1. まとめトップ

源頼朝めぐり

源頼朝の誕生から最期まで。鎌倉、京都、奈良、伊豆、平泉などの寺社・史跡・伝説等をご紹介。

更新日: 2017年08月20日

岡戸秀仁さん

  • このまとめをはてなブックマークに追加
0 お気に入り 58 view
お気に入り追加

相模国総社。
源頼朝が崇敬した社。

河村城は、相模国河村郷(現在の山北町)を本拠とした河村氏の居城。

源頼朝の挙兵に駆けつけた源義経。
八幡神社には兄弟の対面石が残されています。

「平家越」は富士川の古戦場。

鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)、源頼義が「源氏の氏神」である京都の「石清水八幡宮」を由比郷鶴岡に勧請したがその始まり(由比若宮(鶴岡若宮)。
1180年(治承4年)、鎌倉に入った源頼朝は、由比若宮を小林郷北山(現在の地)に遷して「鶴岡八幡宮新宮若宮」とし、武家の都市づくりの中心に据えた。

鎌倉に入った源頼朝が、当座の御所として選んだのは、安倍晴明の護符が貼られた家だったのだと伝えられています。

源頼朝の御所は大倉にありました。
頼朝はここで政治を執ったため、のちに「大倉幕府」と呼ばれるようになります。

壽福寺の建つ地は、源頼朝の父義朝の屋敷があったのだそうです。

源頼朝の先祖・頼義が創建した神社。
1180年(治承4年)、鎌倉に入った頼朝は、この社を小林郷に遷座します。
それが現在の鶴岡八幡宮。

源氏再興の挙兵をした源頼朝は、安房から武蔵に入り、大国魂神社に兵を招集して戦勝を祈願し、上矢(うわや:鏑矢)を奉納したという。
拝殿前の矢竹は、その折に挿した竹の矢が根付いたものといわれ、石囲いの外には一本も出ないのだという。

源頼朝は浅草寺で平氏討滅の祈願をしたのだとます。
境内には頼朝のイチョウが聳えます。

安房から相模国へ向けての進軍途中の源頼朝が宿泊したという鷺沼旅館が鷺沼城ではなかったかと考えられています。
鷺沼旅館は、弟の阿野全成と対面した所。

源頼朝が飲み水に困って矢尻で地を突き刺すと、水が湧き出し、乾いた喉を潤すことができたのだという伝説の井戸。

安房に渡った源頼朝が参拝した神社。

1180年(治承4年)8月28日、真鶴から船出した源頼朝は、翌29日、安房国の平北群猟島に上陸。
現在の鋸南町竜島辺りと考えられています。

源頼朝が三浦義明の追善のために創建した寺院。

衣笠城は三浦一族の居城。
源頼朝の挙兵時、畠山重忠に攻められ、総帥の三浦義明が討死しいました。

小坪・衣笠合戦で命を落とした三浦義明の墓。
来迎寺は源頼朝が義明の菩提を弔うために建てた能蔵寺を前身としています。

石橋山の戦いに敗れた源頼朝が安房へ向かって船出したという浜。

石橋山の戦い後、真鶴から安房に渡った頼朝主従七騎が隠れ潜んでいたという岩窟。

城願寺の七騎堂には、真鶴から安房に向けて船出した「頼朝主従七騎」の像が祀られています。

石橋山の戦いで大敗した頼朝を真鶴から安房へ渡らせる手引きをした武将。

石橋山の戦いに敗れた源頼朝が隠れ潜んだと伝えられる岩窟。

北条宗時は北条時政の嫡男。
源頼朝の挙兵に従い、伊東祐親の軍に包囲され、小平井久重に討ち取られたのだと伝えられています。

佐奈田与一義忠の郎党陶山文三家康を祀る堂。

石橋山の戦いで討死にした佐奈田与一義忠を祀る社。

1180年(治承4年)、伊豆国で挙兵した源頼朝が相模国へ進軍。
石橋山に布陣しました。
しかし・・・大敗を喫し、山中に逃れます。

伊豆国で挙兵した源頼朝は、石橋山へ出陣する前夜、社前において戦勝祈願の護摩を焚いたと伝えられています。

1 2





源頼朝と鎌倉の寺社・歴史、京都、奈良などの関係地の寺社・歴史をご紹介。

このまとめに参加する