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chabow15さん

最強イレブンと偉大なイレブンは違う

ACミランのいつが最強だったかというと、決まってオランダトリオの80年代終わりか、カペッロの指揮した95年前後が挙がる。
たしかに、欧州カップを制し、トヨタカップも制した。メンバーもレジェンド達が顔を連ねる。
しかし2000年代に入って、明らかにこれまでのミラン(グランデミラン)を凌ぐメンバーで構成されたシーズンがあった。

筆者は今でもこの時のメンバーが最強布陣であったと信じている。

2000年 初期のミラン

2002-2003シーズンにユベントスを下し、この年の欧州王座にたったミラン。
その翌年の2003-2004シーズンは、チャンピオンズリーグではベスト16で消え去ったが、国内リーグ・スクデットを獲得。
そして2004-2005シーズンを迎えたのだった。

左上から
マルディーニ、ジーダ、セードルフ、ネスタ、カラーゼ、リバウド、ルイコスタ

左下から
インザーギ、ガットゥーゾ、ピルロ、シミッチ

左上から
マルディーニ、ジーダ、シェフチェンコ、セードルフ、カフー、ネスタ

左下から
カカ、コスタクルタ、ガットゥーゾ、ピルロ、インザーギ

最強のイレブンは 2004 - 2005シーズン

このシーズンのミランが今でも最強と信じて疑わない自分がいます。
ではみていきましょう。

GK & DF 鉄壁の守備陣

2002-2003のUEFA CL決勝ではユベントス相手に3本のPKを止めてミランの優勝に貢献。
ブラジル代表のGKが、カテナチオのイタリアサッカーでしかも、正GKとして守っていたことから、当時 世界でも屈指のGKであったことが証明されます。

4大会連続 W杯出場、うち3大会で決勝進出。2回のW杯優勝。 セレソンでは輝かしいキャリアをもち、世界最高の右サイドバックと称された選手。
機をみて仕掛けるオーバーラップはみているものを魅了します。

サイドバックとセンターバックをこなせるユーティリティープレーヤー。
強靭なフィジカルと、強面な表情からは想像できないスピードある選手でもあった。
オランダ代表でも守りの要として活躍。
テュラム、カフーと並び、世界最高の右サイドバックとして評価された。

スライディングの技術、統率力、カバーリング、空中戦など高い評価を得て、当時、世界一のセンターバックと称された。

イタリアではカンナバーロと、ミランではマルディーニとセンターバックでコンビを形成。
ネスタは身体能力が高く、どのポジションを任せても一流プレーヤーになるとさえ言われた。
2002-2003 UEFA CL 決勝
ユベントスとのPK戦では前の3人のうち二人が失敗していたが、4人目のキッカーとして成功する。

「右下を狙ったつもりが、ブッフォンも同じ方向に飛んでまずいと思ったけど、少し浮いたのでかすめて入っていった。 要するに結果オーライだった」 ネスタのインタビューより

ミランのシンボルでもあり、イタリアサッカーの象徴。
既にこの時は代表引退をしていたが、まるで時計の針を巻き戻したかのようにハイパフォーマンスを披露。
元々左サイドバックのプレーヤーで、往年のミランではセンターバックでプレー。
スタム加入で左サイドバックへ再コンバート。

この年のCL決勝では、開始1分の先制ゴールを決める。
これは、当時 チャンピオンズリーグ決勝史上最速のゴールだった。

MF : 華麗なる中盤

元々トップ下の選手であったが、当時のミランには既にルイコスタが不動のトップ下として君臨。

アンチェロッティ監督の下でボランチへコンバート。
カルチョの常識を覆し、ファンタジスタの境地を切り開いたとされる。
中盤の底ながら、魔法の右足から繰り出されるキラーパスでチャンスを演出。
"無回転"、"ドライブ"、"カーブ"といった多種多様なFKを蹴れる選手でもあった。

PK戦キッカーとされているが、
2003年 トヨタカップ ボカジュニアーズ戦
2005年 CL決勝 リバプール戦

大一番でのPKは失敗に終わっている。

"戦う中盤" "リンギオ"といったあだ名を持つ、中盤の汚れ役。

汚れ役というと響きが綺麗ではないが、ミランのサッカーを支える上で欠かせない選手であった。
カフーのオーバーラップ、ピルロのオフェンスなど味方の選手が攻める際に守備に回ることもあった。

抜群のスピードを誇ってはいないが、無尽蔵のスタミナで中盤の様々な場所に顔を出す。

顔に似合わず優しい一面を持つ。

2002-2003 CL優勝後のインタビューではこう述べている。
「僕の生まれた町はとんでもない田舎でサッカースタジアムすらなかった。
 今は、裕福になったけど、この幸せ(優勝の喜び)はお金じゃ買えないよ」

アヤックス、レアルマドリード、ミランでチャンピオンズリーグを制した"優勝請負人"

オランダ代表としてもテクニシャンの存在だった。
ドリブラーでは決してないが、足元の技術が卓越してえおり中盤でのボールキープに加え、自身でゴールを決めることも多々あった。

ルイコスタが抜けた後、ミランの「10番」としてチームを率いてきた。

サッカー王国 ブラジルのプリンスと称され、2003-2004シーズン前にミランに加入。
ルイコスタ、2002年W杯優勝の立役者 リバウドらからレギュラーを奪取。
以降、ミラン 不動のエースに。

またぎフェイントを駆使するドリブラーではなく、スピードとフィジカルの強さでシンプルなドリブル突破をする。
単独でもドリブルで打開できる能力とスルーパスの技術も兼ねそろえる。

FW:最強の点取り屋達

アルゼンチンが誇る点取り屋。
どんな態勢からでもシュートを打つことが出来る抜群のゴール感覚を持つ。

シュート(パンチ)力、スピード、ヘディングの高さ これらのどれかが飛び抜けていたわけではなく、どのスキルもが高水準のレベルにあった。
柔軟性の高いストライカーといってもいい。

ゴールに突き刺す強烈なシュートもさることながら、GKをあざ笑うかのようなループシュートもうつことができる。

"ウクライナの矢"という呼び名の通り、ウクライナが世界の誇るトップストライカー。
183㎝という身長から打点の高いヘッド、強烈なシュート、そして俊足の足を持つ。

ゴールゲッターとして申し分ない能力を持ち、2003年にはスクデットを獲得、セリエA得点王のタイトルとバロンドールを受賞している。

控えも 超 豪華だった

ビリーの愛称で親しまれ、マルディーニとともに、グランデミランを築いたベテランDF。
サイドバックとセンターバックを双方こなし、DFラインの頼もしいバックアッパーとしていぶし銀の活躍を行なって来た。


2003年 トヨタカップ vsボカジュニアーズでは、
怪我により欠場したネスタの穴を埋める活躍をするも、PK戦で芝を蹴るという前代未聞の失敗を演じてしまった。

長年、ミランのサイドバックとしてプレーしてきた。
ブラジル人らしく、サイドをドリブル突破するスピードは圧巻で、イバン・コルドバ、ロベルト・カルロスと並び、南米最速のウイングバックとも称された。

PKキッカーとしての技術ももち、
2002-2003 UEFA CL決勝ではブッフォンから決めている。

然しながら、2004-2005のリバプールとの決勝は止められている。

派手なプレーはないが、黒子役としてチームを支える屋台骨。マルディーニに代わってキャプテンマークを巻くこともあった。
中盤が4人の場合は控えに甘んじることが多かったが、2年後にはピルロ、ガットゥーゾとともにセントラルミッドフィールダーを形成。

EURO2004のイングランド戦では強烈なシュートを決めるなど、輝きを放った。
これほど、10番の似合う選手はいないとされる。

典型的なトップ下の選手であるが、華麗なドリブルとキープも持ち味である。
そして、ルイコスタ最大の持ち味が、相手のDFを切り裂くスルーパスである。
2002-2003 UEFA CL レアルマドリード戦では、ハーフウェーラインからシェフチェンコへの絶妙なスルーパス。
カカが加入するまでオフェンスのタクトをくくっていたのは、この男であった。

日韓ワールドカップでは3ゴールを決め、2003年のトヨタカップでも先制ゴールを決めた。

どんなストライカーとも良い連携を行えるストライカーであり、トップよりも少し下がった位置(いわゆるセカンド)でのプレーを得意とする。
加入後からシェフチェンコ、インザーギなどの第三フォワードとして途中出場が多いが、スーパーサブとして、限られた時間の中で結果を出す選手だった。

EURO2004では強烈なドライブシュートを決め「トマソンここにあり!」と知らしめた。

ゴール前の稲妻という異名を持つ、ペナルティエリア内最強のゴールゲッター

強靭なフィジカルも、強烈なパンチ力もないが、オフサイドラインに生息し、一瞬の飛び出しでゴールを決めることを得意とする。

残念ながら2004-2005は怪我の影響もあり無得点におわるが、2年後にカムバック。
2006-2007シーズンのUEFA CL決勝では2ゴールを決めるなど、大舞台での勝負強さを持つ。

このシーズンのミランの成績

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