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源頼朝めぐり~YORITOMO JAPAN~

源頼朝の誕生から最期まで。鎌倉、京都、奈良、伊豆、平泉などの寺社・史跡・伝説等をご紹介。

更新日: 2017年09月25日

岡戸秀仁さん

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京都東山の法観寺は、臨済宗建仁寺の末寺。
1179年(治承3年)に焼失したが、源頼朝によって再建された。
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/nara-kyoto/yasakanoto/yasakanoto.htm

源義経は「宇治川の戦い」で志田義広を破り入京。
敗走した義仲は近江国粟津で最期を遂げた。
 http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/nara-kyoto/ujigawa-senjinhi.htm

平戸白旗神社には、鶴岡八幡宮の供僧坊・相承院から送られたという源頼朝の遺髪が伝えられています。
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/sirahata-totuka-hirado2.html

1164年(長寛2年)、後白河上皇が平清盛に資材協力を命じて創建した寺院。
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/nara-kyoto/33gendo/33gendo.htm

醍醐天皇第二皇子光勝空也上人によって963年(応和3年)に開かれた西光寺を前身としています。
平家の都落ちの際の兵火で本堂のみとなりますが、源頼朝はその再興修復を助勢しています。
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/nara-kyoto/rokuhara.htm

1181年(養和元年)、源頼朝の祈願所として建立されました。
源頼朝像(自作)、文覚上人裸形像(自作)や平家の赤旗が残されています。

かつては、島全体が神仏混淆の霊地として信仰を集めました。
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/enosima.htm

1182年(養和2年)、源頼朝は藤原秀衡調伏のため、江の島の岩屋にhttp://www8.plala.or.jp/bosatsu/enosima-jinzya-okutumiya-torii.html弁財天を勧請し、鳥居を寄進しました。

1182年(養和2年)、源頼朝は奥州平泉の藤原秀衡調伏のため、文覚に命じて江の島に弁財天を勧請しました。
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/enosima-benzaiten.htm

1182年(寿永元年)、源平池が造営されたときに架けられたものと考えられています。
当時は朱塗りの板橋であったことから、「赤橋」(あかはし・あかばし)と呼ばれていました。

1182年(寿永元年)、源頼朝の命により、弦巻田という田を池にしたと伝えられています。

若宮大路の中央に一段高く造られた参道。
日本に唯一残されている遺構。

1182年(養和2年)、鶴岡八幡宮を内裏に見立て、平安京の朱雀大路を模して造営された参道。

源頼朝が挙兵した1180年(治承4年)、興福寺は平重衡の南都焼討で灰燼と帰してしまいました。

源頼朝が挙兵した1180年(治承4年)、東大寺は平重衡の南都焼討で灰燼と帰してしまいました。
その復興を助勢したのが後白河法皇と源頼朝。

相模国総社。
源頼朝が崇敬した社。

河村城は、相模国河村郷(現在の山北町)を本拠とした河村氏の居城。

源頼朝の挙兵に駆けつけた源義経。
八幡神社には兄弟の対面石が残されています。

「平家越」は富士川の古戦場。

鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)、源頼義が「源氏の氏神」である京都の「石清水八幡宮」を由比郷鶴岡に勧請したがその始まり(由比若宮(鶴岡若宮)。
1180年(治承4年)、鎌倉に入った源頼朝は、由比若宮を小林郷北山(現在の地)に遷して「鶴岡八幡宮新宮若宮」とし、武家の都市づくりの中心に据えた。

鎌倉に入った源頼朝が、当座の御所として選んだのは、安倍晴明の護符が貼られた家だったのだと伝えられています。

源頼朝の御所は大倉にありました。
頼朝はここで政治を執ったため、のちに「大倉幕府」と呼ばれるようになります。

壽福寺の建つ地は、源頼朝の父義朝の屋敷があったのだそうです。

源頼朝の先祖・頼義が創建した神社。
1180年(治承4年)、鎌倉に入った頼朝は、この社を小林郷に遷座します。
それが現在の鶴岡八幡宮。

源氏再興の挙兵をした源頼朝は、安房から武蔵に入り、大国魂神社に兵を招集して戦勝を祈願し、上矢(うわや:鏑矢)を奉納したという。
拝殿前の矢竹は、その折に挿した竹の矢が根付いたものといわれ、石囲いの外には一本も出ないのだという。

源頼朝は浅草寺で平氏討滅の祈願をしたのだとます。
境内には頼朝のイチョウが聳えます。

安房から相模国へ向けての進軍途中の源頼朝が宿泊したという鷺沼旅館が鷺沼城ではなかったかと考えられています。
鷺沼旅館は、弟の阿野全成と対面した所。

源頼朝が飲み水に困って矢尻で地を突き刺すと、水が湧き出し、乾いた喉を潤すことができたのだという伝説の井戸。

安房に渡った源頼朝が参拝した神社。

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