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高級車『ランボルギーニ』の歴史が丸わかり!!

多くの人々の憧れ『ランボルギーニ』意外と知らなかった事が多いかもしれません!!

更新日: 2017年07月19日

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Kate.0407さん

創業者は裕福な農家で生まれる

イタリアのレナッツォ出身のフェルッチオ氏は幼い頃から機械好きという事もあり、大学は工科大学に進学、第二次世界大戦では整備兵を務め、退役後に自動車事業へ取り組みました。

まずはトラクター販売で大儲け

大戦直後、フェルッチョ・ランボルギーニはトラクター製造工場を設立、精力的かつ決意に満ちた活躍で、その分野でのベンチマークとなっていった。

スーパーカーを生産する以前から、成功を納めていました!!

フェラーリへの反発!? "猛牛"エンブレムの由来

実はフェルッチオ氏の当時の愛車はフェラーリでした。愛用していたフェラーリが何度もクラッチ故障を起こすので、修理のためにフェラーリ社に部品を請求したところ、なんとランボルギーニ社のトラクターに使用しているパーツが送られてたそうです!しかもそのお値段は通常の10倍…。

クレームをつけようとフェラーリ社に問い合わせたところ全く相手にされず、フェルッチオ氏は激怒。「いつかフェラーリよりも優れた高級車を作ってやる」と心に決め、フェラーリの跳ね馬エンブレムに対抗して「猛牛」をエンブレムにしたと言われています。

フェラーリの『跳び馬』を下から突こうとしているデザイン!!
創業当時からライバルとして考えていたわけですね!!

実はこれ、入念に練られた作り話しだった!!

創業者の右腕としてあのカウンタックなど数々の名車生み出したパオロ・スタンツァーニ

このエピソードはフェルッチョ本人によって入念に練られた作り話なんだ。彼は運転が荒かったからフェラーリのクラッチをすぐにダメにしてしまい、よく交換していたようだ。

しかし、それはハイパフォーマンスカーなら当たり前であり、欠陥という訳ではない。そもそもエンツォ・フェラーリに会ったことすらなかった。ランボルギーニという会社にマスコミやカーマニアが興味を持ってくれるようにリークした訳だ。

フェルッチオ氏が牡牛座だったからという説もあるようです。

1962年 - フェルッチオ・ランボルギーニ社を創設

出典wired.jp

現在のランボルギーニ本社

すでに強力かつ明確な考えを持つ成功した男と認められていたのだが、ファラーリに対抗するスパーカーを作ると宣言したときは、さすがに、狂っているといわれたものだ。

スーパーカー事業に対して周囲の皆は大反対だったらしい!!

元々は優秀なメカニックであった彼は、クラッチ修理と同時にフェラーリに装着されていたウェーバー製のダウンドラフト型キャブレターをサイドドラフト型の物に改め、エンジンヘッドをオリジナルのSOHCから当時は市販のフェラーリに採用されていなかったDOHCに改造した。

完成した車は公道でのテスト走行中の新型フェラーリをカモにできるほど速かったという。

トリノ・オートショーで1号車になる『350GTV』を発表

販売期間1964年 - 1966年
生産台数131台または135台

非常に目を引く独創性にあふれたフランコ・スカリオーネのデザインによるボディラインを持ち、性能面や上質なインテリア等で一定の評価を得たが居住性やGTとしての使い勝手で酷評を受ける。

この評を受けてすぐにフェルッチオは根本的な改修を指示

翌年に後継の400GTが発売

今見てもカッコいいですね!!

独創的なスタイルと快適性の高次での両立がエグゼクティブの間で話題となっており350GTは130台以上、400GTでは250台以上、当時の超高級GTとしては非常に良好なセールスを記録している。

その後も数々のヒット作を生み出す

伝説の闘牛牧場ミウラの名にちなんで命名された。

Countach(クンタッシ)とは、イタリア北西部ピエモンテ地方の方言で「驚き」を表す言葉。

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