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地獄すぎたペリリュー島の戦いの記録と画像。第二次世界大戦の激戦

第二次世界大戦の激戦として知られているペリリュー島の戦いは、地獄の戦いでした。太平洋戦争で激戦地となったベリリュー島の記録と画像をまとめました。それまでの日本軍は、切り込みで玉砕していましたが、ペリリュー島は要塞化して2ヶ月以上も持久戦を行いました。

更新日: 2018年09月10日

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misukiruさん

◆ペリリュー島、悲劇の戦い

太平洋戦争で劣勢になった日本軍は各地で玉砕を続けていたが、その作戦を転換したのがペリリュー島。関東軍の精鋭を送り込み玉砕ではなく入り組んだ洞窟を掘って立てこもりトンネル陣地によるゲリラ戦を行った。

実質的に日本軍の兵力はアメリカ軍の6分の1以下だったと言える。また戦力差については航空機による爆撃、軍艦からの艦砲射撃等を考慮するとアメリカ側が少なくとも数十~数百倍の火力で日本軍を圧倒

日本軍の戦死者:10,695名
(捕虜202名)

米 軍の戦死者:2,336名
(戦傷者 8,450名)

◆要塞化して米軍に備えた

サンゴ礁で出来ていてコンクリート並に硬い地質を利用して500以上に及ぶといわれる洞窟には坑道を縦横に掘り回して要塞化

古参兵らは「このペリリュー島の飛行場を巡る戦いが、太平洋戦争中で最悪の経験だった」と後に語っている。

◆小さな島で残虐な戦い

実質的に日本軍の兵力はアメリカ軍の6分の1以下だったと言える。また戦力差については航空機による爆撃、軍艦からの艦砲射撃等を考慮するとアメリカ側が数百倍の火力で日本軍を圧倒

ブラー大佐は上陸前1週間に渡って入念に地図や偵察写真を確認した結果、日本軍は一年かけて島全体を要塞化しており、師団長は楽観的すぎると危惧

オレンジビーチと呼ばれた浜から上陸しています。

◆旧日本軍司令部跡

コンクリートの司令部は、現在でも残されています。中川州男大佐などが当初に指令部を設置していました。

司令部内には、将校用にトイレ・お風呂などが設置されていました。

9月27日には、飛行場北端にある鉄筋コンクリート製の元日本軍司令部に置かれたリュパータス師団長の指揮所でアメリカ軍の勝利式典が行われた。

日本軍が見せた組織的な抵抗戦術はアメリカ軍を苦しめ、後の硫黄島の戦いへと引き継がれていくことになる ペリリュー戦は唯一第1海兵師団が壊滅した戦いでもある。

周辺が焼けて司令部が丸見えになっています。

アメリカ軍は次々と新戦力を投入してくるのに対し、日本軍は増援も補給もなく次第に追い詰められていった。

2ヶ月にわたって持久戦で粘り大健闘したものの、圧倒的な勢力の米軍に勝てるはずはなく、中川州男(くにお)陸軍大佐は「サクラ、サクラ」と電文を打って玉砕した。

◆ペリリュー島の池

包囲されている日本軍は10月17日にペリリュー島唯一の水源である池をアメリカ軍に奪われていた。

ついにアメリカ軍は10月28日には水源を鉄条網で囲い完全に遮断し、日本軍は乾きに苦しむ事となった。

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