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ジェロニモ(アメリカ・インディアン戦士列伝 1)

ジョン・フォードの名作西部劇「駅馬車」の冒頭で、電信機が「ジェロニモ…」とだけ受信してプツッと切れるシーンがある。やがて出発する駅馬車の運命を暗示しているが、「ジェロニモ」が白人たちにとって恐怖の存在であったことが、よくわかる場面だった。

更新日: 2018年01月15日

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来栖崇良さん

ジェロニモはメキシコ人がつけた守護聖人を意味するあだ名で、アパッチ語の本名は「あくびをする人」を意味するゴヤスレイ。
なお〝酋長ジェロニモ〟とよく言われるが、酋長だったことは一度もない。


ジェロニモは1829年6月16日に生まれ、ミンブレス・アパッチ族の山岳戦士として訓練を積んだ。

そして、メキシコに遠征しては掠奪に励んだ。


1858年、ジェロニモは17歳でアロペと結婚する。
二人の間には3人の子供が生まれた。

アパッチ族の跳梁に手を焼いたメキシコ側では、ソノラ州の軍政長官ホセ・マリア・カラスコ将軍が策略を巡らし、「和平協定」をエサにアパッチ族をメキシコ北部のヤーノス村におびき寄せた。


その誘いに乗ったジェロニモを含む数百人のアパッチ族は、女・子供も同行してヤーノス村の郊外に野営したが、カラスコ軍の急襲により手当たり次第に惨殺された。

妻や子を殺されたジェロニモは、以後、メキシコ人への終生の復讐を誓うどう猛な戦士に変貌した。


ジェロニモはアパッチの各支族から戦士を募り、またシエラ・マドレ山脈のネドニ・アパッチ族の協力も得て、1859年にソノラ州の富裕な町アリズベを攻撃した。

ジェロニモたちは白旗を持って出迎えた8人の騎兵を殺して彼らの頭の皮をはいだ。
こうして長きにわたるアパッチとメキシコの戦争が始まった。

ジェロニモはいつの戦闘でも、銃弾の中をナイフ片手に荒れ狂い、メキシコ人を恐怖のどん底に陥れた。

やがてジェロニモの攻撃はアメリカにも向けられるようになった。
ジェロニモの跳梁に頭を悩ました米軍は何度も掃討戦を試みたが、山岳ゲリラとも言うべきジェロニモたちアパッチ族の戦いは変幻自在で、西部大平原のスー族と並んで、最後までアメリカ合衆国に抵抗したインディアン部族となった。

ジェロニモは40人ほどの戦士を率い、旅人や開拓者から食糧、毛布、馬、武器を掠奪、追撃する米軍を翻弄し続けた。



3次にわたるアパッチ族掃討戦に失敗した米軍は、実に5000人もの兵士を動員してジェロニモを追いつめた。




そして、1886年、力尽きたジェロニモは米軍に投降した。

ジェロニモは生涯米軍の捕虜として扱われ、その間、1904年にはセントルイス万国博覧会で人間動物園として展示されたりした。

そして、1909年2月17日、生まれ故郷のメキシコ国境へ帰りたいという夢も叶わず、オクラホマのシル砦でその一生を閉じた。


享年79歳

ロバート・アルドリッチ監督
「アパッチ」(1954年、モンテ・ブルー出演)




アーノルド・レイヴィン監督
「酋長ジェロニモ」(1962年、チャック・コナーズ出演)




ウォルター・ヒル監督
「ジェロニモ」(1993年、ウェス・ステュディ出演)


など

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