奥寺康彦の凄いポイントを6つ紹介する。
まず最初は、「34才でもドイツ2位チーム主力で、通用していた事」だ。
(1986年時、34才でまだ1年契約延長提示される程、優秀だったが、日本復帰した)。
奥寺は1986年時、欧州5大リーグで「3番目に高齢、外国人助っ人」だった。
「1985年、86年は、2年連続でドイツで最高齢、外国人助っ人」だった。

【1986年、欧州助っ人、年齢順位】(1985年も同じ順位だった)
1位 デリオ・オニス(トゥーロン)38才。
2位 ウバルト・フィジョール(A.マドリード)36才。
3位 奥寺康彦、34才(3月12日生)。
4位 同い年、ハリルホジッチ(パリSG)5月15日生。
5位 オズワルド・アルディレス(トッテナム)8月3日生。

名選手だらけだった。

凄い点、第2は「欧州CCでアジア人、初ゴール(しかも準決勝で)を挙げた事」だ。

奥寺の凄い所3つ目は、数多くのポジションを務められる事だ。
中田英寿、香川真司、本田圭佑は強豪クラブに移籍したらベンチに座ったが、
奥寺はこの優れた特徴により、欧州最強リーグで通用した。他の日本人と格の違いを示した。
奥寺はFW、MF、DF全て出来て、両足が器用なので両サイドでプレイできた。
前から後ろから、左から右まで全部できた。
奥寺のこの稀に見る『超ユーティリティー性』は、欧州で成功した最大要因だった。
ケルンでは、両ウィング、CF、サイドハーフ。
ヘルタ・ベルリンでは、ボランチと右SB、サイドハーフ、
ブレーメンでは、主に左サイドハーフであったが
「監督から、SB、CBを命じられた試合もあった」と語り、それもこなした。
奥寺は「ドイツでは、ほとんどのポジションでプレイした経験がある」と語っている。
ちなみに奥寺はヘルタ時代、初めてサイドバックを務めた事に関して
「SBはオーバーラップする際、目の前に広大なスペースがあって、
それをスピードを生かしてプレイするのが、自分にとても向いていた。
だからウィングでなくなった事に未練はなかった」
と語っている。
またブレーメンのレーハーゲル監督は、奥寺の多彩さを称賛していた。
左サイドハーフの奥寺が、攻撃にも守備にも貢献し、中盤でチームのバランサーとしても働き、
豊富な運動量で色々な役割をこなし、プレイする特徴を
「奥寺を得たら3人選手が居るのと同じ。奥寺は3人分の仕事ができる名手」と述べていた。

凄い所4つ目は、『外国人2枠時代に助っ人』だった事だ。
昨今、ヨーロッパに多くの外国人選手が居るが「地元の選手より下手ではないか?」と
実力に疑問を感じる選手も多い。
しかし、奥寺の時代に成功した外国人は、明らかに自国の選手よりレベルが高かった。
欧州強豪リーグの外国人助っ人は、世界のより抜きの名手が選抜され、来ている感じだった。 
しかも奥寺は上位チームの外人助っ人だったので、ハイ・レベルな訳だが、
日本人はアホで、優秀さが分からないのである。

奥寺の凄い点5つ目は、身体能力だ。
奥寺は、強烈なシュートが撃て、ヘディングが強い。
奥寺の元同僚で、長谷部の監督となったトーマス・シャーフは
「長谷部より奥寺の方が、ダイナミックだった」と語っているが、
奥寺は、スピード、キック力など基本の身体能力が高い。ドイツ人と遜色が無かった。
奥寺はドイツ移籍当初について
「強豪ケルンのドイツ人スター選手達と、力の差をほとんど感じなかった」と話し、
「彼らはテクニックやパスのうまさを持っていたけど、僕は彼らにないスピードを持っていた。
そしてウィングでゴール・チャンスを作るのが仕事だった」と述べている。
それだけ身体能力が、世界トップ級だったという事だ。

奥寺の凄い点、最後は、日本復帰直後、1986年に古河電工(現在のジェフ千葉)の一員として
「アジア・クラブ選手権(現在のACL前身の大会)に参加し、日本初のアジア王者になった事」
サウジアラビアの首都リヤドで、アル・ヒラル(サウジアラビア)、アル・タラバ(イラク)、
遼寧FC(中国)と決勝リーグを戦い、3連勝して優勝した。
奥寺はアル・ヒラル(準優勝チーム)戦に4-3で勝利した際、ハットトリックの大活躍をした。
「アウェーで中東クラブ戦でハットトリック」した日本人は未だに奥寺だけで、
「決勝でハットトリックしたアジア人」は、未だに奥寺だけだ。
多分、日本人で決勝でハットトリックする選手は、永遠に出て来ないだろう。
日本クラブのアジア初優勝は、奥寺康彦の大活躍によってもたらされた。
日本サッカーでは、欧州でのパイオニア(開拓者)も、アジアでのパイオニアも、
奥寺康彦だったという事だ。

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奥寺康彦、日本史上最高の選手。    日本人は歴史を知らない為に凄さが分かっていない。

奥寺康彦。外国人枠2枠の厳しい時代に欧州最強リーグの1位や2位チームで外国人助っ人を長年に渡って務め、  ドイツ・ブンデス・リーガで優勝1回、2位3回という傑出した成績。欧州9年のうち3年は欧州最高の攻撃力の あるチームでシーズンを送った(欧州一の攻撃陣の1人だった)。まさに世界の一流選手。

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