1. まとめトップ

従来、台湾独立派というものは存在しましたが香港において独立運動は存在しませんでした。
その中身を紹介していきます。

アヘン戦争で清が負け、割譲されたのが香港

イギリス艦隊の砲撃を受ける清の船。

植民地時代の香港の歴史は中華民国や中華人民共和国よりも長いものになります。

アヘン戦争後の1842年に締結された南京条約で香港島が永久割譲。その後のアロー戦争の結果、1860年に北京条約が締結され九龍半島もイギリスに割譲される。1898年には九龍以北、深圳河以南の新界地域の租借となり、この地域の租借期限は99年間とされ、1997年6月30日が期限となった。この99年が香港主権移交(返還)の理由となる。

現在の香港人の多くは中国の動乱から逃げてきた人の子孫

大文化革命で自己批判させられる中国の役人。

国共内戦、大躍進、大文化革命等、中国で動乱があるたびに中国から香港に逃れてくる人々。
こうした人々は逃港者と呼ばれました。
1945年の第二次世界大戦終結時に50万人だった香港の人口は、現在では750万人を超えています。

このうち、香港主権移交後(返還後)に香港に移住した人は100万人を超え、新移民(中国系移民)と呼ばれます。

香港の主権移交(返還)

99年の期限が迫るなかで1992年に就任したクリストファー・パッテン総督は、1995年に大胆な議会の民選化を実施します。中国側は反対しますが、断行していきます。イギリスが植民地統治を終わらせる時に民主化するのは慣例となっていました。ただ、民主化は完全になされないまま主権移交(返還)されることになります。
1984年には英中共同声明が出され、「香港返還後50年間政治体制を変更しない」ことを確約した(一国二制度)。それにより、特別行政区が設置され、ミニ憲法である香港特別行政区基本法の下、高度な自治権を有することが確認された。

パッテンは香港民主の行く末を気にしており

「憂慮していることは香港が北京からその自主権を奪われることではなく、こういう権利が少しずつ少しずつ香港のある人たちの手によって消えていくことです」

以上の言葉を残しました。

香港の主権移交は、香港人の民意は関係なく英中間だけで決められたため、中国復帰を喜ぶ人だけでなく、イギリスに捨てられたと思う人もおり抗議デモが行われたほか、カナダなどへの移民も増えることになった。

「イギリスに捨てられた」と抗議する人々。

香港主権移交後(返還後)の反中国共産党、反中国人感情

もともと、香港はアヘン戦争以後イギリスの植民地統治下にありました。そのため、1997年の香港返還まで、中国から切り離されており中華人民共和国とは切り離された言論の自由がありました。
その一方、中国返還後は中国から大量の買い物客が香港の生活物資を買占めることをイナゴと呼び、北京語の教育や愛国教育が始まるなど不安もありました。 
香港が大陸から、逃げた人の子孫という経緯もあり反中共は潜在的なものでもあります。
また、大陸の中国人が香港人を「イギリスの犬」、香港人が「イナゴ」と呼び合うなど誹謗関係もありました。香港の主権移交後(返還後)に香港に入植した新移民と従来の間では、マナーや、愛国教育など受けた教育の違いなどによる軋轢が起きています。

香港での商品買占めに怒る反イナゴデモ。

香港で商品を買い占める中国人。

香港で国籍取得を目的とした越境出産の仲介業者のポスター。

中国式の愛国教育の香港導入は洗脳教育だとして、反対する黄之鋒さん。

事のおこりは2014年にあった雨傘革命

そんな中、2014年に香港で雨傘革命と呼ばれる50万人の過去最大のデモが起きます。
非暴力のデモで香港の金融のメインストリート、セントラルを民衆が占拠したことから占中とよばれます。
行政長官を直接選挙で選び、香港の民主化を実現したいのが香港の人々の願いではあったのですが、それは成功せず雨傘革命は失敗に終わりました。

雨傘革命に参加したデモシストの周庭さんは日本語が得意で何度か日本に来られています。

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nonobioさん