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出産は悪だ!反出生主義者の主張まとめ

反出生主義者の主張についてまとめました。

更新日: 2017年10月15日

bheducating2さん

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反出生主義とは

反出生主義とは、子を産むことは道徳的に間違いであると考える哲学的立場。

この思想は、出産という行為を巡る議論に関するものであるため、すでに生まれた人間あるいは他の動物の価値や尊厳を否定するものでは決してない。また、苦というものに道徳的価値判断を下しているという点からしても、あらゆる価値を否定するニヒリズムとも全く異なる思想である。したがって、他者を殺害する行為や戦争を肯定したり、自殺を推奨したりするものではない。

有名な反出生主義者の主張

アルトゥル・ショーペンハウアー

アルトゥル・ショーペンハウアーの哲学では、世界は生きる意志によって支配されている。盲目的で不合理な力、常に現れる本能的欲望が、それ自身によって懸命に生み出される。しかし、その性質ゆえに決して満たされない事が苦しみの原因である。存在は苦しみで満たされている。世界には喜びより苦しみの方が多い。数千人の幸福と喜びは、一人の人間の苦痛を補う事はできない。そして全体的に考えると生命は生まれない方がより良いだろう。倫理的な行動の本質は、同情と禁欲によって自分の欲望を克服することからなる生きる意志の否定である。 一度我々が生きる意志を否定したなら、この世界に人間を生み出すのは、余計で、無意味で、道徳的に非常に疑問のある行為である。

貪り食う動物の喜びと、今まさに貪り食われている側の動物の苦しみを足してみたまえ。世界には苦痛のほうが多いことが容易に判るだろう。

墓石を叩いて、もう一度生き返りたいかと死者に問えば、彼らは首を横に振るだろう。そして、ソクラテスの意見もこれと同じである。

もし子供が純粋に理性の働きによって作られるなら、人類はそれでも存続しえたであろうか?むしろ誰もが来たるべき世代に対して深い同情を感じて、なるべくなら彼らには存在の重荷を背負わせるような真似はしたくはないと思ったりはしないであろうか。

デイヴィッド・ベネター

デイヴィッド・ベネターは、生まれてくることはその本人にとって常に災難であり、それゆえに子供を生むことは反道徳的な行為であり、子供は生むべきではない、と主張する。子供を生むことは、多くの動物がそうしているように単に何も考えずに性的欲求を満たすための行動である性行為の結果として引き起こされている現象であるか、または生む側の欲求を満たすために引き起こされている現象であるか(例えば子育てしてみたいといった欲求を満たすため、自分の老後の世話をしてもらおうという計算の為)、または判断するさいに生の質(QOL)を不当に高く誤評価していること(ポリアンナ効果)から起きている現象である、とする。

人類はいずれ絶滅するのである。そしていつその絶滅が訪れようとも、最後の世代が被る被害は甚大なのである。だとしたら、これらの被害を先延ばしにすることで得られるものは何ひとつない。しかしながら、もし絶滅が早めに起きるならば、絶滅を引き延ばすことによる不必要な被害を避けることができる。したがって、数世代のうちに絶滅するほうが、無数の世代を経て絶滅するよりも望ましいと言えるのである。

Peter Wessel Zapffe

Peter Wessel Zapffeの哲学によると、人間は生物学的なパラドックスである。意識が過剰に発達してしまったため他の動物の様に正常に機能しなくなっている。知覚は我々が抱えられる以上に与えられている。我々はもっと生きたいと望む様に進化したが、人間は死が運命づけられている事を認識できる唯一の種である。我々は幅広く過去から未来を予測する事が可能だ。我々は正義と、世界の出来事に意味がある事を期待する。これが意識を持った個体の人生が悲劇である事を保証している。 我々は満足させる事ができない欲望と精神的な要求を持っている。人類がまだ存続しているのはこの現実の前に思考停止しているからに他ならない。 Zapffeによると人間はこの自己欺瞞をやめ、その帰結として出産を止めることによって存続を終わらせる必要がある。

子供は、親・出生地・時代を選べない点から、ノルウェーの哲学者Peter Wessel Zapffeは、子供が同意なしに世界に生み出されることにも留意している。

ANP(The Anti Natalist Party)

イギリスの反出生主義を公約に掲げた政党ANP(The Anti Natalist Party)は法学者ウィリアム・ブラックストンの「10人の罪人を逃しても1人の無辜を罰することなかれ」の言葉を引用し、正義の原則的に(不必要な)喜びが存在するより(不必要な)苦しみを経験しない方が良いと主張している。

その他の主張

Julius CassianusとEncratitesは誕生が死につながる事に気づいた。 死を克服するため、我々は出産をやめるべきであると言う。

Julio Cabreraは出産は人間を危険で痛みに満ちた場所に送り込む行為だと述べている。生まれた瞬間から死に至るプロセスが開始される。Cabreraは出産において我々は生まれてくる子供の同意を得ておらず、子供は痛みと死を避けるために生まれてくる事を望んでいないかも知れないと主張している。同意の欠如については哲学者のGerald HarrisonとJulia Tannerも同様の事を書いている。彼らは生まれてくる本人の同意なしに出産をつうじて他人の人生に影響を与える道徳的な権利を我々は持っていないと主張している。

マニ教、ボゴミル派とカタリ派は出産は魂を牢獄に入れる悪事であると信じていた。彼らは出産は邪神デミウルゴスまたはサタンの仕業と見なしていた。

人の人生を個人の勝手で無理やり終わらせるのは大罪なら人の人生を個人の勝手で無理やり始めさせるのも大罪じゃないのか

生まれた子供に解除不可の不規則時限式爆弾を仕掛けた
その爆弾が82年後に爆発し、その子供は他界した
さて、この爆弾を埋め込んだ人間は殺人犯だろうか?
子作りと出産は命を与えると同時に、この爆弾を仕掛ける行為でもある
子作り及び出産は殺人ではないと、本当に言い切れるだろうか

殺人は、いつか死ぬ命を消しさるわけですから、『死』の数が増えるわけではありませんが、出産は、それにより『死』の数が一つ増えることになる。そう考えると、出産の方が罪深いのかもしれません。

今からあなたは新しい生を授かります
いつ、どこで、どのような遺伝子を持って生まれるかはランダムです
運が良ければ、あなたは温かい家庭で大切に育てられる天才児かもしれません
運が悪ければ、あなたは学校にすら通えないような貧乏な家庭で虐待を受けるかもしれません
今なな生を授かることをキャンセルすることもできますが、どうしますか?

お前らが死んだあとに突然意識が戻って暗闇の中でこんなこと聞かれたとしてさ
反出生主義叩いてる奴は生まれると即答できるんだろうな?

生まれないことで直接被害を受ける当人というものは存在せず何の問題も生じないんですが生まれたことで苦痛の多い生を送る人間は存在します

子作りは2つの意味で博打である。
一つ目はまんま、「子作り=博打」。即ち、親の目的は己の利益。利益を得られるかどうかは運に依存する。賭け物は子供。要するに、子供(賭け物)を用意して利益を得ようというのが子作り。賭けに勝てば(運が良ければ)親は利益を得る。賭けに負ければ(運が悪ければ)親はその身を削る事になる。(当然、勝ちとも負けともつかないケースもある)
二つ目は、「人生=博打」。即ち、子供の人生がどうなるかは博打的要素(運)に依存する。生まれた子供は博打に強制参加させられ、勝てば(運が良ければ)幸福な人生を。負ければ(運が悪ければ)苦痛に満ちた人生を送る。(当然、勝ちとも負けともつかない人生もある)
子作りとは、この2つの博打を別々に行う事と理解して欲しい。この博打の性質として、一つ目の博打も二つ目の博打も常に絶えず打ち続ける事になる。その博打を打つ点(つまり人生)が無数に繋がり線となったものが人の一生である。

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bheducating2さん