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イギリス英国病の克服方法とは?ロンドンのシティを中心にした金融機関を招致

イギリスでは、1960年代以降に『英国病』にかかっていく事になります。多くの労働者は、社会主義経済のような状況でまともに働かなくなり、失業率も高くなりました。その後に北海油田が発見されて、海外投資を受け入れる事で、ロンドンのシティが金融センターとして発達しました。

更新日: 2017年09月17日

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misukiruさん

イギリスは第二次大戦を「レンドリース法」というアメリカからの武器の寸借で乗り切ったため、そのときにこしらえた借金で、対外資産は全て霧散してしまった

◆1960年代から始まる英国病

経済が停滞していた1960年代以降のイギリスにおいて、充実した社会保障制度や基幹産業の国有化等の政策によって社会保障負担の増加、国民の勤労意欲低下、既得権益の発生等の経済・社会的な問題が発生

1960年代から70年代にかけてイギリスが社会保障制度を充実させ基幹産業を国有化するなどの「イギリス社会主義」の政策を行った結果深刻な財政難に悩まされる英国病にかかる

◆資本の海外流出

1960年代になると、国有化などの産業保護政策はイギリス資本による国内製造業への設備投資を減退させることとなり、資本は海外へ流出

国有企業は経営改善努力をしなくなっていき、製品の品質が劣化していった。これらの結果、イギリスは国際競争力を失っていき、輸出が減少し、輸入が増加

◆労働者のストライキが有効だった時代

医者や看護師のストで病院は機能せず、給食婦のストで学校は休校し、ゴミ収集人のストでゴミは回収されず、墓堀人のストで死者が埋葬されず、トラック運転手のストで暖房用の灯油が配達されない等の現象が起こった。

それでも労働組合に守られたイギリスの労働者は昼間からティータイムをして、自分の権利を、これっぽっちも譲ろうとはしなかったのです。

◆英シティの発達

英国の2013年の金融サービス収支は710億ドルの黒字でした。これは世界最大で、第二位の米国を大きく引き離しています。

◆イギリス国内における格差

ロンドンは労働者のスキルや利便性の高い金融サービスなどで世界をリードしているが、イングランド北部の地方都市はチェコ、ハンガリーなどの中欧諸国にに近い。

ロンドンと北部の都市間を時速225キロで走行する高速鉄道計画「HS2」を、予定通り2026年の開業までに完成させることもできない。

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