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太平洋戦争を止めようとした斎藤隆夫とは一体何者か?

真珠湾攻撃の一年前、軍国主義へと突き進む日本の暴走を止めようとした一人の政治家がいた。自らの命の危険を顧みず起こした行動とは何だったのか。

更新日: 2017年11月22日

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kimkozaさん

斎藤隆夫とは?

斎藤 隆夫(さいとう たかお、1870年9月13日(明治3年8月18日) - 1949年(昭和24年)10月7日)は、日本の弁護士、政治家である。姓は「齋藤」とも表記する。
帝国議会衆議院において、立憲主義・議会政治・自由主義を擁護し、弁舌により軍部の政治介入やファシズムに抵抗した。

この時代にファシズムに抵抗するってかなりヤバいですよ……。

斎藤隆夫が行った反軍演説とは?

反軍演説(はんぐんえんぜつ)は、1940年(昭和15年)2月2日に帝国議会で衆議院本会議において立憲民政党の斎藤隆夫が行った演説。日中戦争(支那事変)に対する根本的な疑問と批判を提起して、演説した。

こんな時代に軍部を批判するというのは本当に恐ろしいことです。殺されてしまってもおかしくありません。

斎藤隆夫が行った反軍演説の内容

彼らは内にあっては十字架の前に頭を下げておりますけれども、ひとたび国際問題に直面致しますと、キリストの信条も慈善博愛も一切蹴散らかしてしまって、弱肉強食の修羅道に向って猛進をする。これが即ち人類の歴史であり、奪うことの出来ない現実であるのであります。この現実を無視して、ただいたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、曰く国際正義、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、かくのごとき雲を掴むような文字を列べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことかありましたならば現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことは出来ない。

明治憲法において、 日本の主権者は天皇であり、 天皇の名において戦争は行われたわけですから、ここで聖戦を否定することは、当時の日本で天皇を批判することになります。

反軍演説の音声はこちら

迫力のある、しかし冷静な声で呼びかけていますね。こういう方が日本にいたということを私たちは忘れてはいけないと思います。

反軍演説後の斎藤隆夫はどうなった?

斎藤はもう一度選挙に非翼賛候補者として出直し、議席を回復した。得票は19,743票で第一位。(中略)戦後、斎藤隆夫は吉田・片山内閣で大臣を務め、昭和二十四年、八十歳でなくなった。

反軍演説により除名処分を受けた斎藤隆夫ですが、その後議席を復活させ、戦後は大臣として活躍します。本当にすごい人だったんですね。

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