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【オカルト検証】ほんとは怖い童謡「ずいずいずっころばし」に隠された意味

わらべ歌として歌いつがれてきた童謡の中には、歴史の表舞台から闇に葬られた者たちの声なき声を感じさせるものがあります。童謡「ずいずいずっころばし」には、千利休失脚の秘密が隠されていました。その秘密を解き明かしてみましょう。

更新日: 2017年11月30日

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yuaneeさん

童謡「ずいずいずっころばし」

ずいずいずっころばし
ごまみそずい

茶壺に追われて
とっぴんしゃん

抜けたら、どんどこしょ

俵のねずみが
米食ってちゅう、
ちゅうちゅうちゅう

おっとさんがよんでも、
おっかさんがよんでも、
行きっこなしよ

井戸のまわりで、
お茶碗欠いたのだぁれ

「茶壺に追われて」...お茶壺道中とは?

宇治茶を徳川将軍家に献上するための茶壷を運ぶ行列のこと。俗に御茶壷道中という。
行列が通る街道は、前もって入念な道普請が命ぜられ、権威のあるこの行列を恐れていた沿道の庶民は、茶壷の行列が来たら、戸をぴしゃんと閉めて閉じこもった。茶壺の行列の様子は、童歌の『ずいずいずっころばし』に表現されて歌い継がれている。

性風俗の春歌という説も?

「茶壺」は女性の意味であり、男が女に追われて家に逃げ込み、戸をぴしゃんと閉める(「とっぴんしゃん」)、というふうにである。「ずいずいずっころばし」、「ごまみそずい」、「俵のねずみが米食ってちゅう」も同様に性的なものだとする説もある。

つきまとう死の影

「ずっころばし」は、「すっころぶ」+「ころし」の造語からできているように取れ、転落と死罪をにおわせる。また、「おっとさんがよんでも、おっかさんがよんでも、行きっこなしよ」には、外に出たら切り殺されるという含みがある。さらに、「井戸のまわりで、お茶碗欠いたのだぁれ」の締めくくりで、大事な茶碗を壊す粗相をしでかした、ある事件が浮かび上がる。

筒井筒 五つにわれし 井戸茶碗

井戸茶碗とは、朝鮮半島で作られた普段用の茶碗ながら、千利休のわびさびを重んじる茶道で、最高峰として珍重された。ある時、豊臣秀吉が茶会を催した時に、「筒井筒」という井戸茶碗を小姓が割ってしまい、秀吉が激怒して手打ちにしようとした。すかさず、居合わせた細川幽斎が機転をきかして、「筒井筒 五つにわれし 井戸茶碗 咎をばわれに 負ひにけらしな」(筒井筒の銘をもつ井戸茶碗が五つに割れてしまった。粗相をした小姓をどうか罰せずに、その罪を私に負わせなさい)」と歌を詠み、秀吉をいさめたというエピソードがある。

「井戸のまわりで、お茶碗欠いたのだぁれ」は、このことを暗に意味していると思われる。

井戸茶碗は朝鮮李朝時代前期末頃に焼かれた陶器で、もとは飯茶碗としての雑器であったが、桃山時代に我が国に舶載され、茶人が茶器としてとりあげ、とくに姿の大きい大井戸は、佗茶の最高のものとされ、朝顔形でロクロ目が強く、高台が竹の節状で、カイラギがあることが条件とされている。

筒井筒から導かれる怪しい男女関係

筒井筒には、「仲の良い幼馴染みの男女」という意味がある。ここで考えられるのは、秀吉の目を盗んで不倫をしていた淀君(茶々)と大野治長の関係。二人は乳兄弟であり、まさに筒井筒である。
「茶壺に追われて」は、茶々が治長に積極的に迫り、「ちゅうちゅうちゅう」な関係になったことを揶揄しているという意味にもとれる。

淀君が生んだ子が秀吉の種ではないことは、当時も噂があったようである。

真田増誉による諸大名や武士の逸話集「明良洪範」には、秀頼は秀吉の実子でなく、淀殿が治長と密通して生まれたと記されています。
他にも、奈良の興福寺の僧による日記「多聞院日記」や、朝鮮出兵時に捕虜となって日本に連行されてきた朝鮮人儒学者・姜沆の「看羊録」にも淀殿と治長の密通について記されているのです。
また、「萩藩閥閲録」という萩藩・毛利氏による古文書の集大成にまで、2人の密通の話が残されています。

茶壺に追われた事件の真相

「ずいずいずっころばし」につきまとう死の影。この歌に隠された中心人物は、豊臣秀吉と千利休であろうと思われる。千利休は大徳寺山門の像にいいがかりをつけられ、不敬罪により死を賜ることになった。何が秀吉をそこまで怒らせたのか、真相は謎に包まれている。

大徳寺山門に安置された利休像について密告したのは、京都所司代の前田玄以。石田三成とともに、奉行グループの地位を高めるために、千利休の追い落としをたくらんだという説がある。

「俵のねずみが米食って ちゅう」から、禿げねずみ(=秀吉)の太閤検地が連想される。検地の発案者は石田三成。「ちゅう ちゅう ちゅう」の三つ鳴り(=三成)である。

そして、「茶壺に追われて、戸ぴしゃん」の意味は、茶々に追い詰められて、利休蟄居ともとれる。利休失脚の顛末は、石田三成らだけではなく、淀君が積極的に秀吉をたきつけて罠にはめたということを、この童謡は教えているのかもしれない。

「ずいずいずっころばし」の橋、それは利休の首がさらされた京都の一条戻り橋ということになろう。

割れた茶碗と不吉な予言歌

割れた「高麗(こま)」の井戸茶碗だけでなく、「ごまみそ」の語句からも「こま(高麗)」が連想される。利休の亡くなった年に、秀吉は朝鮮出兵令を出した。高麗茶碗は一個一城相当といわれるほど高価であり、秀吉の朝鮮出兵の目的は茶碗ではなかったかとも言われる。事実、多くの陶工を捕虜として朝鮮から連れてきた。

高麗茶碗に美を見出し、価値を高めたのは利休であっただけに、利休は外征を阻止したいと思ったことであろう。利休失脚の原因は、朝鮮半島出兵に反対したからだという説がある。

皮肉にも細川幽斎が詠んだ、「筒井筒 五つにわれし 井戸茶碗 咎をばわれに 負ひにけらしな」は、その茶会にいた利休の運命を言い当ててしまっていた。高麗を助ける諫めを行った、利休は罪なくして咎を負わされた。朝鮮出兵の総奉行は石田三成が務めた。秀吉の侵略により朝鮮の国力は衰退し、その後、清(中国)の侵略を受けて属国となった。まるで、割れた井戸茶碗である。

筒井筒の井戸茶碗は、石川県に現存する。

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