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大拡散中の沖縄デマ「全く何もない土地に米軍普天間基地が建設され、周辺に人が商売目当てで集まってきた」

百田尚樹氏などが拡散していたデマがまた拡散してる模様なので、大拡散中沖縄デマ「全く何もない土地に米軍普天間基地が建設され、周辺に人が商売目当てで集まってきた」の件を記録。

更新日: 2019年08月18日

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この記事は私がまとめました

hiraoyogiさん

この手のツイートがいくつか大拡散してる模様なので関連ツイートなどを

全く何もない土地に米海兵隊基地が建設され、基地周辺に米軍相手の商売をする人たちが集まり町を形成するようになったが、近くの小学校が建てられ、危険だからと言う理由で過去に二度の移転計画が持ち上がったが、左翼の反対派により移転断念した。小学生をとって危険なのは米軍でなく左翼。 pic.twitter.com/x0y5OP3Bg6

ここに書かれている「全く何もない土地に米海兵隊基地が建設され」という一文は完全なデマです。現在の普天間基地が出来る前の宜野湾村には1万人以上の人々が生活しており、基地の敷地内にあたる場所には宜野湾村役場などもありました。米軍は現地住民の土地を接収して基地を建設したのです。 twitter.com/netsensor1/sta…

百田尚樹がバラ撒いた「普天間基地の周りには元々街は無かった」系のデマが性懲りもなく再生産されているようで、右翼愛国者の皆様方は常日頃から日本が好きとか沖縄は日本だと叫んでいる割には主権より米軍基地が大事なんだなあと呆れる他ない。宜野湾村には元々1万人以上の人が暮らしていた。 pic.twitter.com/5MKxvHVFSA

@Beriozka1917 安倍首相ですら、この百田尚樹のデマは否定せざるをえなかったいうのに。(2015年7月、平和安全法制特別委員会) dot.asahi.com/wa/20160120000… >安倍首相は百田発言を否定せざるを得なかった。 >「戦前、役場や学校があり集落が点在していた。米軍が土地を接収し建設した」

安倍首相の百田尚樹デマ否定答弁(2015/7/3、衆議院平和安全法制特別委員会議事録) shugiin.go.jp/internet/itdb_… >戦前、役場や国民学校、郵便局、病院などが所在し、街道が通るとともに集落が点在し田畑が広がっていた >戦時中の昭和二十年四月、米軍が上陸した後、土地を接収して普天間飛行場が建設された

twitter.com/netsensor1/sta… 「島中央部の広くて平たい土地を島民は何にも活用せず放置していました」って設定のムリさ加減にいい加減気づけばいいのに。 その「何もなかった」っての、誰に聞いたの?って言えば百田尚樹とか井上和彦とかだったりするんだろうなぁと。

基地の近くに住む方が悪いと主張する人はたぶん沖縄における米軍基地のスケールが分かってないんだろうなーと思う。地図見ると分かりますが、宜野湾は土地の3割以上をど真ん中にある基地が占めてるんですが、周辺に住むなとなると市民はどう暮らしていけばいいのか(上にあるのはキャンプ・フォスター) pic.twitter.com/iJbST7Rzxm

悪意を感じます。何も無い土地、ではなく、今滑走路や誘導路がある所が戦前の宜野湾村の市街地。小学校もありました。戦後、収容所から出てきたら、住む場所も田畑も、学校も役場も飛行場に変わっていて行き場もなく、やむなく山林だった傾斜地に市街地作って住んでいるというのが、宜野湾の戦後。 https://t.co/9lYh9qXKIG

NHKスペシャル 【沖縄空白の1年】 収容所の写真 沖縄での戦闘が終わった6月時点で県民の9割30万人近くが入れられていた。 アメリカ軍は集落や農地があった平野部に滑走路を建設するために、 住民を収容所に入れておく必要があった。 pic.twitter.com/qNvVNiyxjG

NHKスペシャル 【沖縄空白の1年】 基地がさらに拡大され集落が飲み込まれてる様が記録されてる。 元陸軍工兵隊 ロバート・ロックさん 「私たちは人けのない小さな村を次々と潰していきました」 pic.twitter.com/R2KzbjTPQq

NHKスペシャル 【沖縄空白の1年】 普天間 1944年〜1945年 静止画 ①〜④ pic.twitter.com/hR2qk7ubUY

NHKスペシャル 【沖縄空白の1年】 普天間 1944年〜1945年 静止画 ⑤〜⑥ pic.twitter.com/04fR6MuhqO

https://t.co/AXXpvw1GFh https://t.co/8kl2KbzakF 「宜野湾市史によると、沖縄戦の前年の1944年、宜野湾村(当時)には22の字があり、1万3635人が住んでいた。そのうち、普天間飛… https://t.co/PbMVCSNqCa

本当にひどいよ、普通に考えて。日本列島で唯一地上戦を経験し、敗戦直後から自分たちの土地が米軍に奪われて広大な基地のために提供してきたのに、米軍による事故が起きるたびに「そんな所に住む者が悪い、自業自得」と言われるのだから。そう言う「日本大好き」さんの正体がにじみ出てるよ。

挙げ句の果てには「後から来ておきながら難癖をつけるな」と言って、まるでアメリカ軍に先占権があるかのような論調で現地住民を誹謗中傷していますからね。普天間基地は現地住民の土地を強制接収して作られたという前提を抜きにしても、とても同じ国の市民に浴びせる言葉とは思えません。非情ですよ。 twitter.com/akisumitomo/st…

百田尚樹氏が「田んぼで、何もなかった」とする米軍普天間飛行場が建設された場所は沖縄戦の前、宜野湾村の集落があった。宜野湾市史によると、1925年は現在の飛行場に10の字があり、9077人が住んでいた。宜野湾や神山、新城は住居が集まった集落がほぼ飛行場内にあり、大山などは飛行場敷地に隣接する形で住宅があった。

 最も大きかった宜野湾は村役場や宜野湾国民学校、南北には宜野湾並松と呼ばれた街道が走り、生活の中心地だった。

 飛行場は、まだ沖縄戦が終結していない45年6月、住民が収容所に入っているうちに、米軍が土地を占領して建設を始めた。住民は10月以降に順次、帰村が許されたが、多くの地域は元の集落に戻れず、米軍に割り当てられた飛行場周辺の土地で、集落の再編を余儀なくされた。

 市立博物館の担当者は百田氏の発言に「人々が戦争で追い出され、何もなくなるまでの過程が抜け落ちている」として認識不足を指摘した。

琉球新報の記事に触発されて、私も神山集落(普天間基地ができる前に存在した集落の一つ)を記録した『神山誌』を宜野湾図書館で読んできた。集落は「ウチカイ美らさ」(美しい家並みの意)と呼ばれていたという。写真は同誌に掲載されていた集落地図。 pic.twitter.com/daEhYM1gfU

神山集落は東西に七つの通りがあり、南北にも五つの通りが延びて、碁盤の目のように整然とした家並みが続いていたという。(神山誌) pic.twitter.com/8tKvOsxkJ2

こちらは1986年12月4日付の沖縄タイムス。「基地に消えた古里」と題された記事で、普天間基地に飲み込まれた神山集落について書いている。 pic.twitter.com/8yl9tvosfN

自民党・若手勉強会で百田氏は「もともと米軍普天間飛行場は田んぼの中にあった。商売になると基地の周りに人が住みだした」とも言った。デタラメだ。普天間飛行場は宜野湾村の中心で主要4集落や村役場や小学校があった。石灰岩台地で田はなく畑地だ。 pic.twitter.com/PSPw7z5Cms

普天間飛行場の土地は戦前、宜野湾の中心部だった。村役場や学校があり、9千人以上が住んでいた。米軍がその土地を占領し、住民が収容所にいるうちに基地を造った。つまり、基地より先に住民がいて、暮らしがあった。この事実は繰り返し指摘されているが、百田氏は2015年、自民党本部の勉強会で「危険への接近」論を唱えて以来、同じ主張を続けている。

普天間小移設デマは産経が元ネタ #BLOGOS blogos.com/outline/266950/ 〈デマが今でも拡散され、基地反対運動を攻撃する材料として使われています。 これは産経新聞が流したフェイクニュースを元にしており、以下に紹介する沖縄タイムス記事が言う「2010年のある全国紙の報道」とは産経新聞のこと〉

米軍ヘリ窓落下:「文句言うな…」被害小学校に続く中傷 bit.ly/2D9hvGi

「そもそも飛行場は沖縄戦のさなか、米軍が住民を収容所に拘束しつつ造ったもの。以前は役場や学校、多数の集落があった。終戦後、住民は周辺に住まざるを得なかった。米海兵隊は50年代に本土から沖縄に移転を始めたが、当初、飛行場は静かだった。」「一度デマが広がると、事実を提示しても届かない」

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