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江戸時代にロシアに漂流した日本人がいた!『大黒屋光太夫』のロシア滞在と『津太夫』の世界一周

江戸時代に日本人がロシアに漂流して、大黒屋光太夫が女帝エカチェリーナ2世に謁見 しています。また、1793年11月から漂流した津太夫は、世界一周を行っています。

更新日: 2017年08月12日

misukiruさん

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◆1782年から漂流した大黒屋光太夫

1782年に嵐のため江戸へ向かう回船が漂流して、アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着して、ロシア帝国の帝都サンクトペテルブルクで女帝エカチェリーナ2世に謁見しました。

18世紀末に、イルクーツクに一時滞在した日本人・大黒屋光太夫は、中国、朝鮮・満州などの人が交易におとずれ繁華な土地であると述べている。

彼らの境遇に深く同情した皇帝はすぐに帰国許可を与え、翌年、光太夫らはオホーツク港からついに帰国の途についたのです。しかし、帰国したのは光太夫のほか2名のみ。

ロシアを横断している事が分かります。

光太夫は、ロシアの進出に伴い北方情勢が緊迫していることを話し、この頃から幕府も樺太や千島列島に関して防衛意識を強めていくようになった。

皇帝への謁見から帰国までの間、光太夫はロシア皇太子や貴族、政府高官から大変優遇されました。様々な招待を受け、当時のロシア文化、社会を体験しています。

◆1793年11月から漂流した津太夫

1796年12月に嵐によって漂流して、1794年5月10日、アリューシャン列島東部のウナラスカ島に漂着しました。

1796年12月下旬にイルクーツクに至り、この地で大黒屋光太夫と共に漂流した新蔵に出会う

ペテルブルクでは貴族の館で歓待され、5月16日に新蔵の通訳の下で皇帝アレクサンドル1世に謁見し、10名のうち帰国を希望した津太夫、儀兵衛、左平、太十郎の4名の帰国が許される。

津太夫が先に帰国した大黒屋光太夫に比べ、知識が乏しく、読み書きが光太夫ほど上手くなかった

津太夫は漂流以来12年目にして61歳で世界一周を成し遂げた。

◆ロシアの主要都市であるイルクーツク

イルクーツクは、モンゴルの北部に位置しているロシアの主要都市です。首都モスクワからはシベリア鉄道で繋がっており、ロシア極東地域とウラル・中央アジアを繋ぐシベリア東部の工商および交通の要衝となっています。

街はバイカル湖西岸内陸にあたり、イルクート川とバイカル湖から流れ出るアンガラ川(どちらもエニセイ川の支流)の合流地点の右岸に位置する。

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