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太平洋戦争の激戦地『硫黄島の戦い1945年』の悲劇!

1945年2月から始まった太平洋戦争の激戦地である『硫黄島の戦い1』では、日本兵2万人以上、アメリカ兵6000名以上が死亡するという激戦となりました。

更新日: 2019年08月15日

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misukiruさん

アメリカ軍の潜水艦と航空機による断続的な攻撃によって多くの輸送船が沈められたが、1945年2月まで兵力の増強は続いた。

◆太平洋戦争の激戦地となった硫黄島

ノルマンディ上陸作戦の戦傷死者数を3日で上回りアメリカ軍にとっても最激戦地であったことがわかる。

日本軍に増援や救援の具体的な計画は当初よりなく、守備兵力20,933名のうち96%の20,129名が戦死あるいは戦闘中の行方不明となった。

◆有人島であった硫黄島

東京都に属する硫黄島村には6つの集落があり、1,000人余りの島民が硫黄の採掘やサトウキビ栽培、漁業などで生計を立てながら静かに暮らしていた。

栗林中将は硫黄島着任間もなくして島民に対して本土または父島への避難(強制疎開)をさせている。

太平洋戦争以降、一般人の立ち入りは制限されており、海上自衛隊と航空自衛隊の基地関係者と、慰霊のために訪れる人以外は上陸ができなくなっている。

◆硫黄島の戦略的な重要性

2月23日に硫黄島の南西部にある摺鉢山が陥落した。この時、アメリカ軍が摺鉢山の頂上に星条旗を掲揚し、改めてより大きな旗に替えるところを、AP通信の写真家・ジョー・ローゼンタールが写真撮影

◆予備兵の投入

アメリカ軍の被害について(翌22日公式発表)「2月21日1800現在、硫黄島での損害推定は戦死644、負傷4108、行方不明560」と公表

◆2月23日に摺鉢山を失う

アメリカ軍上陸時に栗林中将が厳禁としていた上陸用舟艇・艦艇への砲撃を海軍の海岸砲が行った結果(防衛戦術)、摺鉢山の火砲陣地を露呈させてしまい全滅

島への上陸に成功したアメリカ軍は摺鉢山へ向けて前進。トーチカには手りゅう弾と火炎放射器で、どちらも1m進むごとに戦闘が起こる状態であった。

23日午前10時15分、第5海兵師団は遂に摺鉢山頂上へ到達し、付近で拾った鉄パイプを旗竿代わりに、28in.×54in.の星条旗を掲揚

◆2月26日に元山飛行場が陥落

日本兵を殺して奪った日本の国旗は、戦利品として持ち帰られました。

日本軍は戦車第26連隊を投入するも、2月26日夕刻、元山飛行場は陥落した。この時点で日本軍の兵力は2分の1に減少、弾薬は3分の1に減少した。

◆3月7日に日本軍を分断

7日、第3海兵師団がアメリカ軍としては異例の払暁奇襲を断行、中央突破に成功し日本軍を島の北部と東部に分断した。

◆参考リンク

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