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[閲覧注意]世界の殺人鬼 file.2

人間に最も多くの災禍をもたらすものは人間なり。byプリニウス一世 ……暫定的に公開中。随時追加します。

更新日: 2017年09月17日

felethさん

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カーマイン・カラブロ

カール・デンケ

カール・デンケ
1870年8月12日~1924年12月22日

後述するフリッツ・ハールマンと同時期のドイルで暗躍した殺人鬼。
もっとも有名な食人鬼のひとりです。

他の殺人鬼たちが性的な趣向において食人を行うケースが多い中、彼の場合は「経済的な理由」という非常にわかりやすい理由で犯行を行いました。

カール・デンケは下宿所を営んでおり、ホームレスを無料で泊めるなど慈善活動家として知られ「パパ・ゲンテ」というあだ名で親しまれていたそうです。

下宿をさせていたホームレスを襲った際に犯行が発覚。
まめな人物だったようで3年間にも渡る殺害の記録が残されていました。

この事件の背景には第一次世界大戦直後の敗戦国ドイツというものがあります。
無政府状態となったドイツにおいて数多くのホームレスの誕生やモラルの崩壊など様々な要因によって誕生した殺人鬼といえます。

こういった混乱は後にナチスの台頭を許すことになります。

カールトン・ゲイリー

カール・ハルトン

1944年10月7日、第二次大戦下のロンドン近郊ステインズでの出来事である。タクシー運転手、ジョージ・ヒース(34)の遺体が道路脇の側溝で発見された。死因は銃殺だった。そばには彼の商売道具、フォードV8のタイヤ痕が残されていた。おそらく強盗目的の客に殺されたのだろう。

 翌日、奪われたフォードはハマースミスのフルハム・パレス・ロードで発見された。やがてフォードに乗り込もうとする米軍兵が、現場で見張っていた警官に取り押さえられた。リッキー・アレンと名乗るその男は、本名カール・ハルトン(22)という脱走兵だった。
 ジョージ・ヒースが殺された晩、すなわち10月6日のアリバイを訊かれたハルトンは、恋人のショーガール、ジョージナ・グレイソンこと本名ベティ・ジョーンズ(18)と一緒にいたと主張した。この主張は正しかった。たしかに2人は一緒にいた。しかし、2人がいたのは自宅ではない。犯行現場だったのだ。

出典http://www5b.biglobe.ne.jp/madison/murder/text3/hulton_jones.html

ハルトンがベティに出会ったのは犯行の僅か3日前、10月3日のことだった。芸能界に憧れて上京したウェールズ出身の田舎娘は「シカゴのギャング」を自称するハルトンに眼を輝かせ、
「ねえ、シカゴってカポネがいたとこでしょ?」
「ああ、そうさ」
「会ったことある?」
「俺がこの世界に入った頃にはもう御用になってたからなあ」
「あら残念。で、どんなことしてたの?」
「悪いことなら何でもやったさ」
「強盗とか?」
「ああ」
「…人を殺したこと、ある?」
「もちろん。その数は憶えちゃいねえけどな」
 以上の会話はあくまでも私の想像である。御容赦願いたい。ただ、ベティがギャングの世界に魅力を感じ、酔い痴れていたことは間違いないのだ。彼女は犯行後に友人にこのように打ち明けていたのである。
「もし、あたしが見たことをあなたが見たら、きっと眠れないと思うわ」
(If you had seen what I have seen, you would not be able to sleep.)

尋問されたベティはあっさりと、ハルトンがタクシー運転手を撃ち、彼の命令で金目のものを奪ったことを認めた。
 これに対してハルトンは、強盗しようと云い出したのはベティだったと主張した。
「撃ったのもあいつです。俺は止めたんですよ」
 後にこのように供述を変えた。
「あれは暴発だったんです。ベティと口論になった挙げ句に銃が暴発したんですよ」
 んなこと信じられるかい。誰がどう考えてもハルトンに分はなかった。

 結局、両名共に有罪となり、死刑判決が下された。ハルトンは1945年3月8日に処刑されたが、ベティは処刑2日前に終身刑に減刑されて、1954年1月には釈放されたという。その後は行方知れずである。

カール・フォン・コーゼル

勝田清孝

神作譲

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felethさん