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日本で水道が広がったきっかけは…コレラの流行でした

水が豊富な日本で、水道が発生したきっかけは伝染病の流行だったという悲しい歴史

更新日: 2017年10月29日

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この記事は私がまとめました

colo_zeryさん

「水と安全はただ」と言われる日本社会

日本の水道普及率は、増加を重ねてほぼ100%と言っても良い数字です。

2008年で、日本の水道普及率は、97.4%との事

平成27年(2015年)で、水道普及率は、97.8%

都道府県別では、熊本県が90%を切っていて、ワースト1位ですが、これは水道に頼らなくても地下水で賄える家庭が多いからとのことだそうです。

世界でも水道水がそのまま飲める国はむしろ少ない方です。

トイレとか洗濯とかに「飲める水」を使うのは贅沢という考えも一理はあるとは思いますけれども。

日本では、江戸時代から上水道網が江戸の町には張り巡らされていました。

安全な水を供給する近代上水道が広がったのは明治以降になります。

近代水道の定義:外部から汚染されないように鉄管などの閉じた導管を使い、ろ過・消毒などを行った人の飲用に適する水を、圧力をかけて広い範囲に常に供給する施設の総体のこと。

近代水道の発展には、大事件が関係しているとのことです。

明治18年コレラ大流行、長崎港から侵入

この年の全国患者数は1万3824人で9329人が死亡、死亡率は67.5%である。

明治19年コレラ最大級の流行、死亡者10万人を越し死亡率70%(130年前)

年間合計15万5923人が発症し10万8405人が死亡となった。死亡率は69.5%と驚異的だ。

ヨーロッパでは、コレラの原因として”飲料水”が原因であることがわかり、対策が取られつつありました。

この災禍、大疫病に遭遇したスノーは、地区住民の事情に詳しい副牧師ヘンリー・ホワイトヘッドと共に徹底した調査を行い、ブロード・ストリートにあるポンプ井戸の水が“コレラを起こす何か”を含んでいる、と結論付けました。
大疫病コレラをこれ以上拡大させないためには、この井戸ポンプの使用を即刻止める以外ないと考え、渋る公衆衛生局にポンプの柄の撤去を認めさせました。柄の撤去後、スノーの予想した通り発病者、死者は急速に減少し、9月末までに終息を観るに至りました。

1854年、まだコッホによるコレラ菌の発見前(1884年)のことです。

日本でもまだ発見されたばかりの、コレラ菌への感染予防対策のために、水道の敷設の必要性が高まりました。

各地の記録に、コレラとの闘い、水道への誇りを見ることが出来ます。

函館市

水道敷設が決定されるまで函館市は、4回におよぶ起業を行っている。
第1回起業は、明治12年の大火のためやむなく中止し、その予算を復興に当てられた。
第2回起業は、明治16年に国に対し上請したが許可されなかった。
この時期は「松方デフレ」と呼ばれた時代で、国の財政事情が深刻な時期でもあったためである。

有効な手段を講じる事ができないまま迎えた明治19年のコレラ大発生。
患者数は1022人を数え、そのうち846人が死亡した。
第3回起業は、函館区債の発行と北海道庁からの一部補助による計画をたてたが、
政府の公債証書と類似のものを、区が発行するのは差し控えるべきとの見解を示し、実現に至らなかった。
ちなみに、起業とコレラの発生は連動している。

それほどまでに、当時の人々にとって「きれいな水」は、重要な問題であったことが伺える。
第4回起業は、横浜に水道を敷設したパーマー氏を招いて再調査を依頼した。
上水道問題を重視するという政府の政策変更もあり、
明治20年12月8日に閣議の決定を受けることができた。
水道建設工事については明治21年6月10日に着工し、翌年12月11日に完成した。
疎水式は翌月20日函館公園において盛大に挙行された。

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