1. まとめトップ

海老蔵を悩ませる「後添え問題」!梨園の掟がせつない・・・

やはり避けてはは通れない再婚なのでしょう。梨園の世界とは無情にも感じます。

更新日: 2017年07月06日

1 お気に入り 83977 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

baba8さん

「市川團十郎」襲名とは

「市川團十郎」は歌舞伎の創成期以来350年にわたり、市川宗家に受け継がれる大名跡だ。「尾上菊五郎」、「松本幸四郎」など梨園に名跡は多々あるが、團十郎の名は別格とされる。

市川海老蔵

生年月日:1977年12月6日 (39歳)
出身地:東京都
配偶者:小林 麻央 (2010年〜)
十一代目 市川 海老蔵は、歌舞伎役者、俳優。歌舞伎名跡「市川海老蔵」の当代。屋号は成田屋。定紋は三升、替紋は杏葉牡丹。本名は堀越 寶世。旧名は堀越 孝俊。愛称に「海老さま」、「海老ちゃん」がある。妻はキャスターでタレントの小林麻央。Wikipedia

「海老蔵さんは、2020年の東京五輪委員を務めます。そこで松竹サイドはオリンピックイヤーに華を添えるべく“ある計画”を考えています。それは海老蔵さんが十三代目・市川團十郎を、勸玄くんが八代目・市川新之助を襲名する“親子同時襲名興行”です。『団菊祭』を皮切りに、全国を回る超目玉興行になるでしょう。通常、襲名披露の発表は1年以上前。つまり19年初めごろまでには詳細を決めなければなりません」(歌舞伎関係者)

「江戸の歌舞伎は初代團十郎が作りあげたもの。名跡の世襲を始めたのも初代。明治以降も江戸歌舞伎は、團十郎を主役とすることを前提として栄えていった。現在約30の家がある歌舞伎界で“宗家”と名乗るのは成田屋だけ。家の格は揺るぎないナンバーワンです」

梨園の掟

そこで切り離せないのが“梨園の妻”の存在だという。梨園では「舞台の中は役者の仕事。外は妻の仕事」との言葉があるように、芝居以外は雑事に至るまで妻が取り仕切るのが一般的だ。襲名ともなれば、贔屓筋への挨拶まわりの順番決めから、引き出物の手配まで、すべては妻の仕事となる。

海老蔵の母希実子さんと在りし日の麻央さん

そんな「梨園の妻」=「歌舞伎俳優に嫁いだ妻」は日々何をしているのでしょうか。具体例を挙げれば、夫の仕事を円滑に進めるための対外的な手配や、食事の心配り、またはお給料の心配から盆暮れの付け届けといったお金やスケジュール管理など。歌舞伎は家族総出の商売ですから、そこの“おかみさん業”と考えていいかもしれません

松本幸四郎・藤間紀子ご夫妻
子供は市川染五郎さん、次女の松たか子さん

中村橋之助の妻である三田寛子さんは新婚当初、茶道・華道はもとより、習字・マナー教室・江戸会席近茶流料理を習い、歌舞伎の歴史、しきたり、200にも及ぶ演目についても学んだそうです。

「亡くなった坂東三津五郎さんが『八十助』から『三津五郎』を襲名したときは元妻・近藤サトさんと離婚したばかりで『妻がいないのに襲名できるのか』と批判を浴びた。それが團十郎ともなれば、襲名という大一番に妻がいないといろいろな不都合が予想される。それが“梨園の掟”というものです。

尾上菊五郎・富司純子ファミリー

梨園の常識世間の非常識

中村橋之助(51)と京都の芸妓・市さよとの不倫が発覚したが、時代は現代に移り変わっても、歌舞伎役者たちは艶聞に事欠かない。

中村橋之助と京都の芸妓・市さよ

2012年に57歳の若さで急逝した中村勘三郎は歌舞伎界きっての艶福家で知られ、若かりし日の故・太地喜和子から始まり、大竹しのぶ、宮沢りえ、椎名林檎、石川さゆりと亡くなるまで浮いた噂が消えることはなかった。

故18代目中村勘三郎
ちなみに、故・十八代目中村勘三郎の妻・好江さんは、中村芝翫を父に持つ歌舞伎界の女性。生まれながらにして、さまざまなしきたりに馴染んでいたこともあって、夫の着物の整理、書き抜き(※)、台本、資料の整理など全てをこなしていたそうです。

※役者個人のセリフだけを書き抜いて1冊の本にとじたもの
https://focus.allabout.co.jp/gm/gc/463304/?from=news.yahoo.co.jp

歌舞伎役者たちは艶聞に事欠かない。すべてこれ芸の世界?
不倫もお客様商売の役者たち。

避けられない後添え問題

大名跡“成田屋”を背負ってく自負も感じられるが、なんと海老蔵に、「團十郎襲名」の話が、持ち上がっているという。しかし女性週刊誌記者いわく「団十郎襲名の話が進んでいたようですが、麻央さんの病気で、海老蔵さんが『少し先に延ばして』と、辞退したようですね」。

「梨園とは、古いしきたりや格式を重んじるところ。一般の人の生活が洋式になってきた今の時代では、驚くような決まり事も少なくないと思いますし、梨園の妻がやるべきことは、実はたくさんあるんです」

暴行事件後、臨月にもかかわらず義母とご贔屓筋を訪問('11年6月)

「それまでは、希実子さんは彼女を頼りなく思うところもあったそうです。しかし、皮肉にも暴行事件での対応が、梨園の妻として姑の信頼を勝ち取ったのです。麻央さんにがんが見つかったときは、“私がなればよかったのに……”と言ったくらいですからね」(成田屋のご贔屓筋)

6月23日の会見で海老蔵は「これからも(麻央から)教わり続けるのは愛なんだと思う」と“永遠の愛”を誓った。

「梨園の掟」と「永遠の愛」の狭間で傷心の海老蔵の悩みは尽きないのか。

1