1. まとめトップ

尾翼に在日米軍の無人誘導機が当たった説

最初の衝撃音がした海域では、米軍の極秘訓練が行われ、日航
機には撃墜訓練用のターゲット飛行物が尾翼に接触。米軍は民間機に危
害を与えたことをオンタイムで掌握しており、墜落現場にもいち早く到
着し、救出活動に入ろうとしたが、日本政府から『拒否』の連絡をした
」という。

確かに、米軍のC130輸送機も海軍ヘリも、墜落直後に現場で救援体勢
に入りながら、横田からの指令によって基地に引き返した。「その時、
上空には自衛隊機がいた」と、米軍の元大佐が事故から10年後に証言。
  
件の日航元社員は、「世論が米軍を日本から退去させるには充分な事
故、米軍撤退は当時の日本政府にとっては絶対に避けたい世界情勢のた
め、500人以上の命は見殺しにされた。当時、ボイスレコーダーの音
声が公表されなかったのは、あの最初の衝撃音が隔壁の破裂音ではない
と明らかになるのを恐れたからだ」という。

だがこの説には矛盾する点がある。
当時、早い段階で米軍機が墜落機を発見し、現場まで急行、救助スタンバイはOKだった。
しかし中曽根元首相は断った。
この点があまりにもおかしいのである。
仮に米軍のミスだった場合一刻も早く救助と言う名の証拠隠滅に走るのではないだろうか。

海上自衛隊の艦対空ミサイルの誤射説

標的曳航機接触話は「接触」しなかっただけで
誤射するくらい近くに飛んでいたから…

要は標的がニアミスして、ミサイルのロックオンがJAL123になっちゃったのに
誰も気づかなかった。
寸前で観測機(E-2だったかな)が自爆を促したが間に合わなかったらしい。
それもこれもJAL123がデパーチャーデレィで-12分出しちゃったからなんだ。
その報告が演習空域の管制に連絡されなかったからなんだよね…
定刻どおりだったらなー。
返す返すも残念です。


追尾失策で逸れたのに気がついたのですが
自爆が遅く破片が123便の垂直安定板を直撃しました。

E-2Cのクルーです
うちらそれ、たまたま傍飛んでて
確認にやらされた…。
緘口令しかれ、暫くみんな地方の勤務地に
バラバラにされた。
監視もされてた。
今、殆どやめてるよ。
「誘導をやめろ」って命令されてその通りにしただけだよ。

もう一つ中曽根元総理の別荘における盗聴されたとされる発言

真実であるか否かは闇の中。

その中の言葉に官邸からの矢の催促の撃墜命令要請に対して。
「私はこんな事のために総理大臣になったわけじゃない」......
総理がみぞうの都市部墜落の大惨事を恐れて許可する条件として言い出した。
「国民に撃墜を知られないようにできるなら許可しよう」
目撃者が出たらどうしますかに対して
「何とかしろ」「殺せという意味ですか」に対して
「私をこれ以上人殺しにするつもりか」と怒鳴り「何とかしろは何とかしろという意味だと」怒鳴っていた。

一応、もう結論は出ているんだよね。
真相は当事者のみぞ知る事、また彼らも墓場まで持って行くことでしょう

中曽根元首相に非があった。
当時、早い段階で米軍機が墜落機を発見し、現場まで急行、救助スタンバイはOKだった。
けど、中曽根元首相は断った。
 理由は、当時の日米関係、自衛隊の防衛費問題など複雑な要素が色々と絡み合っていた とのこと。

生存者の方のインタビューにもある通り、墜落直後は多くの生存者がいたことは知られていますよね。 中曽根元首相は、苦渋の決定ではあったが、罪悪感はず~っと持っていた(今でも)。

(番組内で罪悪感という言葉は使わなかったが、それに近いニュアンスのことを言ってた) で、自分の事務所に、123便の犠牲者のためだけに、立派な神棚を設けた。
 自分は事故当時、中学生で、当時の日米関係はハッキリと把握してないけど、ニュースでは 頻繁に防衛費やGNPがどうこうと、放送していたのを覚えている。

日本が米軍救助を断ったことを認めたっていうのは大きいよね
断ったってだけなら、自衛隊は朝まで場所が分からず右往左往したってことにしないと話が成り立たないが米軍が現場に到着してたことを認めた以上これは崩壊した。

よって

自衛隊も最初から現場を知ってたことがこれで確定
報道に嘘の場所を教えてたことも確定
わざと翌朝まで時間を稼いだことも確定
時間を稼ぐ必要があったことをしちゃってたってことも確定

事故直後ニュースで、
「自衛隊の模擬弾が誤って接触し、、、」
と言っていたのを記憶している。
後に模擬弾の「も」の字もニュースで報じないことに違和感を感じたよ。

「模擬弾があたって油圧が切れ、操縦不能で墜落した」
が真相だと俺は信じている。

2機のF-4EJ戦闘機がJAL123便を御巣鷹山方面に強引に誘導、別働でF-15J戦闘機が低空に潜んでいた。

JAL123便は、何とか山中に不時着しようとしていたと考えられる
山への不時着ですから、ほとんどは絶望的ですが、かなり多くの生存者が出ることも考えての機長の判断であると思われます。
機長をはじめとする操縦クルーは、何が起こっているのかが一番よくわかっていたと思われます。
そのため、1人でも多くの生存者を出したいと考えたのでしょう。
しかし、それを隠蔽しようと考える側からすると、少なくとも操縦クルーは生かしてはおけないと考えるはずです。

そこであらかじめ、在空していたとみられるF-15J戦闘機は、JAL123便が稜線を越えて、人目につきにくい山かげに入るのを見極めて、2発のミサイルを発射したのです。

このとき要撃戦闘機とミサイルの航跡を地上から目撃されないように稜線を縫うように実に巧妙にJAL123便の後部にまわり、ミサイルを発射しています。
 ミサイルは、赤外線追尾方式であり、1発目はJAL123便のエンジン部分に命中したとみられます。

ミサイルの爆破エネルギーは機体の前部と中部を貫通し、その付近の乗客・乗員を機内で粉砕したのです。JAL123便は右旋回しながら、火に包まれながら、真っ逆様に急降下したのです。

これを確認して要撃戦闘機は、2発目のミサイルを発射し、とどめをさしています。
 
しかし、JAL123便の最後の様子は、地上からかなり多くの目撃情報があるのです。


      マンションのベランダから西空を眺めていたところ、突然雲の
      透き間から太陽が射すようなオレンジ色の閃光を見た。双眼鏡
      で覗くと両側から青、真ん中から赤い光を発した大型機が北の
      方に消えた。       ――浦和市に住む住民の目撃証言

      
      埼玉方面から飛んできた飛行機が赤い炎をあげ、やがて黒い煙
      を残して南相木村の群馬県境に消えた。――長野県川上村住民

      
      ゴーンという音をさせながら、航空機が低く飛んでいた。長野
      山梨、埼玉県境の甲武信岳方面から飛んできて上空を右に旋回
      して北東の方に行った。まもなくして、雷が落ちるようなバリ
      バリという大音響がし、二度ほどパッパッと光った。そのうち
      ネズミ色のキノコ雲が上がった。墜落したなと思った。
                        ――長野県川上村住民

垂直尾翼を破壊されても、エンジンには支障のない飛行機が火を吹くはずはない

しかし、「オレンジ色の閃光」「赤い炎」という証言があり、「パッパッと光る」という証言まであるのです。

ちょうど事故の日に、上野村の民宿に泊まっていた東京の会社員も「神流川上流の山あいがピカピカと二度光った」と証言しています。
 
「パッパッと光る」と「ピカピカと二度光った」については、ミサイル弾がJAL123便に命中したときの閃光と考えることができます。

ミサイルが空中で爆発するときは、ミサイルに装填されている火薬が一挙に爆発するために、空気中の分子と猛烈に衝突を起こすのです。

そのさいに空気と摩擦を起こし、ちょうど稲妻に似た放電現象が起きるのです。それが、ピカッと目撃された閃光と考えられます。

けっして、墜落したときの閃光ではないのです。


      飛行機が飛んで行った後から、流れ星のようなものが近くを飛
      んでいるのが見えた。――長野県南相木村中島地区の住人3人


 ここで「流れ星のようなもの」とは明らかにミサイルの航跡であると考えられます。
 

 機体がミサイルで爆破されたのではないかと思われるもうひとつの証拠と考えられるのは、乗客・乗員の遺体の損傷があまりにもひどかったということです。

 520人のうち、本当にきれいな遺体は10体程度といわれています。
 とくに機体の前部については、飛行機らしい形をとどめておらず、アルミホイルを千切ってばらまいたようになっているのですから、遺体もただの肉片になってしまっているのです。

山に激突したとはいえ、あれほどにはならない――と専門家もいっているの
です。

それでいて、機体後部の乗客・乗員のそれは粉砕されていないのです。生存者も機体後部から見つかっています。
 

 それに機体前部では、歯や肉片といえども遺体が発見されていないケースも多々あったといわれています。

おそらくミサイルの痕跡を示す遺体はすべて自衛隊の特殊部隊によって持ち去られたのではないかと考えられます。

国家の情報統制には、次の4原則があります

第1原則:けっして分からないように巧妙に行うこと
        第2原則:核心を衝く情報については即座に否定する
        第3原則:本当に近い情報に対しては徹底無視をする
        第4原則:マスメディアを違った方向に誘導すること

 第1原則は、当然のことですが、けっして証拠を残さないということです状況証拠でいくらいっても決め手にはならないからです。

そして、人から人へと「意図的」情報を、「意図的」であるとわからないかたちでひそかに流し、状況証拠を否定するよう務めることです。
 
第2原則は、核心を衝く情報が出てきたときには即座に否定しま「そんなバカな!」とか「イイエ、ソンナことは絶対にあり得ない」と即座に一蹴することです。そして、情報源に対して手が打てる場合はひそかに手を打つ努力をするのです。
 
第3原則は、第2原則を実施しながらも真相に近い情報が出てきたときは、徹底的に無視して、そのウワサが収まるのを待つということです。「人の噂は75日」を決め込むのです。けっしてまともに取り上げないのです。

第4原則は、事前に練りに練って作り上げておいたシナリオにしたがって、虚偽情報が節目、節目で登場するように情報操作を行うことです。そして、何種類かのダミー文書を流し、マス・メディアが「違った」ことをするように仕向け、ことを真相から遠ざけるようにするのです。
 

 JAL123便墜落事故に関する情報を分析すると、これらの4原則にぴったりと当てはまるのです。

まず、矛盾が多くある事故調査委員会の圧力隔壁破損説の押し付けがあります。
そして、一部報道機関の事故原因に関する報道の圧縮があり、また池田昌昭
氏をはじめとする、自衛隊関与説に関する主張への徹底的な無視の姿勢も第3原則に沿っています。事件が風化されることをひたすら待っているという姿勢が読み取れます。
 
また、生存者の事故当時の機内状況についての情報の少なさです。大勢の人が亡くなっているのですから、当時の機内の状況を知る生存者の声がもっと伝えられていいはずなのに、最小必要限の情報しか伝わってきていないのです。

これなども生存者に対してその筋から何らかの情報抑制が加わっている――というのは考え過ぎでしょうか。
 
事故の翌日のことです。8月13日付朝日新聞に、「積荷に放射性物質」という記事が出ていたのです。事故翌日の朝刊のメーン記事は、事故現場特定の確認記事です。

読者の一番知りたいのは日の暮れかかった山間部にJAL123便がなぜ行ったのかという解明なのに、どの新聞もふれていないのです。
 
なぜ「積荷に放射性物質」なのでしょうか。記事の結論は、「人体への影響はない」と締められているのですが、あたかも、事故現場への早期立ち入りができなかったことへの言い訳を代弁しているようにも読み取れるのです。

事故現場を最初に訪れた民間人の証言

・13日午前4時、公式発表ではまだ発見されていないはずの墜落現場に
 自衛隊員が既に100名程度来ていた

・自衛隊員は人命救助よりも何かの回収を優先していた

・4~50名の生存者の声が聴こえた

・1時間後には生存者の声が全く聴こえなくなった

・大型アーミーナイフは当時の自衛隊の装備品ではない。単純な武器のようでいて
 非常に高価なものなので、当時はまだ正式採用されていなかったはずだ。


・暗視スコープについても、当時の自衛隊レンジャー部隊に少量あったかないか
 だったはずなので、100人分も用意できたとは考えにくい。


・どちらも在日米軍の装備としてなら可能性は高い

つまり、装備品をみる限り、「自衛隊」である可能性は少なく在日米軍の疑いがあるとの見解です。

しかし、証言の中で、M氏が日本語で違和感なく活動中の人物と会話している場面もあるので、おそらく相手も日本人の外見をして、流暢に(普通に)日本語を話していたと考えられます。

その点をB氏にさらに尋ねたところ

・公にはされていないが、在日米軍には在日朝鮮人を集めた部隊が存在する

・通常は基地のガードなどを担当するが、優秀な人物を集めて急遽200人位の部隊を編成するなど造作もないことだ

・日本語もできるし、外見は日本人と区別がつかない。逆にそれが狙い目である

・ガード任務において白人が日本人を撃てば国際問題だし、日本人によるガードでは相手が日本人の時に発砲できない可能性がある。

そこで、在日の彼らが上手く利用される。このような処置は駐留する国の事情に合わせ当然のように行われている

・在韓米軍内にも韓国籍だけでなく在日朝鮮人籍の人員が採用されており、彼らは朝鮮半島の緊張の中で実戦を経験している戦闘プロ集団だ

と、外見からは日本人と全く区別のつかない、米軍所属の朝鮮人部隊が投入された可能性について強く指摘を受けました。

つまり自衛隊の偽装をした米軍兵士が事故現場に投入された可能性があるということです。


呻き声はなぜ消えたのか?

証言に「アーミーナイフ」についての言及があったせいか、ネット上では早速、生存者がアーミーナイフで刺殺されたのだと断定している書き込みが見られます。

何を隠そう、証言を最初に聞いたとき、私も同じ想像をしました。

しかし、ナイフで致命傷を与えたとしたら、その傷跡は鮮明に残るはずで、飯塚訓氏の「墜落遺体」を読めばわかるように、群馬県藤岡市でとられた厳重かつ多数の医療関係者が関る検死体制の下では、医師の目に留まらないはずがありません。

切り口を焼き付けたりするなど、傷跡を目立たないように処置する方法もあったでしょうが、M氏が滞在していた1時間程度の短い時間で、4~50人もの生存者に対してそこまでやれたとは到底考えられません。

M氏が目撃したのはプロの軍人です。

ナイフを用いなくとも、人を殺害する方法はいくらでもあったはずです。こんなことを考えるのは本当に不愉快なのですが、1990年代、長野県の松本市、東京の都心で発生したあのテロ事件を思い出してください。

小さな布に沁み込ませ、生存者の口元に当てるだけで絶命を誘う薬液など、この人たちとっては当たり前の道具であったはずです。

藤岡市での検死体制も、一人一人に化学的分析を施している余裕はなかったようですし、そのような事態を想定すらしていなかったでしょう。

M氏は指先を失った男性について印象深く語っておられましたが、後から聞かされたとはいえ、絶対に助かると思っていた人がその時この世から失われてしまったことに大きなショックを受けていたようでした。

M氏ならずとも、この証言を聞かされる我々の全てが、おそらく大きな衝撃を覚えたに違いありません。その手法は定かではありませんが、生存者が絶命に至った何かがそこでは起きていた、そのこと自体は間違いのない事実であります。

なお、仮に何らかの殺害行為がこの時行われたとしたならば、その実行者が多くの搭乗者と同じ日本国籍を持つ自衛隊員であったとは認めにくい話です。

それは自衛隊員の良心に期待しての推測ではなく、作戦を指示する立場として、同民族人に対して殺害行為を命令するリスクは、隊員の心変わりによる叛乱など、あまりに高いからです(*2)。

その意味でも外国人部隊の登用は可能性の高い推測と思われます。

自衛隊も無関係ではない

M氏が現場に到着して約1時間後、次の部隊が現れます。

M氏は彼らの履物に注目しています。最初に目撃した「隊員」が急峻な山岳地を見据えた短靴であったのに、その時から、山で不便なブーツの着用になっています。

また、この時刻近辺からは自衛隊が公式に救助に入ったことになっており、自衛隊が自分たちを「自衛隊」と名乗っても全く問題のないタイミングです。

これだけでは、必ずしも断定できませんが、大きな装備の違い、公式発表のできるタイミングであることを考え合わせれば、2次部隊が本物の「自衛隊」であった可能性は高いでしょう。

そこからさらに類推すると、M氏が最初に見た1次部隊と2次部隊の間で現場の引継ぎが行われたのは間違いありません。

だとすれば、両者の間で緊密な連携が取れていなければならないことになります。

「疑惑-JAL123便墜落事故」の中には、この後に入った公務関係者の偽装を疑う記述もあるのですが、仮に2次部隊、あるいはそれ以降の投入部隊が偽装集団であったとしても、それを防衛庁が「自衛隊」であると認めていたのであれば、やはり「最初の集団」と「自衛隊(防衛庁)」の間に何かの「示し合わせ」があったことを否定するものではありません。

簡潔に述べましょう。この救出劇は、米軍在日朝鮮人部隊と自衛隊による共同行為であった可能性が高いと考えられるのです

回収物は何だったのか?

M氏の証言で次に重要なのは、謎の部隊が回収していた物、それも人命よりも優先される物とは何か?という点になります。

それは、マスコミ、日本国民、そして壮絶な機体の破壊から無事生き延びることができた生存者にすら絶対見られてはいけない物であるはずです。

待機命令に反して怪我人救助を急いだ自衛隊員1人射殺

これは事実なのでしょうか?それとも誤報だったのでしょうか?
その後このニュースについてはいっさいふれられていないということですが、これが事実とすれば大変なことです。

ブログの中には、「この時代は当たり前のことだった」と書かれているものもありますが、そんなことはないはずです。

例え、自衛隊であろうと救助しようとする自衛官を射殺したとすると、それはたんに命令に従わなかったというだけでなく、すぐに救助に向かわせては困る事情があったということになります。

日航機墜落の真相の2の「自衛隊はなぜ米軍の救助を断ったか?」のところに書いたように、米自衛隊機は墜落場所を墜落25分後には特定し墜落2時間半後にはロープを投下し救助するところだったのに突然中止命令が出され、

しかもその間墜落現場を別の場所と報道する情報が多数流され、この御巣鷹山からわざわざ遠ざけるようにされ、すぐ救助できるはずなのに救助まで16時間もかかっているのです。

 米軍C-130のジョン・グリフィン機長は、JAL123便の残骸の上空600メートルで旋回飛行をし、横田基地からの位置を測定し、20分後には正確な墜落場所の位置を横田基地に知らせているのです。
 
 午後8時30分になって、横田基地からC-130に再び連絡が入り、「60キロ離れた米陸軍キャンプ座間から救難ヘリUH-1が、そちらに向かっている」と知らせてきたのです。
 
やがて救難ヘリUH-1は飛来し、乗員2人を下ろそうとして木の梢から15メートルのところまで降下したのです。

そのときC-130に横田基地からいきなり「直ちに基地に帰還せよ」という命令が入ったのです。
 
しかし、ヘリは「救助に入りたい」――と連絡。これに対して、横田基地の司令官は「日本側の救助隊が向かっている。

繰り返す直ちに基地に帰還せよ」と短兵急に帰還を命じたのです。

時刻は午後9時20分――地上に降りかけていたヘリの乗員も再びロープを登ってヘリに戻り、救難ヘリも去っていったのです。』


また、9時10分(墜落は6時56分)には、 朝日ヘリ「ちよどり」が現場撮影をしていたといいます。

墜落時には多くの生存者がいたことは、「日航機墜落の真相4」の所でも書いたように、落合・川上証言であきらかです。

なぜ、このように場所が特定されながらも、自衛隊を待機させ、墜落現場の誤情報が流されたのでしょうか?

この「待機命令に反して怪我人救助を急いだ自衛隊員1人射殺」というニュース速報が流れたのか?射殺というのが事実かどうかは別としても、

この救助にはどうしても時間かせぎしなければならない何かがあったとしか思えないのです。

特殊部隊は墜落現場で何をしたか

JAL123便が墜落したのは、午後6時56分です。それから約1時間後に、上野村三つ岐というところに自衛隊の一団が集結しはじめたのです。その数50人~100人――彼らは何かの合図を待っているように静かに待機していたのです。

1985年8月12日のことです。
 
ちなみに、墜落現場から一番近い自衛隊の基地といえば、長野県松本市の陸上自衛隊第13普通科連隊、陸上自衛隊第12師団司令部のある群馬県相馬原の部隊です。

しかし、ここに集まってきていたのは、そのいずれでもないのです。
 
この上野村三つ岐は群馬県にあり、神流川主流に沿って浜平鉱泉・諏訪山方面から御巣鷹山付近へも、または長野県境のぶとう峠方面へもいける交通の要衝に当たります。

とくに群馬県側から御巣鷹山付近に行くには最適の待機地点といえます。
 
午後9時30分過ぎになって、JAL123便の墜落現場――御巣鷹山方向から信号弾が上がったのです。その信号弾に呼応して、上野村三つ岐に待機していたその自衛隊とおぼしき一団は整然と移動を開始したのです。

そして、御巣鷹山の墜落現場に入っていったというのです。
 
この時刻は、米軍のC-130と救難ヘリが横田基地からの連絡により、乗員・乗客の救出を断念して引き上げた時刻と一致するのです。

つまり、米軍が去るのを待っていて、信号弾を打ち上げたと思われます。彼らはそこで何をしたのでしょうか。

はっきりしていることは、救助ではないことです。
 
その一団の行動は整然として無駄がなく、特殊訓練を受けた部隊のように見えたといいます。

おそらくその一団は自衛隊の秘密部隊であると考えられます。

どこの国にもそういう部隊は存在し特殊任務を遂行するのです。
 
もうひとつ重要なことは、JAL123便が墜落した御巣鷹山一帯が、自衛隊特殊部隊の秘密訓練地帯になっていることです。

したがって、墜落場所からそう遠くないところにその秘密部隊の基地があったとしても不思議はないのです。
 
それにしても、2機の自衛隊機がJAL123便を強引に御巣鷹山付近へ誘導したことといい、墜落場所へ行く絶好の地点に少なくとも50人を超える人数を午後8時(墜落の1時間後)に集めていることといい、そこに何か意図的というか計画的なものを感じるのです。
 
池田昌昭氏によると、その秘密部隊は、墜落現場で、機体の前部・中部の様子を入念に調べ、何やら作業をしていたそうです。そして、スゲノ沢の機体後部付近で、無線交信妨害電波を出しながら、何かをやっていたといわれます。その時点ではかなりの生存者がいたと考えられますが、そういう生存者の救出は一切行ってはいないのです。

まさに見殺しです。
 
いったいこの特殊部隊は何をしていたのでしょうか。
 
JAL123便が御巣鷹山に墜落した直接の原因について、池田昌昭氏は恐ろしい仮説を立てています。

それは、自衛隊機のミサイル発射によってエンジン部分が破壊されたことによる墜落という仮説です。

あまりにも恐ろしい、考えられない推測であり、にわかには信じられない思いがあります。
 
しかし、仮にそうであったとするとツジツマが合ってくるのです。自衛隊――いや、自衛隊は一応軍隊組織であり、上の命令によって動く存在であるので、「自衛隊を動かしている存在」-つまり、政府としては、どうしても隠さなければならないものがあったのです。
 
それは、日米でひそかに開発を進めていた巡航ミサイル―――それ自体が極秘であるのに、こともあろうにその演習用ミサイルが、民間機であるJAL123便の垂直尾翼にぶつかってそれを破壊してしまったことです。
 
しかも、その痕跡がはっきりと破壊された尾翼の跡に残っているということが緊急発進した自衛隊機によって確認されているのです。

もし、JAL123便が横田基地や羽田空港などに着陸を試みたとして、大勢の人が亡くなるようなことになったら、その原因が白日の下に晒されることになる――そんなことになったら政府や自衛隊は持たないと考えて不思議はないのです。
 
この場合、「自衛隊を動かしている存在」によって一番都合が良いのは、JAL123便が、人が容易には近づけない険しい山岳地帯に激突して、機体がこなごなに破壊され、垂直尾翼の痕跡もろとも、すべてが隠蔽されることだと思います。
 
そのため、JAL123便を方向転換させ、自衛隊の特殊部隊の演習場である御巣鷹山付近の山岳地帯に誘導したのです。

しかし、JAL123便の機長は、それでも必死の不時着を試みようとしているので、ミサイルを発射して墜落させたのではないかというのです。
 
「自衛隊を動かしている存在」にとってさらに都合が良いことは、全員が死亡することでしょう。

生存者――とくにすべての事情を知る機長をはじめとする操縦クルーに生存者がいることは、「自衛隊を動かしている存在」にとって、致命的になります。
 
生存者はいない方が良い――これが米軍の救出の申し出をあえて断り、墜落場所が特定されているにもかかわらず、直ちに救出しようとしなかった理由であったとしたら、これほど人の道に外れる行為はないといえます。
 
仮にそうであったとしたら、墜落現場での自衛隊特殊部隊の任務は、機体の墜落状況の調査、ミサイルで粉砕されたあらゆる痕跡の回収――とくにミサイル痕が残っている遺体の回収、垂直尾翼の痕跡の除去などになります。
 
とくにコックピット内は焼き尽くされ、何もなかったし、操縦クルーの遺体はなく、ただ歯が残されているのみという状況であったといわれます。

いかに激しく地面にぶつかったとはいえ、遺体の一部は残るはずであるし、コックピット部分には燃料タンクはないのに焼け爛れていたといわれます。それは、まるで火炎放射器で焼いた跡のようであったといいます。

機首前部付近では「遺体がない」という声が相次いだといいます。

墜落場所は早くからわかっていた

JAL123便を御巣鷹山に誘導した2機の自衛隊機の存在はこの件に関するマスコミ報道では完全に伏せられています。

しかし、この2機の自衛隊機を目撃した人物がいます。その人物とは、角田四郎氏といい、事故当日大月付近でキャンプをしていて目撃したというのです。

 2機の自衛隊機の目撃情報は角田氏だけですが、防衛庁側はこれに対して何もコメントしていません。

自衛隊機がこの付近の空を飛んでいても別に不思議ではないからです。

角田氏自身もあとでJAL123便の墜落を知って、自衛隊機とJAL123便とをはじめて結びつけたのです。

ところで自衛隊機はどのようにして、JAL123便の進路を変更させたのでしょうか。
 
 自衛隊機は無線で直接JAL123便と交信して旋回するよう指示したか、あるいは、航空基地を経由しての交信により横田基地に着陸しないよう伝えたはずです。
 
 おそらくJAL123便の機長は、あくまで横田基地着陸を訴えたはずです。機長が当初「羽田に戻りたい」といったのは、羽田空港の方が、救急医療体制が整っているからです。

 いずれにしても、まともな着陸はできないと考えていたのでしょう。
 
 しかし、機を完全にコントロールできないこともあり、この時点では横田基地しか選択肢はなかったはずです。とにかくボイスレコーダには、自衛隊機とのやりとりは記録されていないので、推測するしかないのですが、もしかしたら自衛隊機の指示を拒否したことも考えられます。
 
 このことを裏付けるようにJAL123便は横田基地に向けて高度を下げつつあったのです。そこで、自衛隊機はJAL123便の前方に出て、飛行進路を遮断するなど妨害し、埼玉・長野・群馬の県境の山岳地帯に向かうよう強引に左旋回飛行指示を出しているのです。
 
 これに対して、JAL123便の機長は、あくまで「ターンライト」を主張して抵抗しています。しかし、結局、横田基地から北方向に向かわされ、御巣鷹山に入っていくことになります。この2機の自衛隊機の存在を肯定すると、JAL123便はエンジンの出力調整によって何とか左旋回できたことになります。
 ここで奇妙なことは、JAL123便は何者かにミサイルなどで攻撃され、垂直尾翼を破壊された「被要撃機」になっているという事実です。
 
 この場合、既に述べたように、自衛隊による日本の防空上の規定では、スクランブルをかけられた領空侵犯機と同じ扱いになることです。もし、領空侵犯機がスクランブルをかけた軍用機の指示に従わないときは、攻撃してもよいことになっているのです。
 
 このようにして、JAL123便は、2機の自衛隊機によって御巣鷹山のある山岳地帯に入っていくのですが、どのようにして墜落したのかについては、あとで明らかにするとして、墜落直後の状況について述べることにします。
 
 墜落事故のあった1985年8月12日――私は今でも鮮明に覚えていますが、テレビでは夕方から大騒ぎになり、安否を気遣う乗客の家族や知人が続々と羽田の日航の事務所に押しかけて、ごった返していたのです。
 
 しかし、JAL123便の行方はわからず、つねに日航側の発表は「捜索中」の繰り返しだったのです。私は13日の午前2時頃まで起きていて、テレビを見ていましたが、とうとう朝になるまでわからなかったのです。
 
 しかし、今となって考えると、これは実に奇妙な話なのです。というのは、JAL123便は墜落直後からその場所は特定されており、自衛隊機をはじめ、米軍機もその墜落地点の上空までは行っているからです。
 
 当時の防衛庁長官であった加藤絋一氏は、当日夜、救難ヘリコプター・バートル107で現場上空に飛んでいるのです。

 これを受けて防衛庁では13日の午前0時5分から、緊急会議を開いています。出席者は、加藤長官以下、内局幹部、陸幕長、空幕長です。ですから、加藤長官はそれ以前の時間に――午後9時頃ではないかと考えられますが、墜落現場の上空までヘリで視察しているのです。しかし、少なくともそのとき、乗客・乗員の救助は行われていないのです。
 
 もちろんその間テレビでは相変わらず「捜索中」が繰り返されていたのです。なぜ、発表しないのでしょうか。

 なぜ、墜落場所が特定できていたのに、なぜ、いち早く救助に向かわなかったのでしょうか。
 
 こういう問いかけに防衛庁、政府関係者は完黙の構えです。だからこそJAL123便の墜落事故に自衛隊が深くコミットしていたと考えざるを得ないのです。

1





このまとめに参加する