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neconeccoさん

日本では知らない人のいない人気漫画家、手塚治虫さん

1989年に亡くなって以降もまだまだ彼のマンガは大人気です

手塚治虫プロフィール

手塚 治虫(てづか おさむ、本名:手塚 治(読み同じ)
1928年(昭和3年)11月3日 - 1989年(平成元年)2月9日)
大阪帝国大学附属医学専門部を卒業、医師免許取得、のち医学博士(奈良県立医科大学・1961年)
血液型A型
戦後日本においてストーリー漫画の第一人者として、漫画の草分け存在として活躍した
兵庫県宝塚市出身(出生は 大阪府豊能郡豊中町、現在の豊中市)、同市名誉市民

1941年、大阪府立北野中学校(現北野高校)に入学。北野高校は大阪府公立で一番偏差値の高い高校です。高校在学中、授業中にマンガを描いていたため教官に殴られた経験がある。大阪大学付属専門医学部に進学、鉄腕アトムやジャングル大帝の執筆をしながら医師国家試験に合格している。

戦後、戦時中に書き溜めたマンガを雑誌に発表、人気で連載となった

1961年から手塚プロダクションに動画部を設立。幼少期よりディズニー映画に大きな影響を受けた彼は当時日本では珍しかったアニメーションを始めた。

1988年3月に胃を壊し、一度目の手術を受ける。5月に退院し、以前とまったく変わらない多作振りを見せたが11月、中国でのアニメーションフェスティバルに出席した後に倒れ、帰国と同時に半蔵門病院に入院。医師の診断ではスキルス性胃癌であった。しかし当時の日本の医療の慣習により、直接本人には告知されなかった。

翌1989年1月21日に手塚プロ社長の松谷孝征が見舞に来た時には、「僕の病状は何なんだ、君聞いてきてくれ」と頼んでいたという。胃癌ということは伏せたうえで聞いた事を話すと「そうか…」と一言言ったという。100歳まで描き続けたいと言っていた手塚は、病院のベッドでも医者や妻の制止を振り切り漫画の連載を続けていた。

同年1月25日以降、昏睡状態に陥るが意識が回復すると「鉛筆をくれ」と言っていた。息子の眞は昏睡が覚めると鉛筆を握らせるが意識がなくなりの繰り返しだったと語る。死に際の状態でも「頼むから仕事をさせてくれ」と起き上がろうとし、妻は「もういいんです」と寝かせようとするなど最後まで仕事への執着心を無くさなかった。

半蔵門病院の病室で、1989年(平成元年)2月9日午前10時50分死去。死に立ち会った松谷によるとこの「頼むから仕事をさせてくれ」が手塚の最後の言葉であったという。通夜は2月11日、東久留米市の自宅で、葬儀は3月2日、東京都港区の青山葬儀所で手塚プロダクションの社葬として、それぞれ営まれた。

『グリンゴ』『ルードウィヒ・B』『ネオ・ファウスト』などの作品が未完のまま遺された。また、梅原猛の小説『ギルガメシュ』のアニメ化に意欲的だったが、構想中のままに終わった。亡くなる3週間前(1989年1月15日)まで書かれていた自身の日記には、その時の体調状態や新作のアイデアなどが書き連ねられていた。

周りの人間は誰も手塚に胃癌であることを伝えず、手塚自身は生き続けるということに何も疑問は持たなかったとされる。しかし、手塚が病院で描いていた遺作の一つ「ネオ・ファウスト」では主要な人物が胃癌にかかり、医者や周りは気遣って胃癌であることを伝えないが、本人は胃癌であることを知っていて死亡するという内容が描かれている。

人物

彼が絵を描き、ベタ塗りを時折編集者などにやらせていたことが後のアシスタント制度に繋がった

手塚のアシスタントであったわたべ淳は、手塚が鉛筆で下書きをせずにペン入れしていたことを証言している。フリーハンドでかなり正確な円や直線を描くことができ、揺れるタクシーや飛行機の中でもかなり正確に描いたという

また彼は極度の激務家だったことで知られる。手塚自身、睡眠時間は1日わずか4時間程度で、それ以上に眠ることはほとんどなかったと言われる。全盛期は月に数日程度しか眠らないこともしばしばであった

彼の学生時代の恩師からは授業中もずっと漫画を描いている手塚に対して「手塚君、君は、このまま医者をつづけても、ろくな医者にはなれん。必ず患者を五、六人は殺すだろう。世の中のためにならんから医者をあきらめて漫画家になりたまえ」と言われている。彼はインターン時代に患者の顔を見るとどうしてもカルテに似顔絵を描いてしまうとも語っている。息子の眞によれば、手塚は血を見るのが嫌いで道を断念したとも言う。

トレードマークは、ベレー帽と分厚い黒縁眼鏡。人前で帽子を外すことは滅多になく、「帽子を被ってないときは映さないで」と照れ笑いする様子が映像に残っている。しかし、街中を歩く時、仕事中、タクシーの中などはベレー帽を脱いでいることが多かった(これにはベレー帽を脱いでいると街中を歩いていても手塚治虫であると気づかれにくい利点もあったようである)。ベレー帽は、もともと横山隆一を模倣してかぶり始めたもので、横山はやがてベレー帽の使用をやめたが、手塚は自身の漫画の中でも自分自身をベレー帽と黒縁眼鏡と鼻が大きい人物として特徴付けており、生涯これを変えることをしなかった。このベレー帽をかぶる風習はトキワ荘のメンバーにも伝わり、石森章太郎や藤子不二雄などもベレー帽をかぶっていた。

視力は度の強い近視であった。甘いものが好きであったために歯を悪くした。特に「チョコがなければ仕事ができない」というほどのチョコレート好きであり、死後に施錠されていた仕事机の中からかじりかけの板チョコが見つかった

人並み外れた仕事量をこなしたことで知られているが、けして家庭を蔑ろにすることはなく、誕生日とクリスマスには必ず家族でレストラン・ディナーをとる習慣があり、計画を立てて正月と夏休みには家族旅行に出かけていた。田中圭一には「マンガ家としてだけじゃなく父としても神」と評された

妻の悦子(旧姓・岡田)は、血の繋がらない親戚で幼馴染であった。結婚が第1次全盛期と重なっていたため、結婚前に2回しかデートができず、しかも結婚披露宴では1時間前まで閉じ込められて原稿を描き遅刻してしまったという。悦子は梅花高女(現在の梅花中学校・高等学校)出身であり、この学校が当時「大阪のひどい方で一流の、つまりすごい学校」だったため、手塚は「鉄火肌のおもしろい子」を期待して悦子と結婚したが、実際に結婚してみるとそうではないことがわかったという

作品

鉄腕アトム

心優しいロボットのアトムが主人公。悪者を倒し、弱いものを助けるザ・正義の味方。手塚治虫の代表作

ブラックジャック

医師免許を持たないが、神の腕を持つと呼ばれる男、ブラックジャック。法外な料金を要求するが、どんな難病も手術する。普段は冷徹な彼が時折見せる人情あふれる姿に魅了されます。また読み進めるにつれて彼の謎に包まれた過去も明らかになっていきます。

リボンの騎士

天使の悪戯によって小さいころから男として育てられてきたシルバーランドの姫、サファイヤ。彼女が男として生きなければならない環境と、自分の女としての思いと戦う、コスプレの先駆けともいえる少女漫画

ジャングル大帝

ホワイトライオンのレオが主人公
人間に捕らえられたこともあったが、レオがジャングルに戻り父の後を継いで大帝となり、ジャングルでの様子や人間との闘いを描いた漫画

火の鳥

不老不死で、その血をなめたものも不老不死になれるという幻の鳥、火の鳥。さまざまな時代や国の人間がその血を求め、命がけの戦いに挑む

三つ目がとおる

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