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2017年は「日本」のパラダイムシフトの始点になったんじゃないか

これ結構重要な話なので、意識高い系も心して読むべし。

更新日: 2017年10月25日

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rokoreaさん

平成文化のゴタゴタにケリがついた

2017年の事件の数々の最大の注目点は、日本社会において1990年代以降の「文化構造」の再編を実現できたことだと思う。昭和の日本では細かいカースト構造があったが、平成に入ってからはサブカルが大衆に回収されたり、富裕層の敷居が一気に降下したりと構造は大きく変わることになった。

メインは、悪く言えば時代劇的なアジア臭いコテコテ的な路線から、電車男ブームを経て寛容主義に転じたことで、古い非寛容的なものから生まれかわった。昭和のドラマは任侠ものなどのようなコテコテなものと密接だったが、今のドラマはサブカルにかなり親和的だ。

一方、「メイン的なものに対抗する勢力」はどうだったか。1990年代のサブカルを振り返ると社会的イデオロギーが抜かれていった。萌え系みたいなものが急に躍進したり、機械オタクにはまっていた男が急に意識高い系に転向したりと、めちゃくちゃだった。
渋谷系すら20年前の昔話になった今からすれば「それって20世紀と何も変わらない」といえるが、1990年代時点ではまだ良くも悪くもメインは土着的な古さの名残の方が強かったのだと思う。つまりここで、本来サブになりえたはずの集団が分断してしまい、全部が奪われてしまったのだ。

鉄道と並びかつてメインカルチャーと言われていたバイクでもサブカル思想が発生した。1990年代のバイク文化はメインとは距離を置いていて、珍走団の衰退で汚名が消えた後も反メイン路線は引き継がれた。ヤンキーやギャル系はサブカルだったので、当時はメインこそ反主流派路線だった。だが主流がメインに戻っても、バイクはメイン復帰しなかった。

振り返ればアニメ系でも萌え系が台頭する前からそれまで硬派だった深夜アニメが軟派になったり、その軟派がのちにメインに回収されたりした。自民党や希望の党がサブカルを出汁にするように。そういう風に、「旧来のメインではないが、王道でもないサブ勢力」みたいなものが躍進していった。
街中ではヤンキーやギャルからヲタクへという形で、テレビ画面ではドラマではサブカルもの、アニメではロボットものという形で変化した流れが、結局2000年代あたりで全部メイン勢力に回収されていったのである。そこで回収しきれなかった「オワコン化したイケイケ」は、時代からかけ離れ、日本人から攻撃を受けるだけだった。

それが大きく変わったのが、2011年東日本大震災以降ではないだろうか、まどマギや花咲くいろはがあって、時期は前後するがバイクに乗る高校生も現実化した。YouTube、Twitter、サブカル保守、高級列車と、現代型のサブカルの文化運動が拡大した。
そうした文化運動の流れは世界的傾向に一致する。欧米でも華流現象や日流現象が起きて、ただの運動ではなく実際に街の表情を変えるようになっているのだが、日本には文化運動はあっても社会がおいついていなかった。社会カーストで最初にこの路線に乗ったのは、インテリ大学生ではなく中堅大学生だった。

インテリ大学生文化空間内は、1990年代サブカルが「政治を弄ぶ」ために思い立ち底辺階層などが行動する保守などとして実行した冷笑サブカル的な路線にいまだにすがる「老害勢力」がいて、これがネックだった。政治問題やインテリ文化でも彼らは若者のしこりだった。しかし、つい最近ではネトウヨやトロールに回収されたことで、きれいに片付いた。
昭和とか20世紀の好景気体制が終わって以来続いた階層・年代の枠組みを超えた「平成文化のゴタゴタ」に、やっとケリがついたのが、2017年だったように思う。上を見れば首を洗って待っている人がいる。露悪趣味系の流れも汲んでいるし、ネタ消費文化圏の人もいる。
サブカルも、やっと「インターネット文化圏を中心とした反骨勢力」できれいにまとまった。これだけでも、大人にとって、どちらがより光のある文化か、選択肢がはっきり割れるいい機会になった。それでも残る味方を後ろから撃つオールド勢力は勝手に老衰していき、補完勢力も瓦解するかメインに回収されるだけだろう。

次の課題は現実社会における「立ち位置の更新」である

理想の世界は変わった。問題は現実の世界である。大人の世界は変わった。割れ窓理論がブームの時には「本来黒い人たち」を巻き込んで大衆世論の支持を集め、そこから白側に吹っ切れることで低犯罪社会になったことに連動し、反ブラックキャンペーンは労働者界隈の人気を集め、日本も警察国家色が増した。

では、別の方面はどうか。かつてであれば、公共交通が悪い意味でお役人仕事の空間だったが、1980年代ごろから今日に至るまで、欧米では当たり前のサービスを見ることはなくなっている。欧米のAMTRAKやDBの立ち位置にあるはずのJRも同様だ。
ではJRなどがどうなったかというとそれは財閥化である。韓国的な後進国や昔の時代にしか居場所のなかったような「財閥企業」が日本でも出現するようになった。若者の大手企業週かつに関する取材では、会社そのものの価値観ではなく財閥に属しているかどうかを重視する節がある。
理想世界における問題が、そのまま現実世界でも起きたのである。本来お役所仕事の側にあったはずの産業や公共サービスが、そうやってネオリベ感覚で財閥社会の側に奪われてしまった。結果的に、1980年代に誕生した鉄道は、いわゆる財閥企業化と、そういう風な流れになってしまったのである。

JRは、初期の頃から、草の根の若者の間では敬遠さえれていた。しかし、大人の側はその問題点に気づかず、「未来があり、安定的で、タブーにとらわれない、なんとなくフリーっぽいスタイルと、戦前的性質を持たないとっつきやすさ」にばかり注目していた。
不動産開発とか、観光列車といった副業を多用するスタイルは、「巨大企業」感になびく新自由主義の方向性とも合致する。だが、それらを全部ぶっ壊したのが、例の「観光列車」に対する一般人の怒りでもあった。その時日本人は気づいたのだ。私たちは本当の意味での公共交通を知らないと。

で、ネオリベ化する社会の中でかつて「お高い大人」の座っていたはずの椅子を奪い取ったオタク世代のサブカル趣味がやったことは、冷笑的ネタ消費だったり、車社会叩きだったり、高校生のオートバイや進む車社会を昭和の世界とひとくくりにした老害的なバッシングだったりした。
しかし、私が見る限り、欧米の世界で、公共交通がななつ星のような観光列車を運行することなどありえないし、韓国や中国を見ていると、公共交通の動きは、ななつ星のような拝金社会に迎合する御用のものよりも、新幹線やリニアなどの草の根の公共交通を積極的に持ち上げている。

文化が、上も下も、左も右も、現代の対立軸に刷新できた。そしたら次に起きるべき流れは、「公共インフラの脱財閥化」ではないかと思う。アメリカを見てほしい。AMTRAKやMTAが、大企業じみた副業などをしていることは一切ないではないか。
役人の世界も、もはや少数となった昭和時代からの中高年選手が、かろうじて普通の役人らしさや、まともな公務員らしさを旧態依然ではあるがつないでいるだけで、いまのアラフィフ以上の職員が全員定年になれば、それこそ「某ディストピア作品の世界」みたいなものに完全に落ちぶれてしまう。

かつては日本社会というしがらみに埋もれていた鉄道が、アメリカ社会に触発された結果鉄道界の軍産複合体に成り代わることで「車社会帝国」を攻略したような、そういうキーが、JRや公務員の世界のような堕落するエスタブリシュメントを変える必要がある。
欧米の公共交通を見ると基本性を重視しているように見える。職員が殺伐としていたり、客層は消費者ばかりではなく客層に公共感があったり、何より商売臭さがない。アメリカなら私鉄社会が過去の話だからよくできるんだろう。
日本のバス路線もそれに近いものを感じた。車両も路面電車とは異なり、車両の構造や運行頻度が凝ってたし。そういう機能性重視の方がいいことをわかっているから、欧米の公共交通みたいに利用率も高いけど、JRは真逆でダサくてぐちゃぐちゃしてる。

日本人の私鉄離れ、鉄道嫌いってかつてないほど進んでいるけど、これを打破するための有効手段ってもうこれ以上拝金主義に被れるのではなく、現代の国鉄らしさを突き詰めることだと思う。でもそれ、1990年代までであればJRですらちゃんと当たり前にできてたこと。
東日本の鉄道も、大都市にでかい駅ビルを建てたり、この10年近畿化とともに「ぐちゃぐちゃ化」を進めていったけど、そういうのやめて、シンプルでいて市民の注目を引くような、国鉄みたいな路線にすべきなんだよね。まあ、東日本がそういうことしないから、西日本がいろいろやってるよね。
たぶん欧米にもJR九州の観光列車みたいなものを走らせる私鉄はあり、エリートオタク限定のネタ消費の馴れ合いを論評したり、ヤンキーをネタ消費するノリのものがまかり通ったりしたりしてるんだろうが、そういうものはそもそもNYやLONDONやドイツの大都市の駅に乗り入れることはないのだと思う。

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