1. まとめトップ

武家の都の象徴・鎌倉:鶴岡八幡宮

源頼朝が崇敬した社。武家の都の中心に据えられ、各時代の武将に信仰されました。

更新日: 2017年08月21日

岡戸秀仁さん

  • このまとめをはてなブックマークに追加
0 お気に入り 45 view
お気に入り追加

神輿(本宮三基、若宮四基)は、桃山期から江戸初期頃の形態的特徴をもったもの(神奈川県の有形民俗文化財)。

楼門に掲げられた額の「八」の字は、神聖な神の使いとされている二羽の鳩で表現されている。

現在のような上下両宮の形になったのは、1191年(建久2年)の大火で焼失した後。

二十五坊とは、鶴岡八幡宮寺供僧の住坊のこと。

後鳥羽、土御門、順徳の三天皇を祀る社。

山はさけうみはあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも

1928年(昭和3年)4月3日に開館した博物館。

かつては柳の名所だったのだとか。

藤原鎌足が大織冠という官位を授かり鹿島神宮へ詣でた折、持っていた鎌槍をこの山に埋めたのだとか。

八幡宮の総本社:宇佐神宮(大分県)を遙拝する場所。

鶴岡八幡宮境内にある最も古い建造物。

源実朝を暗殺した公暁が隠れていたという伝説の大銀杏。
樹齢1000年とも言われていましたが、平成22年3月10日未明、倒れてしまいました。
しかし、根や幹から出て来た若芽が成長を続けています。

1193年(建久4年)に新造された唐破風の入母屋造りの建物。
下拝殿とも呼ばれ、各種儀式が行われています。

材木座海岸の沖にあったという石。

1187年(文治3年)の造営。
この年から鶴岡八幡宮では放生会が行われ、流鏑馬が奉納されるようになった。

江戸と大坂の砂糖問屋が砂糖船の航海の安全を祈願して奉納したもの。

さざれ石の発見者小林宗一氏のご子息文治氏より奉納されたもの。

源氏池の畔に造られた廻遊式の日本庭園。

現在鎌倉国宝館に寄託されている木造弁財天坐像は、神仏分離まで旗上弁財天社に安置されていた像ではないかといわれています。

かつては、朱塗りの板橋であったことから「赤橋」(あかはし・あかばし)と呼ばれていました。

源頼朝の命により、弦巻田という田を池にしたのだと伝えられています。

源頼朝が平安京の朱雀大路を模して造営した古道。
一の鳥居の向こうは海。

江戸幕府四代将軍徳川家綱によって寄進された石造明神鳥居。

源頼朝が直接指揮して造営させたという道。

源頼朝と源実朝を祀る社

現在の社殿は、1622年(元和8年)から始まった江戸幕府二代将軍徳川秀忠による鶴岡八幡宮の大改修時のもの(重要文化財)。

1191年(建久2年)、源頼朝が創建。
現在の建物は、1828年(文政11年)、江戸幕府十一将軍徳川家斉の命により水野忠成を奉行として竣工したもの

平安京の裏鬼門の鎮守神。
源氏の氏神。
鶴岡八幡宮は石清水八幡宮の神霊をお迎えして創建されました。

1063年(康平6年)、源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請して創建。
源頼朝はこの社を現在地に遷座しました。

源頼朝が鎌倉の街づくりの中心に据えた社。
1063年(康平6年)源頼義創建。
1180年(治承4年)源頼朝が現在地に遷座。

1





源頼朝と鎌倉の寺社・歴史、京都、奈良などの関係地の寺社・歴史をご紹介。

このまとめに参加する