上記のリストを見て、
「なぜセリエAは、欧州最高得点率を記録したチームがないのか?」
という大きな疑問を持つ人も居ると思います。
特に、1986~89年、1991~99年まで、セリエAが欧州最高リーグでした
(UEFAリーグ・ランキング1位)。
この時代は、優秀なFWが、イタリアに数多く集まっていました。
しかし、それでも「欧州最高得点率」になるチームは、生まれませんでした。
理由は、イタリアという国は、とにかく「守備マインド」の強い国だからです。
攻撃より守備なんです
(特に20世紀中のイタリアはずっとそうでした)。
だから、1990年代、ずっと欧州最強リーグであったにも関わらず、1チームも欧州最高得点率を
記録したチームはありませんでした。
日本では1980年代後半、ACミランの「オランダ・トリオ」が有名で、アリゴ・サッキが
「攻撃的スタイルのチームを作った」と伝説のように説明されますが、
実際、あの時代の得点数を見てみると、全く高くないです。
ACミランは、リーグ優勝した年も、リーグ最多得点チームですらありませんでした。
セリエAのチームが守備が強いという影響もありますが、得点率は2.0以下で高くないです。
日本人は、歴史的名CF、マルコ・ファン・バステンが居た事や、ルート・フリット、ライカールト等迫力ある巨人達のゴール・シーンを繰り返しTVで見せられ、
「ミランは攻撃力が凄かった」という印象を持ち、錯覚しています。
偽りのイメージが伝播して、事実が霞んでいるのです。
この原因は、ミランが欧州の国際大会(欧州チャンピオンズカップ)で、
1988年シーズン、準決勝、決勝の大舞台で5-0、4-0と2回続けて大勝し、
華々しく優勝した事が大きいと思います。
その為「あのミランは攻撃が凄かった」と強く印象づけられてしまっているのです。
実際は、年間通しては、得点率が決して高いチームではなく、
攻撃力が際立って高いチームであったとは、言い難いです。

セリエAファンの方、朗報です。
上記のリストにはありませんが、
1950年以前を調べたら、1チームだけ、「欧州最高得点率を出したチーム」が、見つかりました。
それは、「トリノFC 1947-48」チームです。
このチームは、当時、「グランデ・トリノ(偉大なトリノ)」と呼ばれていて、
第二次世界大戦を挟み、「セリエA、5連覇」をした伝説のチームです。
そしてリーグ4連覇を達成した1948年に、125ゴール(リーグ戦40試合)を挙げ、
なんと「得点率、3.1」という驚異的な数字を叩き出し、欧州1位になりました。
この1948年の他の国の得点率1位との比較は、
トリノ(3.1)、A.マドリード(2.8)、マルセイユ(2.4)、ウォルバーハンプトン(2.0)
です。
見事、イタリア・クラブが1位です。
イタリアのチームが「得点率、3点台」を出したなんて信じられませんね
(多分、イタリア史上このチームだけでしょう。100点以上、得点しているのも信じられません)。
しかし、トリノFCは翌年、1949年5月4日、飛行機事故で18人が亡くなりました
(搭乗者、全員死亡)。
この様な「イタリア史上、『最高の得点率』を叩き出したスーパー・チーム」が、
翌年、飛行機事故で消滅したのです。なんて悲しい出来事でしょう。
このトリノFCは、1947年には「イタリア代表先発メンバー11人のうち10人がトリノの選手」
という事を実現したそうです。
そして、翌1948年も、「イタリア代表先発のうち7~8人がトリノの選手」という状態でした。
本当に「グランデ・トリノ」はその名の通り偉大で、途轍もなく凄かったんですね。
この当時、「イタリア代表 = トリノFC」状態だった訳です。
こんなスーパーチームが墜落事故により、消滅してしまったのですから、
イタリア・サッカー界にとって途轍もなく大きな損失だった事が分かります。
事故がなければ、イタリアのW杯優勝回数は、もっと増えていたかも知れませんね。
私はトリノFC以前の1930~40年代は、調べていませんが、
セリエAファンで興味のある方は、自分で調査して下さい
(多分、他にイタリアのチームで、「欧州最高得点率1位」は、
調査しても無いと思いますけどね)。

日本の雑誌には、このような知識は載ってませんので「蘊蓄(うんちく)」を披露したい方は、
どうぞ使って下さい。亡くなったトリノ選手達も偉業を忘れられずに語られる事は嬉しいはずです。天国で喜ぶでしょう。

日本では「1958年、マンチェスターユナイテッド飛行機事故」は、よく紹介されますが、
トリノFCの方が更に悲惨で、彼らはマンチェスターより強いチームでした。
もう少し、日本で紹介されても良い事件だと思います。

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