出典 rulliさんがアップロード

奥寺はアジア人で初めて欧州プロリーグに参戦し、簡単に通用し、リーグ優勝をした。結局9年も活躍し続けた。   後の世代の日本人は奥寺のように最強リーグ上位チームでレギュラーになれない下手共。

1978年、ケルン2冠達成、記念写真。

中段右から2人目が奥寺康彦。その隣(右端)が 2年連続リーグ得点王、ユーロ1976年大会得点王だったディーター・ミュラー。
中段左から2人目がMFクルマン、後段右端がMF フローエ、2人はボランチでW杯1974年優勝
メンバー。
ベッケンバウアーは1970年代後半、
「フローエはドイツでナンバー1の選手だ」
と称賛した。
中段左端がノイマン。彼はチームの新司令塔だった。
前列左端がベルギー代表FW、
ロジャー・ファン・ホール。 

GKがドイツ代表シューマッハ
(W杯1986、大会最優秀選手、次点)。

前列右端がCBシュトラック。
以上が、主力だ。

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奥寺康彦、日本史上最高の選手。    日本人は歴史を知らない為に凄さが分かっていない。

奥寺康彦。外国人枠2枠の厳しい時代に欧州最強リーグの1位や2位チームで外国人助っ人を長年に渡って務め、  ドイツ・ブンデス・リーガで優勝1回、2位3回という傑出した成績。欧州9年のうち3年は欧州最高の攻撃力の あるチームでシーズンを送った(欧州一の攻撃陣の1人だった)。まさに世界の一流選手。

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