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フラダンスもかつては消滅の危機に?ハワイ文化を救った社会運動「ハワイアンルネッサンス」とは何か

近年、日本人に人気が再び集まっているハワイ。フラダンスにパワースポットにと、何かとハワイ先住民の文化などが注目されている昨今だが、これらはかつて消滅の危機に瀕し、復活したのは1970年代と意外と最近のことだ。ハワイ文化を救った社会運動「ハワイアンルネッサンス」とは何か

更新日: 2017年10月13日

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gudachanさん

▼▼▼ハワイ先住民の文化はどのように失われたのか

古来より先住民のシンボルだった「フラ」

もともとハワイ先住民の代表的な文化であるフラは、文字のないハワイ人にとってのボディランゲージでもあり、自然信仰の重要な儀式でもあり、踊り継がれてきていた

まだ文字を持たなかった時代のハワイで、神様への感謝や敬意を表すための儀式の中で神様を讃えて祈り、踊ったことがフラの起源でした。それがハワイの人々によって現代まで大切に受け継がれ、今では日本にまでフラが広まり、フラを実際に踊って楽しむ人もだんだんと増えてくるようになりました。

それが近代になると、アメリカ人の支配によって禁止に

アメリカ人が上陸し、ハワイを支配するようになると、全裸で踊るフラはふしだらで誤った宗教行為とみなされ禁じられた。フラ以外にも多くのハワイの伝統・文化が失われた

自然を崇拝する精神を表したフラを、アメリカから来た宣教師は、一神教であるキリストを脅かすものと断定し、当時の女王(カメハメハ大王の妻)を通じてカメハメハ2世に禁止令を出させたのです。
「自然崇拝を意味するフラは野蛮でみだらなもの」と称し、フラやサーフィンや伝統文化を約50年間もの間(1874年にデイヴィッド・カラカウア王によって、禁止令が解かれるまで)姿を消してしまいました。

ハワイ本来の文化が取り戻されたのは1970年代のこと

戦後、公民権運動をはじめとする様々な取り組みが活発化する流れがハワイに到達したのが1970年代。そこで始まったのが「ハワイアンルネッサンス」である

しかし米本土で公民権運動が盛んになり、1970年代になるとネイティブ アメリカンの復権や、同胞であるにユージーランドのマオリの復権などに刺激を受けて、「ハワイアン ルネッサンス」と呼ばれるネイティブ ハワイアンの文化復興の動きが活発になりました。

この時期、様々な政治運動や文化的な出来事が起きた

本土由来の白人文化に一方的に染まる形で「近代化」されていったハワイにおいて、政治にはじまり宗教・文化まで様々なアプローチから人々に伝統回帰を促すような様々な出来事が起きた

伝統回帰の様相は、米軍によって軍事演習場にされたカホオラヴェ島返還などの政治的な権利運動のみならず、文化・芸術の分野にもはっきりとあらわれるようになりました。伝統航海カヌー「ホクレア号」のタヒチ航海はなかでも象徴的なイベントでした。そして、このムーブメントを盛り上げるのに大きな役割を果たしたのは、ハワイアン・ミュージックとフラでした。

▼▼▼ハワイアンルネッサンスで起きた大きな変化

①観光用のまがいものではない本物のフラダンスが復活した!

正規のフラダンスが禁じられて以降ハワイでは、アメリカ人の間違った解釈やエンターテイメントの脚色にまみれた「なんちゃってフラ」が観光資源となっていた。こうした現状が打開され、今では私たち日本人も本場のフラを鑑賞できるようになった

「観光フラ」「ワイキキ・フラ」と呼ばれるフラが、「南国のパラダイス・ハワイ」の典型的なイメージとして世界中に売られます。商品化されたフラは、おおむねハワイアンの文化的な背景を無視したビジュアル重視のものであり、ハワイアンによるハワイアンのための踊りであるフラとは一線を画すものでした。観光フラは、主にアメリカの観光客のためのパフォーマンスとして定着していきます。

②先住民の土地を取り戻した!

先住民たちは自分達の土地を奪われる一方だったが、その返還が起きた。これにより、住む場所を勝ち取り、信仰などの歴史上重要な場所を取り戻すこともできた

ハワイアン・ルネッサンス以前は、土地を掌握され、住居地の確保が困難な状態から人口の減少が起き、自由な土地活用と事業展開の制約が行われていましたが、ハワイの血を引く人々の誇りを取り戻すことによって、ハワイの土地をハワイの人々の手に返還する動きも高まり、ハワイの土地でハワイの原住民の人々がよりよく生活できる権利を手に入れることへと繋がりました。

③ハワイ語教育で次世代に言葉が受け継がれた!

「アロハ」といえば今となっては肌の色を問わず誰もが当たり前のハワイの挨拶となっているが、ハワイ発祥の言葉もかつては消滅傾向にあった。この運動のあった時期から、ハワイ語教育が拡大し、次世代に言語を受け継ぐことができた

20世紀になるとハワイは米国化していき、ハワイ語を話す人が激減していきました。そうした状況のなか、ハワイ語は地名や通り名、そして歌の歌詞のなかでしか見られないようになりました。ハワイ語が州公式言語として憲法で認定された70年代当時、ハワイ語は絶滅寸前の状態でしたが、ハワイアン・ルネッサンスが起こり、ハワイアン・カルチャーへの回帰運動が活発化したことで、ハワイ語教育が広まり、ハワイ語を話す世代が新たに育っています。

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