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ローマの奴隷制度はどうなっていたのか?ローマ市民を支えた奴隷制度

ローマの奴隷制度は、ローマ市民を維持する為になくてはならない制度となっていました。ローマ市民は、貧しい人でも1人か2人の奴隷を抱えていました。ローマ市民は、今でいう零細事業主みたいな感じだったのかもしれません。

更新日: 2017年08月23日

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misukiruさん

◆ローマ市民を維持した奴隷たち

ギュスターヴ・ブーランジェの描いた奴隷市場

金持ちはたくさん奴隷を使っていた。町に出る時は最低二人はお付きの奴隷を連れていくのが中堅市民の条件。

古代ローマは基本的には初期から滅亡まで奴隷制社会であるが、時代による変遷がみられる。共和制時代には小規模自営農が多数を占めていたが、そうした自営農もひとりかふたり程度の奴隷を持つのが普通であった。

奴隷1人の価格は家族4人を2年間養えるほどの大金だったため、奴隷を虐待して疲弊させることは資産価値を損なうと考えられていたという。

◆ローマに発達した奴隷市場

phryne before the areopagus 1884年 ジャン=レオン・ジェローム

買い手が確かめる意図は、 話す聞くなど能力に欠陥がないこと、現在病気がないことである。その次の過程は個人を調べることである。最初に口と歯を調べ、その次に 体のあらゆる部位を順に点検し、少女の胸なども例外ではない。

◆奴隷価格の下落で発達する大規模農場

ローマが新たな領土を獲得した際に、多くの農地が国有地としてローマが所有する事となった。その国有地はローマ市民に貸し出されたが、その多くは奴隷を多数所有、あるいは新たに購入できる貴族が借り受けた。

そうした「安価な財産」である奴隷の待遇は酷いものであり、様々な記録の中で悲惨さが描かれている[21]。ほか、鉱山においても奴隷は酷使された。

◆奴隷に対するインセンティブ

主人と良好な関係を築きながら真面目に10年ほど働けば、多くは解放されて自由の身となっていた。こうした長期的なインセンティブも奴隷のやる気を高めていた

身分制の社会でありながら、その身分が絶対的でないところがローマの活力の源でもあるといわれています。

◆高度な仕事をした知的奴隷

教師、会計士、医師、貴族の秘書など。このような知的労働であっても、古代ローマにおいては奴隷の仕事であった。それら知的労働に携わった奴隷は、その職務に見合った高い待遇を得ていた。

◆ローマ時代の奴隷

都市の邸宅で使役される家内奴隷と、地方の奴隷制農場(ラティフンディウム)などに用いられる使役奴隷に大別される。

ローマ支配下のエジプトにいた工匠は、2、300人もの奴隷を所有していたという。富裕層であればそれ以上だったろう。

ローマ皇帝ネロの邸宅では400人もの奴隷が働いていた。さらに資産家で知られたガイウス・カエキリウス・イシドロスは死の間際に4,166人の奴隷を所有

◆農場を維持した奴隷たち

国有地はローマ市民に貸し出されたが、その多くは奴隷を多数所有、あるいは新たに購入できる貴族が借り受けた。そして貴族は実質上の大土地所有者となった。

ラティフンディウムの利が得られず没落する貴族もいれば、平民でラティフンディウムに参画し経済的にのし上がった者もいる。

奴隷無しの家族経営、あるいは1人か2人の奴隷を使っての自作農は、安価な奴隷を大量に使役するラティフンディウムに対して、経営コスト的に太刀打ちができなくなった。

◆民衆・兵士の支持を集めようと懸命

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