1980年代中頃、
ブンデス・リーガで優勝争いを繰り広げた2強、ブレーメンとバイエルンの
両チームの外国人助っ人計4人は、
ブレーメンがブルーノ・ペッツァイと奥寺だ。
一方バイエルンは、W杯1986で、最優秀GKに選ばれた
ベルギー代表、ジャン・マリー・パフ。 バロンドールが最高6位。
もう一人がデンマーク代表ボランチのセーレン・レアビー。
彼は、バイエルン時代、バロンドールで12位、13位。欧州最高レベルのボランチ。
レアビーは、欧州CC1980年で、得点王の経験もあった。
他の3人は凄い顔触れだが、そこに奥寺が居た凄さを日本人は分かっていない。
欧州最強リーグ上位2チームの助っ人は、世界の一流選手達だった。
ちなみに奥寺のブレーメン時代のバイエルンとの対戦成績は、
4勝3分2敗(リーグ戦)で、勝ち越している。

奥寺康彦は、スピードを生かしたドリブルが持ち味だった。
しかし、それが世界で通用するレベルとなるには、きっかけがあった。
奥寺は、小学生時代、遊びで卓球をやっていた程度で、
本格的に何かのスポーツ少年団に入って、運動をしていた子供ではなかった。
そして奥寺は中学入学し、卓球部に所属し、卓球場から外を見て
「たくさん走って嫌なスポーツだな、サッカーっていうのか、あれ」と思い
サッカーというスポーツの存在を知ったそうだ。
当時、日本で、サッカーの普及は、それ程、低かった
(奥寺が中2の時、やっと日本初のサッカー雑誌が創刊されたという時代だ)。
そして奥寺は、サッカー部に転部し、ここで蹴り方の初歩段階を教わったのが、
サッカーとの出会いであった。これは現代の感覚だと、異例の遅さであろう。
「当時はトゥーキックでしか蹴れず、インステップが難しく、習得に約1年かかった」
と語っている。(更に最初の一年は、球拾いばかりで過ぎた。
ちなみに奥寺の中学校は、最初、ハンドボールのゴールしかなく、
しばらくはハンドボールのゴールで練習をしていた。環境もとても悪かった)
その為、サッカーを始めるのが遅かったのと、
高校卒業後はサラリーマンなので2日に一度しか練習ができず、
また仕事は夜勤まで含まれる過酷な内容で、
更に21才頃から2年近く、椎間板ヘルニアに苦しみ、手術をしても治らず、
周囲に「引退宣言」をする程の深刻な危機にも襲われ、
その期間は、調子がずっと悪く満足にプレイできなかった為、
「当時はスピードとシュート力はあったけど、柔らかいテクニックが下手だったので、
そこを学びたいと思っていた」と語っている。
しかし、その後、腰痛が完治し、
ブラジルで2カ月間、ビッグクラブ、パルメイラスで武者修行のチャンスを得ると、
そこで成長するきっかけを得た。
ここでスター選手だったジノ・サニ監督
(ブラジル代表でW杯優勝し、ACミランで欧州CCに優勝した名手)
から指導を受け、フィジカル・トレーニング中心の基本練習ばかりで失望したが、
それが奥寺にとって大きな効果を発揮した。
また2軍メンバーで毎週一度、一軍選手と紅白戦をする貴重な機会を得て、
奥寺は「自分と同じく足の速い一軍の黒人選手が、テクニックでなくそのスピードを生かし、
抜き去って行くドリブルのプレイ・スタイルを見て非常に参考になった。
ブラジル修行中、必死にそのスタイルを真似して大きく成長できた」と語っている。
つまり、奥寺は中村俊輔や小野伸二よりテクニックで劣っているかもしれないが、
世界の一流で通用するのに、そんなモノは過剰に必要ないという事だ。
奥寺はリフティングなどは下手であった。
しかし、奥寺の様に自分の持ち味を生かしたスタイルを築き、
高いレベルに到達したならば、世界の名将バイスバイラーの目にも留まるのである。
馬鹿日本人のテクニック至上主義の価値観で
奥寺は中村、小野、香川より下と考えているのを見ると、
サッカーの本質を分かっていないとしか言いようが無い。
奥寺は強烈なシュートを撃ち、スピードがあり、的確にプレイし、1対1がとても強い。
ドイツ時代のイエローカードはたった7枚(313試合)で、
ファウルせずにボールを奪える守備力を持っていた。
長谷部は44枚、長友27枚だ(2018年現在)。
奥寺はとても基本的な事に優れた選手で、
アホ日本人は足技で小器用な所を見ないと認めないアホ体質なので、
奥寺の凄さを理解できないという事だ。
一方で世界の名将、バイスバイラー、レーハーゲルは凄さを理解し、
外国人たった2枠でも是非、奥寺が入団してくれれば、
欧州最強リーグで優勝できる可能性が高まると思ったのだ。
世界の名将は奥寺に魅了され契約し、レギュラーで何年も使い続けたが、
バカ日本人は何十年経っても魅力も凄さも分からないアホという事である。

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奥寺康彦、日本史上最高の選手。    日本人は歴史を知らない為に凄さが分かっていない。

奥寺康彦。外国人枠2枠の厳しい時代に欧州最強リーグの1位や2位チームで外国人助っ人を長年に渡って務め、  ドイツ・ブンデス・リーガで優勝1回、2位3回という傑出した成績。欧州9年のうち3年は欧州最高の攻撃力の あるチームでシーズンを送った(欧州一の攻撃陣の1人だった)。まさに世界の一流選手。

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