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上海と横浜は似ている?意外と共通点がありそうだった!

中国本土で最大の経済都市である上海。中華街で有名な横浜とは、実は共通点が多そうだ。調べてみていると似ている点は案外多い

更新日: 2017年07月17日

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gudachanさん

上海出身のウェイウェイ・ウーは「横浜と故郷が似ている」と感じた

横浜については「どことなく故郷の上海に似ているような気がしていて、モーション・ブルー・ヨコハマならではのプログラムになると思います」と言っている。

上海と横浜は40年以上前から姉妹都市

上海市(中華人民共和国)は、目覚ましい発展を続ける、注目の国際経済都市です。
横浜市と上海市は、1973(昭和48)年11月30日に友好都市提携を締結し、2013年に40周年を迎えました。

横浜市と上海市の友好都市提携関係は、1972(昭和47)年の日中国交正常化の後、自治体レベルでの友好関係を深めようということで始まったものだ。なんと国交正常化の翌年、1973(昭和48)年には、横浜上海友好都市提携宣言がなされた。(なお、現時点で世界中の74都市と友好提携関係を結んでいる上海市にとって、横浜市が一番目の友好都市だそう)。

幕末からの歴史ある横浜中華街と上海の深い関係

横浜のシンボルでもある中華街。この地における華僑の歴史は古く、江戸末期の開港当初からさかのぼることができる。租界があり欧米先進国とのつながりや近代化の先んじていた上海出身の人たちが、日本と世界の仲介者として重宝されたのだ

開港当時西洋人は日本語がわからず、日本人は西洋の言葉や商売についてほとんど知識がありませんでした。

上海の西洋商館で働いていた中国人は西洋の言葉が話せ、また日本とは漢字で筆談ができました。そのため中国人が西洋人と日本人のあいだに立ち、生糸や茶の貿易で仲介者の役割を果たしました。

いまなお中華街を代表する見所の1つである關帝廟は、関東大震災で著しい被害を受けた際、上海から送られてきた關帝像を安置すること再建。街の復興を願う人々の拠り所となった

1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で、中華街一帯は壊滅的な打撃を受け、關帝廟も倒壊します。震災以前には5,700人あまりであった横浜華僑は、1,700人あまりが亡くなり、助かった人びとの多くも、神戸・大阪、また故郷の広東・上海などに避難しました。

しかし街の復興とともに、華僑は横浜に戻ってきます。中華街復活の象徴となったのが關帝廟の再興でした。1925年(大正14年)の秋、二代目の關帝廟が中華会館の裏手に再建されます。12月23日には、伊勢山大神宮の神官5人が臨席し、上海から送られた關帝の鋳像を安置して、開扉式が行われました。

上海と横浜は地域性もソックリ

「自分たちは中国人ではなく上海人」と思い込んでいるのが上海の特徴。よく言えば地元のプライドがシッカリしているというわけだが、田舎者嫌いが激しいのだ

上海人と外地人(地方出身者)は明確に区別があって、多くの場合プライベートで上海人は上海人とだけ付き合い、その間には明確な壁がある。

例えば、オフィス。女子トイレにて・・・
地方出身者が入ってきたかと思うと、上海女子は、「田舎者が来たわよ。下品よね~」とわざと聞こえるように言います。
上海女子と地方出身者でグループができ、一緒に食事をすることも、オフィス内で口を聞くことも、ほぼないそうな。

横浜もプライドが高い地域として知られ、上海人が首都である北京さえ田舎者扱いするように、東京を嫌悪する人が多い。地方が恥ずかしいことはいうまでもなく、同じ神奈川県内でも横浜市外は他所者扱いだ。これも上海と同じ「中華思想」と言える

横浜は西洋人が多く出入りした港町だがら。文明開化の昔から、街並からして異国情緒で。ハンバーガーやそんなもん昔っから食べてて。それをお洒落と騒ぐ東京なんて、田舎者じゃんよーと横浜育ちは深く思っている…。

そもそもハマっ子たちは、「神奈川県の中に横浜市がある」のではなく、「横浜市の外に横浜に憧れを持つ“神奈川県という田舎”が存在する」と考えている。その“横浜中華思想”が、横浜以外の神奈川県民をウンザリさせるのだ。

上海にある横浜路・横浜にある上海路

東横浜路、横浜路、西横浜路と繋がり愈涇浦(水路を浜と言う)に沿(横)っている路なので横浜路と呼ばれている。

なかでも味わい深いのは東横浜路。日本の地名がついたこの界隈ならではの路地で、今も庶民的な家々が軒を連ねています。木の手すりがあるベランダ付きの二階屋など、建物をよく見るとどこか和風で戦前の日本のトリップしたような気分になりますよ。

上海路や福建路のように、横浜中華街のストリートには中国の地名が名付けられています。これは、上海路であれば上海出身者が多く暮らしているストリートというように、居住者の出身地を冠しているのです。

しかし、これらの名が地図に登場してきたのは、ここ15~20年ほど前のこと。それまで、小さな路地などには名前がなく、香港路は昭和62年まで営業していた銭湯にちなんで“フロ屋通り”、中山路は米軍がそう呼んでいたことから“ハッピーアベニュー”などの通称で呼ばれていました。

横浜にやってきた香港上海銀行と上海にもある横浜正金銀行

香港上海銀行(HSBC)は、その名の通り1865年に香港と上海で同時に創業し、翌年には横浜に進出している。三菱東京UFJ銀行の源流である横浜正金銀行にとってはお手本だった

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