


実力がものをいう戦国時代の幕を開けた人物とされ、駿河国で挙兵して歴史の表舞台に立つと、伊豆国、相模国を手中にし、小田原城を本拠に5代に渡って関東一円に覇を唱えることになる。

1534~1582年(もしも生きていたら483歳ほど)

第六天魔王

家督争いの混乱を収めて尾張を統一し、10倍ほどの戦力を持つ今川義元を「桶狭間の戦い」で討ち取ると、婚姻による同盟策などを駆使しながら領土を拡大。室町幕府を滅ぼし、日本の富の大部分を所有しているといわれた本願寺との10年に渡る戦いを制し、畿内を中心に強力な中央集権を確立して戦国時代の終焉に道筋をつけた。

1556~1630年(もしも生きていたら461歳ほど)

伊勢津藩・初代藩主


15歳の時に浅井軍の足軽として初陣を迎えてから次々に士官先を変えながらも、その先々で恵まれた体格と勇猛さで武功をあげ、豊臣家では伊賀上野城など生涯におよそ20の城を造る築城の第一人者であった。

1560~1600年(もしも生きていたら457歳ほど)

近江国・佐和山城主


憧れの豊臣秀吉のもとで、面積など格サイズの基準を全国的に統一して日本経済を大きく発展させた豊臣政権の文治派筆頭で、秀吉の死後、次の天下への野心を見せる徳川家康と「関ヶ原の戦い」で決戦するも敗れ、京都六条河原で処刑された。

1537~1598年(もしも生きていたら480歳ほど)

史上初の武家関白

尾張国の下層民の家に生まれたとされ、身分を問わずに実力を評価する織田信長に仕官すると知恵と工夫でメキメキと頭角を現した。信長が「本能寺の変」で明智光秀に討たれると真っ先に仇を討ち、信長の後継者争いを有利に進め、柴田勝家を「賤ヶ岳の戦い」破る。全国を平定し、100年間難攻不落を誇った北条氏の小田原城を攻略して天下統一を決定付けた。

1659~1703年(もしも生きていたら358歳ほど)

播磨国赤穂藩・筆頭家老


「赤穂事件」で主君・浅野長矩が切腹のうえお家断絶となると、赤穂浪士47人による吉良屋敷に討ち入りを見事に成功させ、忠義を果たした美談は「忠臣蔵」として長く日本人に愛される物語となった。

574~622年(もしも生きていたら1443歳ほど)

用明天皇の第二皇子


推古天皇のもと蘇我馬子と協調して政治を行い、緊迫する東アジア情勢のなかで遣隋使を派遣するなど一流国・中国の文化や制度を学んで「冠位十二階」や「十七条憲法」など天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図った。

1684~1751年(もしも生きていたら333歳ほど)

江戸幕府・8代将軍


紀州藩主として10万両という莫大な借金を新田開発などの改革で完済し、将軍に抜擢されると米価安からなる全国的な経済不況を克服するため通貨の増発をし、経済復興を成し遂げた名君。

?~1028年(もしも生きていたら1040歳ほど)

太政大臣

政権トップに登りつめると、娘・彰子を一条天皇に嫁がせ、さらに孫である後一条天皇にも自身の娘・威子を嫁がせて甥と叔母の間柄という異例の結婚を成立させ、結果、三代に渡って道長の孫が皇位を継承し、長期安定政権を迎えた朝廷では王朝文化が花開いた。

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